オリジナルブログ「マークン@フジワラのにんげん探訪」

カテゴリー「日々のあれこれ 」一覧

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2018年07月13日

【引越し前夜? いいえ、フジテレビの取材です】

昨夜4日ぶりに家に帰るとやたら居間が片付いている。キレイと言うよりモノがない。私の小物を入れた小キャビネットもない。引っ越し前夜のようだ。

事情を聞くと、明日フジテレビのめざましテレビの取材があるとのこと。先月のハモニカ全国大会で団体優勝したが、チーム(吹夢Z スイムズ)の演奏風景だけでなく、個人にスポットを当てたいとの要望があり、リーダーで全国個人3位の私の奥さんが選ばれたとのこと。

ハモニカと対極の絵を撮りたいとのディレクターのリクエストで、奥さんの趣味の畑でブルーベリーを取り、ジャムにする光景が必要になり、我が家の居間、台所が見違えるほどキレイになったわけあである。

インタビュアーからカメラに向かって何か言って下さいと言われているようで『来年も優勝するぞ』ではどうかと私に相談があった。『優勝するぞ』では平均70才のチームではプレッシャーになるから『これからもハモニカを楽しむぞ』ではどう、とアドバイスしました。

さてどうなることやら?IMG_3346.JPG


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2018年05月28日

<5月28日 嫌な上司とうまく付き合う方法>

3冊目の本がセルバ出版さんから6月下旬に発行されます。4月末に原稿を出稿、今校正中です。
 テーマは「苦手で嫌な上司の部下になったら読む本」、ヴァンジョインズ博士の人格適応論を活用した上司マネジメントの本です。
2年前に「タイプ別苦手な部下の指導育成の方法」を出版しました。呼んでいただいた方から「わかりやすい」と言われましたが「嫌いな上司と付き合う本を書いて欲しい」と言われました。同じようなご要望を何人かいただき執筆した次第です。

 類書は世の中にどのくらいあるのかなと集めてみたら結構ありました(写真)。題名が過激です。「バカな」「迷惑な」「困った」など、結構 世の組織人は上司にストレスを感じているんだなと言うことが伺えます。

 ひどい上司の共通の特徴は
・話を聞かない
・人間的に尊敬できない(暴言、公私混同、だらしない、仕事ができない)
・ころころ指示を変える、指示が曖昧
・部下に仕事を押し付けて支援しない
・責任を取らない、逃げる
・部下の手柄を横取りする
              などなど。

ひどいですね。

ただ「うちの上司はひどい、とんでもない」と言っていても問題は解決しないので「冷静に上司研究をしましょう」というのが私の本です。

心理療法のベースがあるので効果があるかと思います。

お楽しみに。
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2018年05月27日

<5月26日 日本交流分析学会で発表しました>

日本交流分析学会43回学術大会にお呼びいただき、シンポジストの一人としてTA研究部会運営委員長の役割りで登壇しました。

他のシンポジストはTA協会事務局長、交流分析協会副理事長、ゲシュタルト療法学会理事長でした。今回5団体がタイアップとしようという画期的で歴史的な1日でした。会員3800人を超える大組織 交流分析協会さんと席を並べるのは感慨深いものがあります。
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 TA研究部会は1983年岡野嘉宏先生が創立され、現在は自主運組織。毎月TA理論の深耕と隣接領域の探索をテーマに50名前後の出席者。番外としてTAエクササイズとTA活用事例を実施と紹介。
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 今回の学会学術大会のテーマが温故知新なので「日本のTAについて感じる点」を話しました。
良い点は学校で学ばない、人として大事な「自己を知る」、「良好な対人関係の方法を学べる」と言う点。理論体系がしっかりしているので、論理的な参加者の多い企業教育でも効果的です。

気になる点は「理論、分析止まりになりがちで、実践にどうつなげるか工夫が必要」と伝えました。いくらあなたの自我状態や人生脚本はこうですよといっても変わりません。

手前みそですが、TA研究部会のTAエクササイズは人生脚本の書き換えに繋がるエクササイズがあると紹介しました(写真3の「紙の壁、破り」)。これは懇親会で「やってみたい」と言う声が寄せられました。
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 学会の役員さんから「海外のTAとの違いはどういう点で感じる?」とのご質問。
2013年のITAA大阪でカルチャーショックを受けたのは「日本は理論中心だが、海外の実践家はエンプティチェアを使ったり瞑想やダンスをしたりで幅広い。また国民性の違いもあるが、実践家はオープンでフレンドリー」
お叱りを受けるかもと思いまいたが、「なるほど」と受け入れていただきました。

久しぶりに交流分析学会に出たのですが、こういうオープンな会話腑が出来るのは雰囲気が変わったなあと感じた次第です。

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2018年03月20日

<3月19日 米国でのデスクワーク>

今日から米国訪問の主目的のVan Joines博士のワークショップです。
フェースブックではビールを飲んだり剣道をしている写真を載せていましたが、剣友たちとの再会も大きな目的ですよ。

金曜日からの3日間は朝素振りして午後は剣道。それ以外は部屋に閉じこもって
デスクワーク。外は明るいのに暗いでしょう。内容は納期の」決まった3冊目の本の執筆と論文の修正です。

論文は日本ゲシュタルト療法学会の原著論文です。1月に「組織へのゲシュタルト療法の応用」として提出したのが、査読者からのフィードバックをいただきました。それを4月中旬に帰返す必要があります。A4サイズで5ページ、全部で50か所近い丁寧なご指摘に少しずつ回答していきます。一人部屋にいて、査読者さんと会話しているような気分になります。きついと言えばきついんですが、「この論文は日本の学会の地を拓くものです。頑張ってください」と励ましをいただいているの頑張ります。

 本当にありがたいんですよね。一言で言うと、私の論文は実施記録であり、論拠が乏しいので論文ではないとのことです。無料でこういうご指摘をいただくのはすごい実践的なトレーニングになります。

学会員の方、すごい勉強になるのでお薦めですよ。ぜひチャレンジしましょうね。

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2018年03月11日

<3月10日 ちょっと面はゆい表彰状>

「厚木市スポーツ人のつどい」がありまして、表彰状をいただきました。内容は「剣道連盟役員として長年にわたり連盟の発展に尽力」とあります。

 最初選ばれた時に「え?私? 他にもっと貢献されている方がいるでしょう?」と面はゆい気持ちでしたが、考えていただくことにしました。

 「これからもっと頑張れ、もっと貢献せよ」思い、地道にがんばります。
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 剣友が祝ってくれて嬉しく思いました。
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2018年03月08日

【心理的アプローチの人間ドック】

年に一度の人間ドック。スタッフさんの対応が良くて5年以上連続して利用させていただいている。今回も進歩を感じた。

動脈硬化の検査。両足、両腕、胸にセンサーを検査技師さんがセットするが、そのたびに「右足にセンサーを付けます」終わると「ありがとうございます。」と丁寧に対応。何をされるのかわかるので安心する。

フランスの認知症対応で劇的な効果を出うと言われる「ユマニチュード」と似ていると思った。自分が検査される身体の一部として見られるのではなく、不安などの感情を持った人間として大切に扱われている感じがする。

人間ドックのハイライトは今回も胃カメラ検診。初めての若い医師が「こんにちは、力を抜いてリラックスしてくださいね。すぐ終わりますよ」と言われて安心。

検査のチューブを口から入れられると「目を開けていてくださいね」との言葉。現実を見ろという事か。モニターに映った我ながら「美しい内臓」に目が行き安心。
今回も自ら抱き枕を抱いて看護師さんが手で背中をさすってくれる。自らサポートを得る事と他者の支援があると気持ちが安定することを実感。

医師の説明の時に「目をつむるのは何故ですか」と伺うと「身体に力が入るから」とのこと。なるほど、現実を見ないと妄想(恐怖、ゲシュタルトで言う中間領域)が起き身体が硬くなるという事を防止するんですね。

検査は無事終了。今年もダイエットが課題になった半日でした。
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2018年01月25日

<1月24日 躍進する中国の光と影>

中国では安定した成長を実感した。
大前研一氏によると「平成元年には九州程度だったのが、今や日本の2.5倍の経済規模。ユニコーン企業(評価額100億$の未上場、創業10年以内)は米国100に対して中国は50、日本は1。差はますます開く」そうだが、高層ビルの建設ラッシュは一段落しスマホなどの民需が押し上げる。デパートに行ってもスマホの会場は広い。一番の賑わいはAppleだ(写真2枚目)。 
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馴染みのレストランに行くと変わらず混んでいるが、メニューの単価が2,3割上がっている。タクシー料金も上がった。インフレは進んでいるようだが、購買力は高くなっているようだ。

知人たちにこの伺うと、給料はこの数年で数倍になった。昔は皆貧しく平等だったが今は格差ができた。勤め人で400万円以上する車を買うし、億単位のマンションも買う人も出てきた。海外も行く。数年前までは物価の安いタイやベトナムが人気だったが、今は日本が一番人気。そこで人気あるMade in Japanの電化製品、化粧品、薬を買いたいとのこと。

北京はこの数日晴天が続く。ひところ言われたPM2.5は落ち着いたらしい。日本の新聞では石炭を使う工場が閉鎖され、石油が推奨されるとか、車の排ガス規制があるとか言われている。

知人が言うには北京、上海の人口を減らしているとのこと。都市籍のない住民は故郷に帰すか違う都市に移す。そのため廃墟になった住宅、店舗を見た。それだけで空気が変わるかどうかは定かではないが、大きな力で国を変えようとしているのは分かった。
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2018年01月24日

【中国のキャッシュレス事情】

9か月ぶりの中国です。

今回一番見たかったのが、キャッシュレス。日本の新聞や雑誌では今の中国ではお店でお金を使わないと報道されています。それは本当かと確認したいと思いました。空港からタクシーに乗りました。運転手さんは高速料金を紙幣を使っていました。あれ?

知人たちに会って伺うと「お金は使わない。」タクシーでもスーパーマーケットでもレストランでも携帯で決済するとのこと。実際にタクシーやレストランで支払いをやってもらいました。本当だ!

 支払い方は大きく3種類あるようです。タクシーの座席(下記写真参照)やレストランのテーブルにQRコードがあってそれを携帯で読み取ります。自分の銀行口座のナンバーを入力して送信して相手がそれを確認、これで終了。二つ目はタクシーの運転手が自分の携帯からQRコードを出しそれを支払者が読み取る。三つめは自分の携帯からQRコードを出してそれをお店のりだーで読み取る方式。

 QRコードを使うやり方は町のあちこちにあるレンタル自転車を借りるのと同じですね。
利用者側はお金を持つ必要性がないし、通信会社から一種の宝くじをもらう(1回)楽しみがあります。
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▲タクシーの中のQRコード。これを携帯で読み取る。
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▲レストランのテーブル上にあるQRコード。
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▲街角にあるレンタル自転車。自転車の座席の後ろにあるQRコードを携帯で読み取る。
スーパーマーケットで実際に支払う方式を観察しましたが、年配の方はまだ現金で支払っていました。若い方は携帯、クレジットカードでした。
いずれ日本もこうなるでしょうね。

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2018年01月07日

<1月7日 解放戦線の250kmの地下トンネル>

今回一番行きたかった所です。ホーチミンから北西に70km、クチの地下トンネル。ベトナム戦争の解放戦線(米から言うとベトコン)が根拠にした場所。米軍も存在は知りつつも具体的には攻略できなかった。

実際に見てみると地下トンネルの入口は40cm四方でその上には草が置いており見つからない。深さは4m、6m、10mの3層構造。爆弾は3mまでしか届かない。

実際にトンネルに入ってみた。かなり底まで入る。通路は高さ80cm程。途中で四つん這いになった。他の見学者と一緒で前が詰まると闇の閉塞空間に留まり、恐怖が増す。閉所恐怖症の人には勧められない。
手掘りで地下トンネルを250kmまで蜘蛛の巣のように広げたのは驚異的。30km先のカンボジアまで届いたと言う。

紹介ビデオによると「南ベトナムの傀儡政権を支援していた米軍は付近の村を爆撃し始めた。クチの村だけは抵抗した。地上が爆発されたので地下壕を作りそこで生活した」とある。ゲリラと言うより住民の自発的な参加による自警団、自衛団である。

10代の小柄な女性兵士の戦う姿が紹介される。「彼女はどんな戦闘でも敵弾を恐れずに進撃し、戦車2台を爆破する実績を挙げ後に表彰された」そうだ。どうやって攻撃するかと言うと米軍の不発弾を再加工して、敵兵や戦車の通りやすい所にわなを仕掛けて爆破させるとのこと。

 普段の生活も紹介されている。長く戦いを続けるために食物を作るが、銃を背負い集団で田植えをしている姿には感動した。

女性は戦うだけでなく2時に起きて朝食を作る。炊事の煙は少し離れた穴から出す。朝もやに紛れて見つからないためだ。
 
落とし穴を仕掛け底には鋭い竹や鉄の先が待ち受ける。米軍が軍用犬を使い入り口を探そうにも、米軍兵士の服の切れ端を入れてあるので犬は違和感を感じず発見しない。

地下の作戦室があり敵の動きを観察し予想して裏をかき俊敏に攻撃する。米軍は最後まで翻弄されたそうだ。戦争後に欧米の軍事専門家が調査し結果は「史上最高に緻密な戦略、戦術システム」とのこと。

ベトナム人の驚異的な粘り強さ、チームワーク、戦略性の高さを実感した訪問でした。

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<1月6日 アンコールトムなど遺跡群>

カンボジア二日目の午前中はアンコール遺跡群をめぐります。

12世紀アンコールワット建立から50年経って王都としてアンコールトムが建設されます。この地域一帯が世界遺産です。その中心の建物がバイヨン寺院。
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私はアンコールワットよりこちらのバイヨン寺院の方が感動が大きくありました。
バイヨン寺院もアンコールワットと同じく第1回廊から3回廊までありますが、ガイドさんによると「界」廊とするのが正しいとのこと。第1が人間界、第2が王族界、第3が天界。昔は一般庶民は第1回廊の外からお祈りしていたとのこと。

面白いのが人間界で、色々な彫刻が見られます。闘いだったり、料理を作ったり、娯楽(闘鶏、闘猪)だったりで人間臭い。ラーマーヤーナやアーユルベーダなどインドから来た神話の物語もあるそうです。

第3回廊に行っても何となく親しみを感じるのは大きな顔の彫刻があるからでしょう。
何か既視感がすると思ったら、ディズニ―ランドのジャングルクルーズの中の古い遺跡を巡るツアーです。作者はきっとこの地に来たことがあるだろうと思いました。

心が穏やかになる地です。
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2018年01月06日

<1月5日 カンボジア アンコールワット>


ホーチミンから空路1時間、カンボジアのシェムリアップにつきました。ここからアンコールワットまで30分。

世界遺産アンコールワットは「都のお寺」と言う意味で12世紀に王様のお寺として建立されました。
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迫力ありますね。
外から3層構造になっていて真ん中の第3回廊のてっぺんに登ると周囲が良く見えます。回廊には女神や動物など色々な彫刻が見ることが出来ます。
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元はヒンズー教のお寺だそうですが、途中の王様の意向で仏教のお寺ともなり、中には大小の仏像を見る事もできます。オレンジ色の僧衣をまとった僧侶が修行しているのも見えます。

ガイドさんによると世界遺産になる前は家族で弁当をもって良く遊びに来たそうです。
ハンモックを張って昼寝もできたとのこと。

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2018年01月05日

<1月4日 ホーチミン 戦争の傷跡>


ホーチミンに来ました。ハノイから一挙に真夏で、蒸し暑い。大都会ですね。上海の旧市街のような賑わいです。

半日観光で、フランス統治時代の教会、郵便局、統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)そしてベトナム戦争博物館を見ました。

旧南ベトナム大統領官邸は解放軍が戦車で鉄柵で乗り越えたところで、ベトナム戦争終結のシンボルです。当時の大統領がヘリコプターで逃げたヘリポートも見学できました。

ベトナム戦争博物館、これは圧巻の一言ですね。米軍寄りの写真が多いですが、被害にあったベトナムの方々や枯葉剤で被害を受けた乳児、幼児たちの写真が生生しく展示されています。
 こうい残酷ですが、生々しい写真が展示されているのは戦争の悲惨さが実感できるのでいいですね。世界中の人たちに見て欲しいです。

ツアーガイドのおじいさんが南ベトナムの政府高官で戦争後刑務所に13年間入っていたそうです。お金のある方は海外に逃げて300万人以上のかたが亡命されたとのこと。途中で命を落とした方も多数。生生しいお話を伺いました。


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2018年01月02日

<1月1日 ベトナムの結婚式>

皆様、あけましておめでとうございます。

1月1日は次男夫婦のベトナムでの結婚式でした。東京では昨年4月に開催させていただきましたが、今回はベトナムのご両親が主催。。

朝8時スタートと言うが、実際のスタートは9時過ぎ。ステージに新郎新婦、両家の親が立つ。
いきなりマイクを回され私がご挨拶。
「シンチャオ(おはようございます)、シンカムーン(誠にありがとうございます)」あとは日本語で「今日は息子たちの結婚披露宴にご出席いただきありがとうございます。楽しんでください」とご挨拶。

アオザイで着飾った新郎新婦が紹介され、指輪の交換、ケーキカット、シャンパンタワーへの注ぎが続く。驚くのはステージ間際の花火。私の席40cmくらいのところに小筒が置かれ、火花が飛び散る。幾つか頭や顔に当たり「アチチチ」でした。
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あとは食事・懇談が中心。親族・ご近所の方々が給仕を務める。スピーディで組織力が素晴らしい。日本と違ってお酒はほとんど出されていなかった。出席者は465人とのこと。すべて電話でご連絡されたとのこと。家の前の道路はにわか駐車場になりバイクが並びます。
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次男の日本語講師養成コースで同期だった60歳代の日本人男性がハノイ、ホーチミンから駆けつけて下さって、私たち家族は食事をともにしました。お二人ともこちらで日本語講師、人材派遣をやっておられこちらの事情に詳しい。また追ってご紹介しますね。

2重にめでたいお正月でした。

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2017年12月29日

<12月28日 社会体育指導員中級の認定証>

今年も押し迫って、大掃除モード。

ゲシュタルトで言うと避けているものを直視する覚悟で、普段見ない引き出しの中、書類だまり、本棚などを大掃除。
 テレビで池の水を抜いて底を見るという番組が好評との事だが、それに似ている。開けてみるとまあ、出るわ出るわ。
掃除をするといいことがある。「ああ、これこんなところにあったんか」と言う探し物の発見がある。また掃除が進むにつれ気持ちが浄化して来るのは気持ちが良い。

写真は本棚の上にあった認定証。9月に受講した2泊3日の社会体育指導員講習会(中級)の認定証。
剣道は試合目的の時期は終わり、楽しみの時期に映り、今や国内外での指導の気秋があるので指導の腕を磨くとき。審判も仰せつかることが増えてきた。
全日本剣道連盟はありがたい組織で、学ぶ機会を体系的に多く設定していただいている、今後も気秋を見つけて講習に参加したいと思います。
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2017年11月20日

<11月18日 韓国剣士との交流>

韓国剣士4人が思斉館滝澤道場に来てくれて竹刀を交わしました。皆さん、三、四段ですが、熱心です。
子供たちのレベルの高い稽古風景を見て感激していました。
上段の剣士もいましたが、上段の名手 有馬八段が来てくれて指導されていました。
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稽古後も滝澤館長も交え、食事に行きましたが、明るく純真で元気。礼儀正しく、韓国の習慣で年上の我々お酒を注がれても横を向いて盃を空けます。

昨年末から隣国から種々の理不尽で不愉快なことをしかけられ、個人的にはこの国に対して非友好的な感情がありますが、それとこれとは別。  
日本が大好き、当道場にあこがれの気持ちを持たれてコツコツとお金をためて来られた30代、40代の純真な彼らとは付き合っていてとても気持ちが良くなりました。

気分がいいのでカラオケにご一緒したら大騒ぎ。ノリのいい彼らに影響されてこちらも陽気になりました。

草の根の友好は大事ですね。
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2017年11月19日

<11月18日 日本心理臨床学会での発表>


日本心理臨床学会の自主シンポジウム(横浜パシフィコにて)で「ゲシュタルトの組織への応用」を発表しました。
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日本ゲシュタルト療法学会の中尾文彦さんの発案で4人のパネリストが発表しました。ゲシュタルト療法の認知度を日本心理臨床学会で上げるのが狙いです。

江夏亮さんが「夢のワークへの応用」、
中尾文彦さんが「患者さんとの面談で身体に気づいてもらう」、三上道代さんが「産業カウンセリングでの応用」そして私が企業での応用をお話ししました。

聴講していただいた約60人参加者は「ゲシュタルト療法は本でしか知らなかったが、実際の面談などに使えるんだ」という感想をいただいきました。実際にゲシュタルト学会に入ると言ってくだあさる方がいたり、持参した学会や各団体のパンフレットがすべて持って行っていただき無くなるなどずいぶん関心をもっていただきました。
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▲カリフォルニア心理大学教授の江夏亮さんは「夢分析におけるゲシュタルト療法の応用」について発表。DVDの実際の面談をもとに説明されるのでわかりやすいと好評。
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▲産業カウンセラーの三上道代さんは従業員の悩みを聞きながら、ゲシュタルト療法を応用します。

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2017年09月27日

<9月25日 山形のこんにゃく料理>

山形の人は奥ゆかしいのであまりPRしませんが、実は食の天国。山海の珍味があふれ日本酒がまた合います。

 今回はこんにゃく料理をご馳走になりました。この写真全てがこんにゃくが入っているとは想像できますか?

果物のゼリー、数種類の小鉢料理、刺身、うどん、そば、フカヒレ、ソフトクリームなどバラエティーに富む30種類の料理で使っているのは板こんにゃく2本分とのこと。
 かみのやま温泉の「こんにゃく番所」でした。

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2017年06月05日

<6月4日 ハーモニカコンテスト決勝ライブ>

FIH主催の第37回ハーモニカコンテスト決勝ライブ。
うちの奥さんが複音部部門のソロ、デュエット、アンサンブル小編成(4人)、大編成(13人)の4つの部で予選をパスし全国大会に出場したので応援。
結果は・・・

 ソロ3位、大編成3位に入賞!
審査員の先生方も、「近年にない高レベルの参加者」の中で快挙だなあと思います。

 クラシックからジャズ&ポップス、ブルースまで半日間、素晴らしい音楽を聞かせていただきました。個人的には「エルクンバンチェロ」が良かったなあ。

 数百人の聴衆の前のステージに立つということは大変なことですが、気づいたことがあります。
1.最初が肝心
最初の数10秒の音の美しさ、リズム、大きさ、などで「これは良さそう」「ちょっと残念」との印象になってしまう。

2.演奏前後の立ち振る舞い
  フィギュアスケートじゃないけど、吹いている時のちょっとした間、吹き終わった後の表情、態度が明るく堂々としていると印象は良いけど、もじもじしている中身まで見栄えがしない。
  講演の際も同じ。剣道でも「風格」と言われるが同じだなあと感じました。

 最後の審査員の好評が胸にしみます。
「皆さん、レベルを上げるには練習しかありません。目標をもって望んでください。あの美空ひばりだって素人のど自慢では最初は鐘ひとつ。継続して頑張りましょう」

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2017年05月30日

<5月30日 ゲシュタルトのテキストと死生学>

帰国後の最初のミーティングは日本ゲシュタルト療法学会の研修員会専門コアチームの第1回打合せ。学会全体のレベルアップをゲシュタルトの専門家が集まって案を創ります。この案は研修委員会、理事会、評議員会、総会の承認を経て実行されますが、まずは標準テキストを創ろうということになりました。

 創始者Fパールズの時代の概念・理論は色々な本になっていますが、その後の変遷や現代のトレンドなどは共通のものになっていません。この数年話題になっている「関係性」や「我と汝」などの理論も日本人にとって何なのかが十分消化されていないのでずいぶん面白い議論が展開されることが予想され楽しみです。

 思えば日本の剣道は他の武道に比べれば流派は統一され全日本剣道連盟の元にまとまり世界に指導的な立場にあります。それも約150年前、100以上の流派の先生方が集まりそれぞれの真髄を持ち寄り一つの形(日本剣道形)にしたのが効いていると聞いています。ゲシュタルトもこれから様々な意見を出し合い新たな価値を創造する時代に入るのではと思います。

ミーティング終了後、素敵なおじさま方と懇親。死生学を学ばれている方が話題提供され、「いかに死を迎えるか」を生ビール、日本酒、焼酎を飲みながら語ります。
戦前の日本では「死を覚悟する」は当たり前でしたが、現代においても「今をよりよく、充実した毎日」を送るために「死をどう迎えるか」は必要な事かと思います。

それにしてもよく飲みました。生きているっていいですね。
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2017年05月29日

<5月29日 海賊と呼ばれた男>

昨日、帰国しました。3年ぶりのATDで最近の組織変革・人財育成・技術トレンドがキャッチアップできましたし、剣道交流では暖かい気持ちの交流ができました。

帰りの機内では映画「海賊と呼ばれた男」を見ました。百田尚樹氏の作で本屋大賞を受賞した作品ですが、出光佐三氏モデルの主人公 田岡鐵蔵を岡田准一さんが渋く好演されていました。心が震えたのは下記の3点。

1.海賊と呼ばれるくらい荒っぽいが、常識とらわれず勇猛果敢に難関に取り組み、障害があってお不撓不屈の精神で乗り越える。

2.大義(ビジョン)を掲げる。「国は戦争で敗れたけど必ずやまた立ち直る」「石油は国の血液だ。メジャーには渡せん」

3.社員(店員)は宝。社員も店主の望むことを死に物狂いで達成する。

数字にも強く戦略的な視点もある方ですが、昭和の大きなエネルギーを感じました。
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2017年05月20日

<5月19日 Atlantaでの初体験>

米国Atlantaに来ました。人材開発。組織開発のカンファレンスであるATDに3年ぶりに参加です。

今回ATDに出る前に二つ初体験をしたいと思いました。

一つはUber(ウーバー)。
一種の白タクのネットワークです。スマホにUberのアプリを入れておき、空港についてから行先を記入し、車のタイプ(大きさ、乗る人数など)を記入すると「あと何分で車が着きます。○○でお待ちください」とその経路が地図で表示されます。

 待ち合わせ場所につくと女性の声で早口の英語。「ここに来てください」と言っているですが、下手に動いて迷子になると嫌なので「私の方に来てください」とお願いしたと所、素敵な女性が来ました。
車内では会話が弾みます。日本文化の研究で大阪に2か月いた、今は短大で教えているなど。
ホテルにつきました、15$。あらかじめ登録したクレジットカードで決済されます。料金のトラブルもなく安心安全。便利ですね。日本ではもっと広がるでしょう。

二つ目の初体験は「Airbnb(エアービーアンドビー)。
昨年世界で8,000万人が利用したという民泊ネットワークです。これも事前に登録しておき、ネット上で住所、部屋の様子、価格を確認して予約します。利用者側もパスポートや自己紹介の動画を登録します。若干、めんどくさいですが、相互の身元確認は大事ですね。

 さて無事に契約した部屋につきました。鍵の受け渡しもスムーズで無事入室。部屋はアパート(マンション)の一室で思わずワオ!でした。ネットで紹介されている通りこぎれいでオシャレな部屋(写真参照)。2LDK。ベッドのシーツも清潔、バスタブも使えるしタオルもある、トイレもきれいだし、快適です。
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冷蔵庫はあるけど食品が入っていて、タンスや倉庫にはモノが入っているので実際に住まわれているのでしょうね。ギターや電子ピアノ、マイクがあるのでミュージシャンでしょうか。地方巡業中の間貸しでしょうね。IMG_7869.JPG


 知人や親せきの家に泊めてもらっている感じですが、会話をしなくていいのでホテルのよう。ダウンタウンの便利なところなので通常ホテルは200$以上ですが、その半額ならいいですね。
便利安心。リーズナブルでさらに広がっていくでしょうね。

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2017年05月15日

<5月14日 母の日>

新潟に嫁いだ娘からモンブランの丸いケーキ、長男から一流店のショートケーキ、次男夫婦からはお花と母の日のプレゼントが届きました(写真)。IMG_7837.JPG

 「このチーズケーキは高級なバターを使っている、この枝豆ケーキはスポンジケーキがきめ細やかになるよう原料をよく攪拌している」パティシェでパン屋経営の長男の解説を聞きながら美味しさが倍増します。
ストーリーで理解すると物事への関心が増すというよい事例です。

ちなみに夕食は回転ずし。おふくろによると「花もらうよりはみんなでワイワイ食べた方がええ」という関西人的な発案で家族そろって近所のリーズナブルなお店へ。
タッチパネルで次から次への注文に忙しく、じっくり会話を楽しむ雰囲気ではないですが、ところどころ次男夫婦の新婚旅行(京都、大阪、奈良)の話題に笑いが出ます。
家族だんらんが何よりの親へのプレゼントですね。

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2017年04月04日

<4月3日 ヴェトナムの親戚>

次男のお嫁さんの家族を空港まで送りました。短い間でしたが、別れの際は涙、涙。情が濃いですね。
 結婚式のあとは富士山、富士宮浅間神社、箱根などご案内しました。

異国の方々(ヴェトナムの親戚)と仲良くなるのは組織開発のプロセスと似ていますね。

まずはお互いを知る、尊重する。好きなことを勧め、嫌なことはしない。食べ物は天ぷらはお好きなようですが、刺身など生モノはダメ。うどんやお蕎麦は好きなようですが、割と少食です。お酒もそんなに召し上がらない(私が飲みすぎ?)。無理に勧めません。
 箱根峠経由で芦ノ湖に行きましたが、頂上付近は道路の両脇に雪が残っていて歓声を上げられました。駐車場に車を止めると雪で大はしゃぎ。雪だるま(アナと雪の女王のオラフみたいに手がある)や雪の塔を作っておられました。
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 仲良くなると言いにくいことを率直に発言されるようです。観光名所でサービスのお菓子をもらって息子が先に食べようとすると「だめ、お父さん、お母さんが先でしょう?」とお嫁さんのお姉さんに息子が怒られます。長幼の順を大事にされ、息子はこの順を乱すのでよく指摘を受けていましきた。我が家も含め、日本人は子供に甘いですね。

桜がお気に入りで、品川水族館でイルカショーを見たあと10分間放心状態だったお姉さん。最後に「帰りたくない」との言葉。

日本を好きになる人が増えて良かったです。またきてくださいね。
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2017年04月02日

<4月1日  次男の結婚式>

次男の結婚式・披露宴が無事終了しました。
多くの方から暖かいお祝辞・祝電を頂戴し感謝の気持ちでいっぱいです。
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▲親族の記念写真。

新郎の父親の役目は来てくださった方々へのご挨拶と披露宴最後の両家を代表してのご挨拶。8年前の娘の時の、腕を組んでヴァージンロードを歩くよりは日常に近く平常心で出来ました。

 臨席いただいた方々にお礼でお酌して回りますが、息子の人となりを多面的に知ることになり感慨深いものがあります。

 現在務める日本語学校の校長先生かたは「真面目で生徒に人気ある先生」

 前職のカメラ撮影や印刷会社の上司には「人柄がよく好かれていた」私に似て手先が不器用でご迷惑をかけましたと恐縮してのご挨拶でしたが、悪いことを言われずに安堵。

日本語教師養成学校の同期生からは「藤原君は物怖じしない。授業でいつも突飛な発言をするので周りは驚くが、彼がいないと寂しい」やっぱりとニンマリ。

息子の両親への感謝の辞ではしんみりしました。
「29年間育ててくれてありがとう。困った時に、相談に乗ってくれてありがとう。
小さい時からあっちこっち(ハワイ、米国東海外、カナダ、フランス、イタリア、北海道、九州)に連れて行ってくれてありがとう。
 来年から年賀状に乗る家族写真に自分が抜けるのは寂しい」

そう見られていたんですね。サラリーマン時代はいわゆる働き蜂で家にいないことが多かった私ですが、夏休みは1週間ともに過ごせて旅行できました。

彼と一緒の時を共有できて嬉しい29年間でした。

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▲日本人はモーニングより黒紋服でしょう。式場に伺うと父親の着物姿は年間1人、だそうです。

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▲長男が徹夜で作ったパンのお祝い。

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2017年03月28日

<3月27日 NASAスペースセンター>

NASA(米国航空宇宙局)のスペースセンターを見学しました。実際にこの場所からロケットが発射され、月へ行ったり、スペースシャトルが打ち上げられたりしました。
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1950年代宇宙開発競争はソ連に遅れをとりました。地球を一周する衛星を打ち上げられた時は冷戦で睨み合っていた「ソ連に空から見下ろされるのか」という大きな不安を米国民が持たれたそうです。その後もロケットの発射の失敗が続きます。
ケネディ大統領になって「我々は月に行く準備がある」というメッセージは国民に大きな感動をもたらしたことがビデオ映像でわかります。

1969年7月にアームストロング船長らが月面着陸したのは私が中学生の時で興奮したのを覚えています。
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現在の展示の目玉は本物のスペースシャトル アトランティス。18mをかなり大きいことがわかりました。アメリカの科学技術、製造力、そしてチャレンジスピリッツのとてつもない大きさに圧倒されました。

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2017年03月27日

<3月26日 フロリダの自然>

 湯川御夫妻の住まわれている家の前にはインデアンリバーが広がりとても気持ちの良い景色が広がります。
 湯川さんは朝日を見ながら河の上の桟橋で素振りをされるのが日課です。私も参加して日本剣道形を行いました。桟橋が狭いので歩測を間違うと河に落ちるのでスリルがあります。
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▲湯川さんは朝日を見ながら剣道の素振りをする。タイヤを叩くとイルカがのぞきに来るそうだ。
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▲朝日に映える娘婿さんがお持ちのクルーザー。

二日目の朝、素振りに行くと桟橋の下の水面に大きな影が見えました。野生のマナティと遭遇したようでした。ジュゴンの仲間で温和な性格ですが、地元の人の話ではこの数年みたことがないとのこと。非常に幸運でした。
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午後は湯川邸から20分ほどの河に行って、エアボート(下の写真)というの船に乗りました。後ろに大きなプロペラがありその推進力で進みます。
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河をすごいスピードで移動するのですが、野生のワニが20匹以上見れました。いつもの倍以上だそうです。ワニって腹ばいで歩くと思ったら手足を伸ばして歩くのは初めて知りました。IMG_7323.JPG


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その他、鶴に似た首の長い白い鳥、バッファローに似たたくましい大きな牛とも会えました。

フロリダのまぶしい太陽と自然に心が癒されます。

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2017年03月11日

<3月11日 震災体験を活かす>

もう3・11から6年たったのですね。改めて亡くなられた方々に冥福をお祈りするとともに今も復興をされている方々にお見舞い申し上げます。

先週は九州に出張でしたが、熊本に寄り震災後の状況をお聞きしました。知人は熊本の震源地から20kmほどの企業の総務担当をやられていますが、余震、本震、その後の地震の対応が非常に良くてたびたび新聞に取り上げられています。

刺身を肴に一献傾けながら、どうしてそれが出来たのか伺いました。2011年3月11日に東京本社の総務担当にいた彼は社員の安否確認や支援物質の手配、復旧、物流の確保に苦労しました。いろいろな震災に対する備えがないことを痛感したそうです。

その後、熊本に赴任した時に、震災対策を提案して実行しました。社員の方々は「熊本で地震が起きるはずがない」と言って本気で聞いてくれませんでしたが、粘り強く説得を続け震災発生訓練を何回か行ったそうです。

一番効いたのは夜間の安否確認訓練。自宅にいても会社にいても飲み屋にいても一斉に地震が起きたアラーム(仮想)を鳴らし各人が安否情報を本部に知らせるという訓練。
この一連の訓練でいざ夜中に起きた地震に対して全従業員が適切な行動をとれたとのこと。
備えあれば憂いなしということですが、過去の悲惨な内見を少しでも今後に活かす取り組みとして参考になりました。
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2017年01月11日

<1月11日 TA研究部会>

今週末1月14日(土)は今年初めてのTA研究部会の講座です。講師は日本ゲシュタルト療法学会元副理事長の岡田法悦先生。岡田先生は学会のスーパーバイザーを勤めておられる超プロフェショナルですが、ゲシュタルトと出会うまでは六角浩三先生や深澤道子先生のもとで交流分析を学んでおられました。ゲシュタルトと交流分析のコラボが楽しみです。

写真は先週末のTA研究部会運営委員会の様子です。
6月から始まる2017年度の年間方針や講師の顔ぶれが決まりました。
新年度も交流分析や隣接領域分野の日本のトップクラスの先生がご登壇いただきます。お楽しみに。

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<1月11日 TA研究部会>

今週末1月14日(土)は今年初めてのTA研究部会の講座です。講師は日本ゲシュタルト療法学会元副理事長の岡田法悦先生。岡田先生は学会のスーパーバイザーを勤めておられる超プロフェショナルですが、ゲシュタルトと出会うまでは六角浩三先生や深澤道子先生のもとで交流分析を学んでおられました。ゲシュタルトと交流分析のコラボが楽しみです。

写真は先週末のTA研究部会運営委員会の様子です。
6月から始まる2017年度の年間方針や講師の顔ぶれが決まりました。
新年度も交流分析や隣接領域分野の日本のトップクラスの先生がご登壇いただきます。お楽しみに。
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2017年01月08日

<1月8日 どんど焼き>

家の近くのたんぼで「どんど焼き」をやっていたのでお正月に玄関に飾ってあった「松飾り」を持って参加。燃えている焚き火の中で燃やして来ました。
子供が小さいうちはよく参加しましたので懐かしい思いがします。
写真のように子供が丸めたお餅を木の枝に指して焼くのは変わりません。
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私の出身地の三重県や大阪府では見なかったので「どんど焼き」とはどんな行事かネットで調べて見ました。

北海道から沖縄まで全国には色々な形態や名称があり、起源は平安時代だそうです。新年に門松やしめ飾りでお迎えした歳神様をお正月飾りや書き初めを焼くことにより炎でお送りする行事だそうです。
歳神様を送る火なので若返りの効果があり、その炎で焼いたお持ちや団子をいただくと1年間健康ですごせるそうです。
また子供のお祭りという位置づけだそうです。

通常は1月14日か15日に行われるのですが、時代の早い流れにそって繰り上げているのでしょうね。
2枚目の写真のように自治体の方々が豚汁とジュース・日本酒を振舞ってくださいました。地域交流の場としても良いですね。
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2017年01月01日

<1月1日 家族団らんの新年>

長男が家にいるので久しぶりに全員揃って家族団らんを楽しみました。次男は来年から新居で家を離れますのでこれが最後かと格別な思いがあります。
朝は近くの神社に墓参りと初詣。男三人、着物姿です。186cmの息子たちに囲まれ私が小さく見えます。
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 その後、お屠蘇にお節料理、雑煮。息子たちと日本酒を組み交わすのが楽しいひと時でした。
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▲我が家自慢のお節です。
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2016年12月30日

<12月30日 お餅つき>

年末恒例のお餅つき。
作りたてのあつあつのお餅を5種類の材料にからまして食べる。きなこ、あんこにごま、納豆、大根おろし、醤油に海苔巻き。
 ワサビ醤油につきたての餅はトロのように美味で日本酒と合うが、まだ午後の片付けがあるので今回はお預け。今回はごまの甘塩が一番美味でした。
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We make rice cakes as a Japanese traditional event of the year end. It is very delicious to eat small pieces of rice cakes which have just been made and twined round with 5 kinds materials, sweat powder of soy-bean flour and sweat bean-paste, sweat sesame, fermented soybean, grated radish, rapped by laver seasoned soy source.

Usually I like to eat rice cake which is seasoned by horse radish and soysause because it well-fitting to Japanese sake, however I gave up to drink as I have to put my room in order today.
I feel the sweat and salty sesame is the
best taste today.

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2016年12月29日

<12月29日 ベトナムツアー総括>

帰国して一日経ちました。やはり日本の湿度、気温は肌にピタっときます。帰国して慌ただしく仕事の残件や片付けをしていますが、ベトナム6日の意味を総括すると・・・
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1.新たな親戚ができた。
  2.5日間でしたが、9家族と深い付き合いができました。帰国日も朝4時にお嫁さんとお母さん、 おばさんが見送りに来てくださいました。

2.親孝行ができた
87歳のお袋も一緒でした。羽田空港について「パスポートを家に置いてきた」とわかった時は」慌てましたが、無事出発。よく食べよく歩き色々な人に「元気ですね」と言われました。周りの眼差しが暖かい。お袋も新しい出会いと体験を楽しみ新しい親戚とはハグをするくらい仲良くなりました。

3.ベトナム観光を楽しんだ。
 ハノイの繁華街、ハロン湾など見どころ満載。食べ物もGoodでした。是非皆さんもおいでください。

4.ベトナム人について少し知れたこと。
東南アジアでは女性が働き男性はのんびり、という傾向がありますが、男性もよく働きます。男女とも勤勉・正直・純情です。

5.経済発展の一端をのぞけた。
今日の新聞では今年のGDPの伸びは6.21%ですが、4年ぶりに前年の成長率を上回らなかったとのこと。世界生産3割を占めるサムソン工場がスマホ発火事故の影響で生産減が原因。
今回はビジネスではなかったのですが、道路沿いにキャノンやホンハイなどの工場があり「世界の工場化」を感じました。

 来年末はベトナムで地元の結婚式を行うとのことで再度訪問が楽しみです、

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2016年12月27日

<12月27日 ベトナム良いとこ、一度はおいで>

ベトナムは発展途上であり、街は人々は活力に満ちている。昼間の道はバイクであふれる。
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 学校は7時に始まる。11時までやって2時ころまで昼食休憩。夏は50℃まで上がるからこれでないとやっていけないのだろう。2時から5時ころまで授業をやって帰宅する。7時には一家揃って夕食。それからまた街に出かけるという。路上に小さい椅子を置いて深夜までおしゃべりする。
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 食事は概ねうまい。味付けは魚醤がベースだが甘くて酸っぱかったり塩辛さもあり唐辛子の辛さもあって複雑。女性には人気だろう。麺類のフォーは出汁が効いて薄口でうまい。シーフードや肉、野菜など具材も豊富。
 果物も豊富。バナナは自宅になっているし、柑橘類も多く取れる。
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ハノイは観光の見所も多い。。a href="https://vision-ct.co.jp/blog/2017/01/04/i/IMG_5895.JPG">IMG_5895.JPG
▲1070年設立の文廟という最古の大学。
他に世界遺産タンロン遺跡やホーチミン廟。
街の建物も民族風プラスフランス風。赤屋根で壁は黄色で目を楽しませてくれる。
 
気候風土が良い。12月の訪問でしたが、Tシャツは長袖シャツで過ごせる暖かさ。湿度が気持ち良い。
 

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2016年12月26日

<12月26日 ベトナム戦争>

 お嫁さんのお父さんはレストラン経営だが、元ベトナム空軍のパイロット。従兄弟も同じくパイロットで2番目の弟もそうだ。
 雑談の中で注意深く「ベトナム戦争ではどうして米国に負けなかったのか?」と質問した。

エキサイトして口々に話された内容をまとめると、優秀な将軍がいて緻密な作戦を立て勇敢な兵士が実IMG_6038.JPG
施、それでうまくいったとのこと。

ちなみに同じ質問はガイドツアーはじめ何人かに聞いてみたがその答えは、
1.勇敢で敏捷な民族(バイクの運転を見たらわかるでしょう、とのこと)

2.国のための一致団結
  命を大切にし自殺はしない国民性だが、国を守るためには、命を投げ出す心意気がある。昨年 、中国が北の諸島を専有した時には子供さえも出陣しようという意気があった。

3.チャレンジ精神と支える仲間
  何かを達成しようという気持ちがあり、 困難にぶつかってくじけそうになると周囲の仲間が励まし て支えてくれる。

ガイドブックを読んだ知識によると、昔から自分たちは南の中国だという中華思想があってプライドがある。それがベースで数回海外の国に占領統治され独立を勝ち取ってきた歴史的な精神性。
またホーチミンさんの国の統一の思想の影響が大きいように思えます。

これから歴史を学びより深く理解したいと思います。

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2016年12月25日

<12月26日 ベトナムの新親族>

今日からメインイベント。ハノイから車で2時間ほどのフトという村落へ。

2か月前に次男がベトナム人女性と結婚しました。可愛くてしっかりした方です。
順番は逆になりましたが、まだご両親にお会いしていなかったのでご挨拶です。
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お嫁さんのお父さんは6人兄弟、お母さんは5人兄弟。夜は一族が集まって20数人の大宴会でした。

異国に嫁いだ娘のお父さんは
「娘は日本で日本語を学び、帰国してホンダなど日本企業に入って、近くに住んで結婚してと思っていたが、 まさか日本人と結婚するとは・・・」と複雑な表情。

「お父さん、お気持ちは分かります。
娘さんは素晴らしい人です、私たちは日本の親になって、私たちが大切にしますから安心してください」と熱く伝えて、握手、乾杯、笑顔。
 この言葉を伝えるために遠路来たのだと思いました。
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2016年12月24日

<12月24日 ハロン湾観光>

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今日明日と世界遺産のハロン湾を訪問。海の桂林と言われるように、奇岩が海から顔を出す。2000の島が小さな湾にある。
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食事付きのクルージングはお勧め。コースの料理も美味しいし、小舟で魚介類を売りに来る漁師さんからカニエビ貝を買って船で調理してもらうのも醍醐味。
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鍾乳洞が島の中にある。つい20年くらい前に発見されたこの鍾乳洞、サルが洞穴に出入りしているのを見た漁師が断崖絶壁を昇って辿りついたら別世界のように広い鍾乳洞があったとのこと。
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2016年12月23日

<12月23日 ハノイ訪問>

5時間半のフライトでベトナムのハノイ国際空港に到着。昨年完成だそうだ。従来、市街地まで1時間20分だったのが、30分になったそう。

 現地時間は22時(日本は0時)だが、ホテルに着き散歩。
12月というに暖かく路上(歩道)にはテーブルを置いて多くの人がお喋りを楽しんでいる。美味しそうな匂いがする屋台でフォー(ベトナムの細麺)と茶色い肉入りチャーハンを頼む。ガイドブックにあったようにスプーンや食器をナプキンでふく。
美味!!
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ビール3本飲んでトータル600円。
幸先の良いスタートになった。

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2016年12月09日

<12月8日 創立記念日>

昨日はビジョンカムトゥルー株式会社の創立記念の日でした。11年間やってこれたのは国内外の多くの方の支えがあり感謝申し上げます。

 思えば12年前の11月1日に富士フイルム株式会社を退職しましたが、20日後に父が亡くなりました。会社も父親も無くなる後ろ盾のなくなる寂しさを感じました。
告別式も元上司や同期の仲間は来てくれたものの「富士の看板」があればもっと多くの参列者がいたかなあと思いましたが、一方で当時通っていた慶応ビジネスクールの先生、同級生10数人、岡野嘉宏先生ご一家、TA研究部会の仲間たち10数人が来てくれて「生身の自分のありがたい人脈」を感じました。

色々な方々に支えられて、あっという間に12年目。これからも多くの方々とともに進みたいと思います。
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2016年10月29日

<10月28日 友(朋)、遠方より来たる>

大学剣道部の旧友 関隆一郎氏(写真右から3番目)がフォリピンから一時帰国、旧交を温めました

 関氏は建設コンサルタントで海外生活30年以上。今は主にフィリピンでダムや河川工事の設計・遂行サポートを行っています。

今回、ドゥテルテ大統領の訪日に伴い、公共事業担当大臣も随伴。大臣の信任厚い関氏が日本でのお世話係として急遽一時帰国となった次第。
 フィリピン以外にインドネシア、ベトナムなどでも活躍する関氏のお話を興味深く伺いました。今も朝はランニングして筋トレをして素振りをする関氏に刺激をもらいました。
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2016年10月14日

<10月14日 八重洲ブックセンターで拙著販売中>

昨日、東京駅前の八重洲ブックセンターに久しぶりに行きました。2階のビジネス書コーナーを覗いたら拙著「苦手なタイプの部下の指導育成のコツ 課長虎の巻」が陳列されていました(写真右から4冊目)。嬉しいですね。
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ちなみに大前研一さんの大前ライブでも紹介されていたので知人から「見たよ」と声をかけられました。
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交流分析や再決断療法で世界的に有名なヴァンジョインズ博士の元で学んだ「人格適応論」をビジネスの場面に応用した本です。

上司の指示に素直に従わない、細かいことばかり質問する、黙ってしまい反応がない、上司を脅すなどやりにくいと思われる6つの部下のタイプを挙げ、どう対応するかを書いた本です。

事例が面白くわかりすいと好評をいただきます。一度書店で手に取ってくださいませ。

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2016年09月23日

<9月22日 韓国軍浦市訪問>

 3年ぶりの韓国訪問です。
ソウルギンポ空港に着くと軍浦市(グンポ)市剣道協会の方々が迎えてくれます。ホスピタリティ精神と屈強な肉体を持つ若い方剣士に荷物を持っていただき歓迎ムードが伝わります。
韓国軍浦市(グンポ)市と厚木市は友好都市になって11年、剣道交流は7年。日本から訪問団が訪れるのはこれが3回目。

まずは市長を訪問。
訪問団一人ひとりに金市長が名刺を渡し握手。それぞれご挨拶する。それから相互にまたご挨拶。拍手、歓談では「お代わりなくお元気ですね。」「いえいえ市長こそお元気ですね」と他愛もない会話をしてプレゼント交換、記念写真。
ほんわかと友好的な良いムードが広がり、またお邪魔しようと感じます。決して相手を批判・否定しない。これが外交の基本と思いました。
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▲ちなみに軍浦市はスケートの金メダリスト キムヨナ選手のふるさと。市庁舎にはキムヨナ選手の写真が飾られています。
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▲市役所には24時間開かれる図書館がある。金市長の名刺には「本とともに」と書いてあり、読書を奨励しています。

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夜は副市長さんが出席されての歓迎会。焼肉が美味しくまた友好の輪が広がります。
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▲軍浦館道場館長の閔さんと久しぶりに再会。
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▲早速 焼肉料理。小さくハサミで切ってくれるので食べやすい。柔らかくて上質のカルビ。

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2016年08月14日

<8月14日 孫のお付き合い>

今週は新潟の孫ふたりが泊まりに来ており毎日お出かけです。

森林公園でバッタをとったりスレチック遊具で遊んだりプールへ行ったり、公民館でレストランごっこ(一種のままごと)。
深さ30cmのプールの中で1時間以上ワニさんごっこをしたりぬいぐるみで全力でロールプレーをするのは疲れますが、発見があります。

1.泣いたり笑ったりする感情の移り変わりが早いこと。

2.レストランごっこで「その野菜を畑で育てたら」と言うとすぐ空いたテーブルやきゃビットの上が畑になります。その瞬時のクリエイティビティ。

3.6歳のお姉ちゃんは野菜用の畑と果物用の畑を器用に分けますが、4歳のぼくちゃんはそんなに器用にできない。お姉ちゃんはぼくちゃん(弟)を無視して話のわかるおじいちゃんとのみ話しますが、ぼくちゃんは置いていかれる。
TA(交流分析)の脚本の「重要であるな」が形づくられかねないので、おじいちゃんはお姉ちゃんと話しながらもぼくちゃん(弟)が寂しくならないようにお相手します。
家族療法の面談のトレーニングのようです。
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2016年08月08日

<8月7日 娘夫婦の治療院開業>

8月2日は新潟に嫁いだ娘にとって嬉しい日。柔道整復師の資格を持つご主人とともに「いとう鍼灸院・整骨院」の開業です。
 先週の開業セレモニーには約70人のお客様が鍼灸・整骨を体験されたそうです。
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 この土日は、厚木からも私たち家族がお祝いで駆けつけ、実際に体験。広い施術室には6つのベッド、国家資格を持つ娘夫婦が交代で施術をしてくれます。入念なマッサージから整体、電気治療、足腰の振動(新潟で2台しかない機器)、ウオーターベッドの泡によるマッサージ。1時間が至福の時でした。

「心と身体に花束」がコンセプトだそうです、今後も地元の方々によいサービスをしていくことを確信しました。
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2016年07月28日

<7発27日 宮古島の風>

沖縄県宮古島に休暇でやってきました。

空港に降り立つと真夏です。光が違う、風が違う、緑が違う。
数年ぶりに海に潜りましたが、海中の景色が違します。また海に浮かんで珊瑚や熱帯魚を見ていると。時間が違ってきます。
宮古の空気を吸うとこころと身体に生命が蘇る感じです。
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▲白くてサラサラの砂浜が広がる渡口の浜。
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▲知人に教えてもらった中の島ビーチ。珊瑚や熱帯魚がきれいでした。
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▲熱帯植物園にて。右の黄色い花はアラマンダというそうです。
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▲池間大橋途中で見た夕日。

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2016年07月27日

<7月27日 怒涛の2ヶ月を終えて>

6月、7月は怒涛の2ヶ月でしたが、ようやく峠を越えて夏休みです。

7月16日、17日の日本ゲシュタルト学会 第7回学術大会は大会長という大役でしたが、事務局長はじめ企画準備スタッフ、ボランテイアのおかげで無事に終了しました。「グループ・組織へのゲシュタルトのアプローチ」というテーマ・内容は好評でした。

本業がハードでした。2泊3日の企業研修が6週連続、合間に1泊2日が2回、大阪、福岡、旭川の出張がありました。

途中、パソコンが操作中にプシューと何回かダウンしたり、携帯の電源が突然入らなくなったり。酷使によるオーバーヒートでしょうか。
私自身も自覚はないものの消耗したようでした。

携帯は機種変更し、快調です。
私自身も心身とも機種変更したい気分(笑)。南の島で気分転換してきます。

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2016年07月05日

<7月5日 祝!新装開店>

パン屋を営む長男の2軒目の湘南台店が本日新装開店です。

おとついまだ改装中(1か月)のお店に花屋さんとともに下見に行きました。新装開店お祝いの花は店の入口の空いたスペースに目の高さに吊り下げるようにしました。世界らん展で奨励賞受賞の知人の花屋さんのオリジナル生花です(写真)。
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 下見をした時は4人のお店のスタッフが忙しく開店準備をしていました。パソコンでパンのメニューのデザインをしている人、電話で材料納入業者と話している人、厨房で新しく入れたパン焼き機の確認をしている人。オーナーシェフの長男が細かく指示をするというより20代から60代のスタッフが自ら工夫しながら仕事をし、不明点を長男と相談する形で、いいチームだなという印象を持ちました。

 昨年から月に一回ミーティングを持ち店の改善について話し合っていると言っていましたが、その成果が現れているようです。

本日開店、焼きたてパンの店「DONEER(ドネ;上げるというフランス語)湘南台店」
藤沢市湘南台2-6-3 湘南台ウエストプラザ2番地1Fビッグパワー内
http://www.shonan-navi.net/shop/shop.shtml?s=1431

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2016年07月02日

<7月2日 あと2週間でゲシュタルト学術大会>

日本ゲシュタルト療法学会の学術大会もあと2週間になりました(7/16・17)。
 グループや組織にゲシュタルト療法の考え方・技法を応用する我が国で初めての試みです。

組織開発の第一人者の中村和彦先生(南山大学)、家族療法の第一人者 東豊先生、そして組織コンサルタントの私が基調講演を行います。

 また学会員の研究発表も過去最高の13件。組織開発やコーチング、産業カウンセリング、新人研修への応用などのビジネス系や治療者・患者との関係性に焦点をあてる臨床系など多彩なテーマがあなたをお待ちしています。

二日目の午後はパネル討議と全体討議。
ゲシュタルト学会員でありながら厚労省で健康職場を推進している方、経営者、銀行の人事部長などが組織にどうゲシュタルトを活用するかを熱く語ります。

http://gestaltod.tokyo/gakkai2016

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2016年06月01日

<6月1日 苦手な部下との付き合い方>

今月から全国書店店頭に2冊目の著書「苦手な部下の指導育成のコツ 課長の虎の巻」(セルバ出版)に置いていただけます。

今までの研修や講演で経営者や管理職の方から「部下育成で困っている」というお話を伺いそれに答える形で12の事例をご紹介します。

上司として仕事を指示しても保守的で受け入れてくれない部下、心配で心配で細かいことを数多く質問してくる部下、あれこれ理由を言ってやってくれない部下、失礼で横柄な態度で接してくる部下、反応がなかったり自信がなくて引き受けるのを渋る部下などが登場します。私が今まで出会った実際の事例をもとに特徴と接し方、やってはいけないタブー、育成方針などを具体的にご紹介します。

ベースは恩師 岡野嘉宏先生から始めて習い、その後米国で原作者のヴァンジョインズ博士から教わった交流分析(TA)を応用した人格適応論です。今まで医療分野では紹介されていましたが、ビジネスや組織分野では始めての書籍と思います。

皆様、ぜひ手にとってご確認いただければと存じます。
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2016年05月22日

<5月22日 学術大会研究発表>

7月16日(土)、17日(日)の日本ゲシュタルト療法学会の第7回学術大会も開催まであと2ヶ月弱になりました。

 研究発表者からの抄録も着々と送られて来ています。今回は13件の発表と対前年85%増と過去最高ですが、中身も充実しています、

今回のテーマが「ゲシュタルトの組織・グループへの応用」。それにふさわしくコーチングやリーダーシップ変革、管理職や新人教育への応用など新しい分野の発表もある一方で、カウンセリング分野への実践的な応用研究など見どころ満載です。

早割は今月一杯なのでまだお申し込みのない方はお急ぎください。

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2016年05月21日

<5月20日 山形よいとこ一度はおいで>

 先週末は札幌、仙台、山形でコーチング、ゲシュタルトワークショップ、講演会でした。今週後半は東京でお仕事というハードスケジュールですが、山形の自然、温泉、蕎麦はじめ山海の珍味、そして「暖かい人情」に癒されているのを感じます。

 山形には観光資源がいっぱいあるのですが、シャイな方が多くあまりアピールしません。
ぜひ皆さん、一度はおいでください。

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2016年04月29日

<4月29日 ハーモニカ15周年コンサート>

連休初日は厚木のハーモニカグループ「吹夢Z(スイムズ)」の15周年ハーモニカコンサート。15年前は吹き方さえ知らなかった方々が今では全国大会に出るほどのレベルになりました。

 最初は15人のアンサンブル、そして一人ずつの独奏。4人グループのJOY夢は昨年の全国コンクール3位になったプロ級の腕前で見事でした。
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 私の奥さんが幹事役をやっているのでこの半年の苦労がわかっているだけに感慨深く拝聴しました。平均年齢70歳前後でしょうか、半分近くの方が人前での独奏は初めて。暗譜から始まって、マイクを前に数え切れない練習をされ、時には会場のホールを借り切って本番シミュレーション。

皆さん晴れ舞台で着飾ってお見事に吹かれました。成果があらわれてこちらまでジーンときました。
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2016年02月28日

<2月27日 人格適応論の部下育成>

4月に「部下育成に困ったら読む本ータイプ別部下対応 虎の巻(仮題)」が出版される予定です。
TA TODAYで有名なヴァンジョインズ先生の人格適応論を部下育成に応用した本です。この理論の応用は心理療法の分野にはありますが、ビジネス分野にはあまり見当たらないので自分の苦労・失敗事例をもとにまとめています。

 いくつか疑問点もあったので、ヴァンジョインズ先生の著書の訳者のお一人であり、ヴァン先生とも20年以上お付き合いのある繁田千恵先生(TA教育研究所 所長)に質問させていただきました。「流石です、なるほど」という回答をいただき貴重なヒントになりました。また対談する相手への細やかな気遣いも参考になりました。

終了後は懇親会。日本酒、お刺身を美味しくいただきました。

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2016年01月25日

<1月24日 厚木ハーモニカの祭典>

「あつぎハーモニカ コンサート」。
厚木はハーモニカの街で有名で全国から観客がやって来ます。この日も北は青森、南は佐賀から来られました。特に浜松からは貸切バスで団体がやって来て1400人の大ホールは満席。
 
 第一部は4人と1組のハーモニカのプロが演奏する。クラッシクからポピュラー、民謡と素晴らしい音に酔いしれました。特にジャズやボサノバがいいですね。「枯れ葉よ」などものびのびと吹かれ音も伸びやかに変化、ハーモニカの概念を吹き飛ばします。
厚木の大指導者、故岩崎重昭先生が育てたアザレアカルテットのウイリアムテルは痺れました。

 後半は60人から成るあつぎグランドハーモニカアンサンブル。日本最大級の合奏団としてオーケストラを聴いているようでした。ヴィアオリンとの協奏もGood。
普段使わない感性が磨かれたようでした。
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2016年01月16日

<1月15日 沖縄の旧友たち>

沖縄では毎晩旧友たちとじっくり話し合えお互い発見がありました。

専門学校講師で心理カウンセラーの旧友に大阪のゲシュタルト・ワークショップ大会で印象的だったアレキサンダーテクニックの話をし心と体の統合の話題をすると共感。彼女の場合はカイロプラクチクスの先生が表情や性格と筋骨格と関連付けて教えてくれるそうです。
「私は小学時代家庭が大変で随分暗い性格だったけど行動から少しずつ変えたのよ」私は彼女に明るくて前向きな印象を持っていたのでその苦労話は意外でした。

彼女の現在のプチ自慢は今までの卒業生全員に資格を持たせたこと。声を出させて教科書を読ませて要点を覚えさせ自信をつけさせます。

一人の生徒が印象に残っているそうです。非常に内気で本を声を出して読めない。かつて暗かった小学生時代の自分とかぶるような気がして「大丈夫よ」といつも彼女はその生徒を勇気づけたそうです。そのうちその生徒は声が出て少しずつ成績も上がり見事資格をとって卒業されたとのこと。

 かつての苦労も年月を経てその人の独自の強み・美点に昇華されいくのですね。
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2015年12月08日

<12月8日 独立記念日>

今日は当社(ビジョンカムトゥルー)の独立記念日。ちょうど11年前、希望と不安な気持ちで開業届を出した日です。
 おかげ様で丸10年、皆様のご支援をいただき何とかやって来れました。改めて感謝申しあげます。

さて先月、沖縄での人格適応論セミナーで公共の会場を借りる際に「営利目的はだめだ」と言われて当社の設立趣旨書を送りました。
そこには
1.高い志を持ち、自ら課題発掘・問題解決できる力を持った人間力あふれるリーダー・組織の育成・支援
2・自立(自律)し、自分らしく生きる方々への支援(親塾・教師塾・女性セミナー・青少年塾など)
3.海外諸国の人々・組織の教育支援を通じて海外諸国と日本の友好推進
 とありました。

こうして10年を振り返ってみると白紙でスタートしたものの、結構やれているのかなと思います。ビジョンは掲げるものですね。

さらにこれから10年、日本、世界、人々の笑顔を広げるためにまた初心に戻って頑張りたいと思います。
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2015年11月30日

<11月29日 ヒーリング体験>

那覇で初めてヒーリングを体験しました。

友人に「世界ランキングに入るというヒーリングの名手」Aさんを紹介されました。実際にお会いすると確かにすごいエネルギーを感じました。12月から海外に行かれるというのですぐ予約を取りました。

 最初は30分くらいの会話。「体力が落ちています、全てを手放して体を休ませなさい。自分も経営者で全国で講演していたが、断ってニューヨークやインドに行った。魂のグレードが上がった。あなたも 来週から仕事の予定はキャンセルすること」と言われ、これは同意できない、決裂かなと思ったが、まずは体を見ましょうと言われ、ベッドで横に。

「かなり筋肉も内臓も疲れていて倒れる一歩手前。このままでは死にますよ」と驚かされる。
確かにこの3週間ハードでした。

 お弟子さんも含めて3人がかりでマッサージ、とても気持ちが良い。特に胃のあたりを揉みしだかれて気持ちが良い。

途中「怒りが溜まっていますね」と言われ思い当たる人への気持ちを話す。父についてはゲシュタルトや内観療法で完全に消化したと思っていましたが、まだくすぶっていた気持ちが腹の底にはあったようです。

 ハワイの癒しの言葉ホ・オポノポノ(ごめなさい、許してください、ありがとう、愛しています)を繰り返していると気持ちが落ち着いて来ます。腹の中に瞬間沸く疼きを光の中に解放するとほんとに疼きが消えていきました。浄化とはこのことでしょうか。

約3時間のセッションでは期待していた霊的ショックや過去世と会うような不思議体験はなかったですが、終わるとだるかった体がすっきり軽い。生霊に何体か縛られていて取り除いてもらいました。
 ガチガチだった首や背中が柔らかくなりました。

あまり物事にこだわらなくても良いかなと気持ちも軽くなりました。
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2015年11月26日

<11月25日 3年ぶりの沖縄>

週末に沖縄でセミナー開催のために那覇に来ました。3年ぶりでしょうか。IMG_1555.JPG

モノレール内で中国からの観光客が「ネイガネイガ」と賑やかに話していたのと川を挟んで公園が整備されて眺めが美しくなったのが変更点でしょうか。
お昼は結構準備中が多く(夜が勝負!)、ようやくソーキそばのお店を見つけました。

私は沖縄料理は大好き。ちょっと中華に似ている。
チャンプルーは豆腐、ソー麺、フ。足てびち(豚足)は100%コラーゲンで美味。
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泡盛もうまい。4種いただいたが、琉球古酒が一番うまかった。
沖縄の旧友が言うには「40度以上の泡盛をちびちび水を飲みながら飲むのが良い」とのこと。それに従った。
やはりうまい!至福の時でした。
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2015年11月02日

<11月2日 大山の豆腐料理>

今日は素敵な方々、親業の辻村延子さん、恩師岡野嘉宏先生の奥様 八重子さん、ニューライフアドべンチャーセミナーのパートナー岡野亜希子さんと大山の豆腐料理をランチでいただきました。場所はこの地で一番人気の小笠原旅館。古くは大山詣での信者さんの宿というだけあって風情は抜群。古き良き日本家屋の良さが随所にあり外国人も喜ぶでしょうが、日本人も喜びます。

 湯葉料理はじめ、あざみ、かぶ、とろろ、かき、ふぐなど山海の珍味を堪能しました。
生きてて良かったという半日でした。
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▲畳のクラシックなお部屋に洋風テーブル。椅子の座布団は金の刺繍。殿様のような気分です。
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▲名物の豆腐料理。最初は白い薄膜を箸でとっていきますが、これが湯葉。えも言われぬ美味でした。
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▲一番舌が驚き喜んだのが「かぶのシュフレ(だろう)」メレンゲのようなかぶの下に淡美な具がぎっしり。器ももみじで美しい。
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▲天ぷらも独自。ゆばを衣に、ふぐ、かに、柿。病みつきになりますね、これは。
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▲デザートも甘美。
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▲年代物の大きな扇ですが、金箔でしょうね。
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▲旅館の随所にみられる大山灯篭。
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▲お見送りをしていただいた小笠原旅館の女将さん。朝、辻村さんに「雨足が強いので大丈夫ですか」とお気遣いの電話をかけてこられました。
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▲紅葉が始まりかけたお庭。

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2015年10月22日

<10月22日 誕生日>

本日誕生日です。
Facebookではに多くの方からお祝いメッセージをいただきました。ありがとうございます。ようやく200近い返信を書き終えました。できるだけお礼のお返事はしたもののヌケがあったらご容赦ください。

今回大台(還暦)に乗りましたが、普段通り楽しく元気にやっています。食欲もあるしまだまだ剣道の稽古も続けられます。今後もともに笑顔ですごしていきたいと思います。
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..写真はウズベキスタンの剣友Shuhkrat Alibaevさんが送ってくれたもの。多分、手作りの小物の防具でしょうね。気持ちがつながります。
これからも多くの方とともに元気に笑顔ですごしていきたいと思います。

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2015年10月18日

<10月18日BS朝日に放映されました>

 本日19:20頃、BS朝日「今、世界は」(木佐彩子さんら司会)に放映されました。
 一週間ほど前にディレクターからウズベキスタンジャパンセンター経由で今日か来週放映されるという連絡がありました。いろいろなニュースがあり今日ば放映されないかなと思っていたら、安倍首相が中央アジア訪問する中で、親日国ウズベキスタンと紹介、その中の日本からの援助プロジェクトの一環でウズベキスタンビジネススクールが映され、私も数秒登場しました。
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 日本からプロのビジネスコンサルタントが派遣され、現地起業家にヒントを与えるという文脈。ちょうど「起業家は従業員に、自分は常に成長しているという実感を持たせるように目標を与え支援することが必要(自己効用感)」という説明のところでした。この発想はこの国ではとても新鮮のようで皆さん熱心に聴かれていました。
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 我ながら笑うのはカタカナ英語で説明しながら、合間に「Wel」ではなく「ええと」という口癖。
 でも伝えたいという熱意は伝わりますね。
IT起業家のリーさんがTシャツ販売事業で成功され、家具販売のアブロールさんがさらに食品事業にも拡大されている様子が紹介されていました。この国のご発展に役立っているのを感じ嬉しく思います。
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▲家具販売を大きく伸ばし国内3位まで伸ばしたアブロールさん。ビジネススクールでアイデア、ノウハウを学んだとのこと。

引っ越した娘や孫からも「見たよ、カッコ良かった」という電話もあり私もドキドキ家族全体がちょっとした興奮状態でした。

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2015年10月16日

<10月18日 テレビで放映されます>

BS朝日『今 世界は』のディレクターから今度の日曜日か25日の日曜日に放映予定の連絡あった、とウズベキスタン日本センターからメールいただきました。

8月にウズベキスタンビシネススクールで従業員のモチベーションアップについて講義中、撮影されたものです。50cmまでビデオカメラが寄って来てアップの顔を撮られました。

時間帯は10月18日(日) 夜6:54-8:54 (または25日)
番組のウェブサイトは下記。
http://www.bs-asahi.co.jp/imasekaiwa/


何秒くらい放映されるかはわかりませんが、関西なまりの英語で講義している自分の姿がどう見えるのか、楽しみです。

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2015年09月22日

<9月22日 明日から大阪旅行>

皆様、シルバーウィーク楽しまれているでしょうか?
私は連日デスクワーク。普段は目先の仕事の準備に集中しますが、今回は書類の片付けと次の出版のための執筆に集中出来ました。次の出版は「元気な課長になる本」というテーマです。身体の元気、心の元気、仕事の元気を取り扱います。
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さて明日から遊び、孫たちとユニバーサルスタジオ行きです。今週いっぱいで娘家族は旦那さんの故郷に引越し、いわば「お別れ遠足」です。
飛行機、特急ラピード、新幹線に乗りたいというので大阪行きにしました。IMG_9378.JPG


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1か月前に手作りの「招待状」を渡して孫たちは大喜び。毎日この日の来るのを楽しみにしておりました。
明日、明後日も晴れそうです。

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2015年09月19日

<9月19日 将来を設計する>

先月末の山形でのワークショップ「人生マップで私の人生プロデュ?スー10年後の私に会いに行こう」(主催;おやコミ研究所)が山形市市民活動センターの広報に掲載されました。
http://www.yamagata-npo.jp/modules/d8/index.php?content_id=208

 今思えば、今後の将来について悩んでいた方がいくつかのエクササイズやゲシュタルトワークで進路がはっきりし、スッキリした顔で戻って行かれたのが印象的。全国に広げたいなあと思います。
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2015年09月08日

<9月8日 ボディサイコセラピー>

 人の顔や表情の左右って性格や現在・過去の自分の姿が現れるってご存知でしたか?

今週土曜日(9月12日)のTA研究部会は国永史子先生を金沢からお呼びして「身体は語る ボディサイコセラピー」。
今年1月の日本ゲシュタルト療法学会新潟のワークショップでも好評でしたが、今回は丸一日かけて「身体の不思議」について学びます。
国永先生はボディサイコセラピーを研究されて40年、著書も多数で日本の第一人者で、今も各地でトレーニングをされています。

 身体と性格との関係、より自分を開放しリラックスしたりストレスマネジメントする方法など実習を通じて学びます。
 まだ席に若干余裕があるので、ご希望の方は9月11日(金)までに事務局あてお申し込みくださいませ。

http://ta-kenkyubukai.jp/1214/03.html

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2015年08月22日

<8月22日 ウ国の街角の写真>

帰国しました。我が家は落ち着きます。新聞を見て、南北朝鮮の砲撃、自民総裁選など色々起きているのに驚きました。

ウズベキスタンにいた時に投稿していない写真です。
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▲大衆食堂の一角で男たちが卓を囲んでいる。麻雀かなと思ったら牌が違う。数字が書いてあり、トルコのゲームでドミノというらしい。
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▲ウズベキスタン料理の代表、トマト味スープとシャシリク。ミンチ肉のバーベキューです。玉ねぎスライスと合わせて食すると美味です。
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▲韓国料理。キミチチゲとプルコギ。本格的で美味です。2週間で4回食べました。この国には24万人の朝鮮系の方々が住んでいます。約100年前、労働力としてソ連時代に北朝鮮から連れてこられた子孫たちが活躍しています。だから朝鮮・韓国料理は本格的です。

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<8月22日 発展する会社>

タシケントを発ってソウルにつきました。
今回は従来の講義以外にコンサルテーションと二日間のOB5社訪問が印象的でした。

 皆さん、従業員数、売上・利益など業容を拡大されていて頼もしく思いました。中には一年で3倍成長という会社もあって驚きです。現場を見せていただきましたが、次々と新製品のための建物を広げておられ、急成長中なのも納得です。

 皆さんは「先生の一枚のシート(その会社の組織診断と強化策を提案)の通りにして今がある」「授業の何日目のあの説明通りにしたら伸びた」と持ち上げてくれますが、外部の人間が言うは簡単で、それを実際に素直にすぐ実行する経営者の方々に敬意を感じます。
  今回、ビジネススクール事務局のDamirさんに通訳をお願いしましたが、「ビジネススクールがこんなに役立っているとは驚いた。自分たちの意義がよく分かった。」と意欲アップしておられました。

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2015年08月08日

<8月8日 タシケントにつきました>

 昨夜20:00(日本時間24:00)ソウル経由中央アジアのウズベキスタンの首都タシケントにつきました。
 大陸性気候で昼間は40℃前後になりますが、夜はゆるみます。空港からホテルまでの車窓から見て新しいお店が増えているのがわかり、経済発展を感じます。
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朝、ホテルのそばを散歩しました。昼は酷暑ですが、朝は涼しく快適です。
ウズベキスタン自体は2重内陸国(海に出るまでふたつの国を通らいといけない)で、国土はほとんど砂漠と険しい山ですが、山の雪解け水のかげでオアシスがあり、首都タシケントは川や池があります。

これから2週間、体調に気をつけて現地の方々との出会いを楽しみたいと思います。
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2015年07月28日

<7月28日 当世若者気質>

写真は神戸大学武道場の艱貞堂(かんていどう)、1935年(昭和10年)竣工。学内最古の木造建造物。IMG_9200.JPG


ここで週末、OB有志の合同稽古、第5回OB東西対抗戦が開催された。感心したのは学生諸君が会場準備をしてくれたり、稽古後シャワーを浴びている間に稽古着、袴を畳んでくれる。非常に献身的でまめ。

 同窓で大学教授二人がいたのでは感想を言った。
「我々の学生の時はこういう先輩の面倒は見なかったな」

教授A「その通り。ただこれもキャリ教育の一環。今の学生は生活体験が少ないのでこれも重要なことと教えている」

教授B「我々の時に比べて学生は授業によく出る。ただ授業中、目は死んでいる.剣道やっている学生は自発性があり目が生きている。

極端だが、学生には講義に出なくて良いと言っている。その分、バイトでも良いから社会体験をせよ、学外の知らない人と語れと言っている。社会に出てから必要なのは挨拶する、言いたいことを言うというコミュニケーション力。加えて変化対応力。これは講義室では学べない」
 若者気質が変化しているんですね。

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2015年07月19日

<7月18日ゲシュタルト学会 第6回学術大会>

日本ゲシュタルト療法学会 第6回学術大会が始まりました。午前中はLynne Jacob博士。

午後は会員の研究発表。
私はトップバッターで「ゲシュタルトのビジネス・産業分野への応用―クリーブランドゲシュタルト研究所の体験より」を発表しました。

お陰さまで好評で「わかりやすかった。これならゲシュタルトも組織で使える。でも25分は短い、もっと聞きたかった」とご要望をいただきました。
いくつか勉強会で講演するよう依頼も頂きました。
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初日の夜は懇親会。各地区の登録団体の紹介が盛り上がりました。

世田谷グループはせいいちさんの「これがゲシュタルト」の歌に合わせてバックコーラス&ダンスを披露しました。

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2015年07月08日

<7月7日 来年のゲシュタルト学術大会 大会長>

 来年7月のゲシュタルト学術大会の大会長(日本ゲシュタルト療法学会主催)になります。昨日の常任理事会でテーマや内容も了承されました。
 
テーマは「ゲシュタルトのグループ・組織へのアプローチ」
従来ゲシュタルトは個人へのアプローチが中心でしたが、クリーブランドなど海外で大きくウェイトを占める組織への応用に焦 ビジネス産業分野はもとより官庁や病院、学校への広がりを探求します。
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今年の12月から労働安全衛生法が変わり、50人以上の組織の従業員がストレス診断を受けます。いかにストレスの少ない組織にするかが課題ですが、ゲシュタルトは大いに貢献できると思います。
今からが楽しみです。

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2015年06月10日

<6月10日 ゆったりと深呼吸する>

深呼吸をゆっくりして、お日様に感謝しながらストレッチする。今朝久しぶりにやったことで忘れていた感覚です。

この2週間、体がだるく朝起きるのが辛い。昨日は背中がパンパンに張っていて、マっサージに行っても鉄板見たいと飽きられられました。医者に聞いても異常はない。

友人のナースに尋ねました。すると、
「睡眠は?」「食事は?」「休養は?」「体重変化は?」「お風呂は?」と矢つぎばやに質問。答えていくと普段は優しい彼女は「健康管理してませんね、もっと体をいたわらないと」とばっさり。

答えながら思い起こしたのは
1.この2週間、体を冷やしていた。2泊3日の研修会場はクーラーが効いて快適だったが、私の席は風の真下。氷の入った水差しが一日3回変えられるが、あれを飲み続けるとおなかを冷やす。

2.メンタル面の問題。
年中無休で働く、特にこの3ヶ月は時間との競争だった。息を止めていた。
ゲシュタルトのワークを受けて、「認知を変えよう。大変、苦しい時こそ嬉しい、やりがいがあると思おう」とマゾ的認知に変えた。しばらくは「ああいいな、やれるじゃない」と思考と気持ちはうまくいっていたが、身体に聞くと悲鳴を上げていたんだとわかる。呼吸も浅い。
 酷使した身体に謝りながら深呼吸した。

女神にも感謝。
家族や友人、お客様そして自然環境。ゆったりと感謝しながら体を伸ばすと徐々にやわらかっくなっていくのを感じました。
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2015年06月07日

<6月7日 ハモニカ全国コンクール>

今日午後は終日御茶ノ水でハーモニカ演奏を聞いています。第35回ハーモニカコンテスト“決勝ライブコンサート”です。

 ハーモニカといっても私が小学校の時に吹いたものとはだいぶ違ってクロマチックハーモニカの何人かの奏者はフルートのような吹奏楽器やギターのような弦楽器のような幅広い音が出ます。クラッシックからジャズポップス、ソロからデュエッ、大編成と様々な奏者のハモニカまで楽しみました。

 なぜ行ったのかですって?
言い忘れましたが、奥さんがソロと4人組の両方で予選を通過、見事全国大会参加なので応援です。
結果をドキドキして待ちましたが、4人組は3位入賞。ソロもいいかなと思いましたが、残念。
 講評の審査委員の先生のコメント「基本が大事です。派手な曲でも一音一音正確に吹くことが大事」が印象的でした。なんでも共通ですね。

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2015年06月02日

<6月2日 出版しました>

おかげさまで昨日付けで出版することができました。
「3時間であなたの戦略をつくる(Making your Strategy in #hours)ー中期課題設定の教科書」

意欲に燃える若いマネージャーの主人公が、研修の中で目先の仕事だけでなく将来布石を打ち部下とともに成長していくことに目覚めるストーリーを描きました。
下記Amazonのリンクで、ご購入ができます。
http://amzn.to/1AIF0n0

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2年がかりでしたが、多くの方々のご協力をいただき感謝申し上げます。

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2015年05月21日

<5月20日 TA研究部会運営委員会>

今週初めのTA研究部会運営員会は多くの案件を決めていきます。皆さんボランティアですが、講師選びも交渉も運営も全て自分たちで行います。
第1回の6月13日の田島信元先生(生涯発達心理学)も事前に充実した資料をお送りいただき委員で回覧しました。
着々と今年度の参加申し込みも頂き、おかげさまでお得な年間会員もそろそろ満杯。

運営委員会の最後の40分間で3月ヴァンジョンズ先生のワークショップ概要を私から報告いたしました。TAの3時構造分析で胎児から乳児、子供の発達過程を丁寧に説明いたしました。

今年度も良い学びがありそうです。
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2015年05月04日

<5月3日 アンセル・ウォルト邸訪問>

日本ゲシュタルト療法学会の海外顧問であるAnsel Woldt(アンセル・ウォルト)氏のご自宅を訪問しました。恐縮ながらわざわざホテルまで迎えに来ていただきケント州まで1時間のドライブでした。
住宅地ですが、前後に自然に囲まれた大邸宅はリゾートのようです。愛妻Nancyさんとの2ショットを撮らせていただきましたが、仲良く手を繋がれました。
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夕食はこれも恐縮ながら自ら焼いてくださったステーキをご馳走になりました。家の内外あちこちにWelcomeという言葉が飾ってありますが、まさに暖かく歓待されました。
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来訪目的はゲシュタルトの歴史、GICの特徴をインタビューすることですが、多くの情報が得られました。ご本人はFパールズ以降の第2世代だとおっしゃっていますが、GICや建と州立大学でご指導されたその後有名になられた生徒さんたちの論文集は圧巻でした(写真)。IMG_8214.JPG


日本のゲシュタルト実践家に対して「もっとクライアントと対話しなさい。また日本で会いましょう」とのメッセージをいただきました。

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<5月3日 GICの卒業セレモニー>

クリーブランドのゲシュタルトトレーニングプログラムの卒業セレモニーです。
Facutyにお礼の意味で歌を歌います。We shall obercomですが、gestalt用語を使った替え歌も入り笑いを誘います。
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卒業証書をもらいます。写真は同年の同僚David、病院の事務部長です。
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Facltyたちと記念撮影。
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前日に仲間たちと撮った写真。お世話になりました。

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2015年03月23日

<3月22日 チャペルヒルの仲間たち>

米国3日目は地元チャペルヒルの仲間たちと稽古。厚木在住時から剣友Perker六段、Ralegh代表のKim5段、八年越しの剣友Mike三段、長身のナイスガイCox二段などと汗を流しました。皆さん、よく稽古をされていて構え、打突が格段に良くなっており、こちらも懸命にかかって行きました。
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夜は剣友Mike Watson氏御夫妻とシーフードを楽しみました。

彼とは8年前この地区で剣道をやっている人はいないかとメールで問い合わせをしたところ、「うちの道場に来てください」と成田で返事があり、チャペルヒルのホテルに着いたら迎えに来てくれたところから始まった仲です。

メールアドレスがkenshiというくらい日本や武道がお好きの方。昨年のあつぎ国際剣道祭も来て下さいました。その際も、四十七士(赤穂浪士)が好きで泉岳寺に行かれました。
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こういう付き合いが続くところがいいですね。明日からいよいよVann Joinea博士のワークショップが始まります。

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<3月21日 シャーロット>

剣友のMike Watson氏とともに2時間半のドライブでCharlotte(シャーロット)市へ。

米国North Carolina(ノースカロライナ州)の最大の街で人口71万人で今も増え続けている。
今はバンクof アメリカの本社を始めとして金融などで栄えているが、元々はゴールドラッシュの地。市の名前は英国ジョージ3世の王妃から由来するが、皮肉にも1775年米国で最初の独立宣言した町。南北戦争では激戦地で男性10%が亡くなったそうだ。

歴史博物館に行くと1774年に建てられた石造りの家が保存されてあった(上の写真)。次が泉の家。中を小川が通り穀物などの冷蔵に使う。最後は納屋。当時の暮らしが伺えた。
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Charlotte(シャーロット)剣道クラブはStrane先生やPhibeck先生がご指導されている30数人のクラブ。設立して15年になるという。

稽古をさせていただいたが、米国の剣士以外に京大OBの先生や元香港ナショナルチームの先生もいて充実した時間を過ごさせていただいた。

元々は2年前Chapel Hillの南西部の大会で知り合った石森氏とFacebook上で「お会いしたいですね」とやり取りしていたが、中間のこの場所でお会いすることになった。
さらに多くの剣友ができて幸せな一日でした。
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2015年03月21日

<3月20日 「僕らの祖国」>

米国ワシントンDCにつきました。これからノースカロライナ州ロリーダーラムに向かいます。

機内で知人に勧められた「僕らの祖国(青山繁晴氏著)を一気に読みました。若い人にも年配の方にも読んで欲しい本です。

著者は、エネルギーや危機管理の専門家でテレビにもよく出ているそうです。

3.11後の福島原発に身の危険を顧みず訪問しその実態をつぶさに見て、故吉田所長とも意見交換しています。現場のお話では、「地震では壊れなかったが、津波対策がなかった。原子炉を冷やすためにトップが迷わずに即海水を投入すれば解決したのに」。

著者は日本の領土をどう守るかにも関心が高い。第2時大戦の激戦地、硫黄島にも単独訪問。クリントイーストウッド監督で有名になった映画を見ての後。日本では60年間忘れられていた島。
今も多くの遺骨が埋もれています。

 現地の取材でわかったことは最高指揮官の栗林中将が米軍の来る前に住民を父島に避難させたこと。また「兵士には自決するな、撃たれるだけの万歳突撃はするな」と指示していたこと。

 米国に駐在して米軍の強さは身を持って知っていた中将が、一日でもこの島で生き延びれば本土の攻撃が遅れる。家族への攻撃が遅れるとの思いだったそうです。

 戦後教えられていない「祖国とは何か」。家族や子孫を守ることにほかならないと著者は訴えています。
他国に国民を拉致されたり、国土を侵略されることを見過ごしてはいけないと強く思いました。

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2015年01月09日

<1月9日 新潟県長岡の温泉地へ>

今日から新潟県長岡温泉。日本ゲシュタルト学会ワークショップ大会です。
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 新幹線で駅に着いたら、百武さん、岡田さん、江夏さん、守谷さん。そしてアンセル・ウオルト氏、ゴードン氏、モーガン氏という豪華な顔ぶれ。

 雪の中をバスで20分の温泉地。雪の中の露天風呂、最高です。
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2015年01月01日

<1月1日 謹賀新年>

皆様、あけましておめでとうございます。
今年は久しぶりに年越し稽古に参加。横浜市青葉区の円心寺竹田道場にお邪魔しました。
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23時から稽古は始まりますが、24時前に一旦中断。24時1分前に道場の明かりを消して黙想します。仏壇の明かりだけが残り幻想的です。ちょうどお寺の境内なので除夜の鐘がゴーンと響き渡り、ああ一年が終わり新たに一年が始まるなあ、と感慨深くなります。

1時前に道場を出ると除夜の鐘をつくための行列、初詣の方々とすれ違い、早速お正月気分を味わいました。
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朝起きて家族と初詣。父の墓参りも兼ねて恒例の飯山観音長谷寺へ。良いお天気でした。

朝は我が家のプチ自慢のお節料理。山海の珍味が食べられ幸せ。私はブリ、牛肉ロール、田作り(小魚の甘煮)が好物です。
おいしく食べて日本酒飲んで昼寝、これも幸せです。
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2014年12月29日

<12月28日 あの戦争と日本人>

海外出張前に成田で買ったこの一冊、非常に面白く「目からウロコ」本です。
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不勉強ながら、週刊文春や文芸春秋の編集長をやられ「日本の一番長い日」の作者、半藤一利さんって方存じ上げませんでした。
自称「歴史探偵」とおっしゃっるこの方の手法は徹底的に実証主義。公開文書や日誌を元に通説とは違う「真実」を追いかける。司馬遼太郎さんとも「それは違うのでは?」と論争されたとのこと。

この本の概要を簡単に言うと
「欧米露の進出で他のアジアの国々のように植民地化されそうになっていた幕末から明治の日本。重なる幸運と外交努力(英米の友好関係)もあり日露戦争を辛うじて勝利に持ち込んだが、それを気に慢心。
それまでの日本は彼我の戦力差、国内の消耗度を冷徹謙虚に観察し協力して国難にあたったが、勝利を機に日本は不滅の神の国と万能感を持ち精神主義に陥ってしまった」

第2次大戦時も40年前同じ銃と弾(敵国は自動小銃)で戦っていたのは悲しいお話。

白兵戦は日本のお家芸というのは間違いで、織田信長は長篠の戦いで銃軍団で武田騎馬軍団に勝ったし、山形有朋率いる官軍も圧倒的な強さを誇る薩摩軍に勝てたのも外国から大量に買った銃と弾のおかげ、とのこと。

色々な見方、考え方の基本を教わりました。

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2014年12月26日

<12月25日 ウズベク旅行社>

昨日の午前中は2社コンサル。

いずれも旅行社で、一社目はウズベクの人々を海外に送るツアー会社。一番人気は中国ウイグルのウルムチだという、意外に思ったが、買い物が目的で、ロシア語、ウイグル語が通じるのが人気だと事。次が広州ですって。

 売上は数倍に伸びており、この旅行社のスタッフはモチベーションが高く会社を改善するアイデアはりつつ共有できていませんでした。全体ミーティングの提案をしました。


2社目は海外(フランス、ドイツ、スペインなど)からの観光客を受け入れてツアーをする会社。規律が守られ、ガイド同士もどこのホテル・レストランが良い悪いの情報共有を行っています。
幹部の問題意識が明確で、新しい企画をいくつか教えてもらいました。羊を馬に乗った人が捕まえたる民族的な行事は私も見たいと思いました。
 また仕事が暇なときに政治・経済・文化の専門家を呼んで勉強会を行う企画はよりこの会社を強くすると思いました。
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2014年12月23日

<12月22日 企業訪問>

今週から、ビジネススクールの受講者の組織を訪問。

 まずは開業医。最高の医療技術を高所得者に高料金で提供し、一週間後の予約まで満杯。
スタッフのチームワークや院長とのコミュニケーションはよく満足感は高い成熟した組織です。

 ドクターたちは勤務に満足しながらも要望は高く... 「もっと専門性を上げるために院内で症例研究など相互研鑽したい」「院長は優しいが我々の成長のため厳しいことも言って欲しい」などのお話が出ます。成熟した組織も終わりは無いのですね。勉強になりました。
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次は薬局チェーン。
腕利きの薬剤師、医師をスタッフに揃え、立地よし、品揃えよしでかつては行列のできる繁盛店でしたが、改装のため休業したら客足が落ちたという。2ヶ月も休めば競合は喜び馴染み客は怒るだろうとあきれながら、再度強みを元に差別化策を考えます。
 
ランチは近くの上品なレストラン。8月のビジネススクール受講生がオーナーですが、味の良さに驚きます。東京でも成功する味です。この道18年の32歳のオーナーは「日々実験、経験から学ぶ」がモットー。フランスのワイナリーとも提携して美味しいワインを揃えるので夜の楽しみが増えました。
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 最後は広告制作会社の社長、人事部長と面談。
実は土曜日に「おいしいプロフ(民族的チャーハン)を食べさせたい」と誘われ付いて行ったら「会社が近いから来てくれ」といわれて「拉致」されました。結局、こちらは休日なのに営業、デザイナー、制作の方12人と3時間インタビューするハメになりました。

 高いチャーハン代だと思いながらも会社の構造がよくわかりました。
高品質の仕事なので売上は倍々成長。ただ高度成長の歪みが発生。小学生のサッカーみたいにボール(仕事)が来たら全員で取りにいくので、ダブリ漏れが出ています。
 役割分担すること、組織を顧客別に再編しプロジェクトマネジャーが営業から制作まで一気通貫で管理すること、新たな報酬制度など提案しました。

「ビジネススクールで一番役に立った。仕事で一番困っていることの答えを得ることができた」という社長の笑顔と握手が私への報酬ですね。
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2014年12月14日

<12月13日 ウズベキスタン日本人会>

昨夜はウズベキスタン日本人会の忘年パーティに参加。7年ぶりくらいですが、人も変わりかなり活気があるパーティでした。

最初は日本大使館の加藤大使のご挨拶。今年は大いに進展のあった年だったそうです。この国の3分の一,1000万人いる地方の電力供給のための火力発電所建設費用の円借款が決まったそうです。海外協力青年隊や私の所属するUJC(Uzbekistan JapanCeter)の諸行事も積極的に実施。
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出席者約300人は大使館、JICA、アジア開発銀行、三菱・伊藤忠・丸紅などの商社のご家族。UJC所長さんが司会進行でしたが、色々な方々と情報交換できました。

パーティはほとんどがゲーム(ピンポンリレー、二人羽織、じゃんけん攻防ゲームなど)でしたが、お子さんや奥様が楽しそうにしていたのが印象的でした。

色々ご苦労はあるようですが、異国の地で頑張る同胞の姿を見て元気が湧きました。

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2014年12月12日

<12月12日 日本文化の「道」>

韓国ソウル・インチョン空港は小雪が舞っています。来週からのウズベキスタン・ビジネススクールの講座は英語でなく日本語でやって欲しいとの要望があり、準備は非常に楽です。

再来週は特別に日本語を学ぶ大学生・高校生対象に剣道のデモンストレーションをご披露します。合わせて日本文化を伝えて欲しいとの事務局からのご要望。
2年前のメキシコでのゲシュタルト国際大会や昨年のTAの国際大会in大阪の原稿がありますので二日前に見直しました。

剣道から言える日本文化の特色はなんでしょう?茶道、華道、柔道など「道」に注目しました。
「道」に共通するものは何でしょう?無駄なものを省いて省いて本質を追求します。「柔よく剛を制す」のように本質のワザを使えば力の強いものに勝てるという科学的な教えがあります。また本質はわずかですか、宇宙全体や人間の生き方の縮図につながるものがあります。
そしてその本質追求を通じて、人格形成ができ、他者尊重の精神が醸成されます。

うーん、英語で表現も難しいですが、日本語でも異文化の方々に趣旨を伝えるのは難しいですね。事例を考えまししょう。
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2014年12月01日

<12月1日 健康のミネラル水>

この土日から健康のミネラル水デビューです。

 最近、健康づいていると言われますが、ご縁です。2週間前に久しぶりに再会した知人から勧められ、半信半疑で飲み始めたら血圧は下がり出すし体の底から力が湧く感じ。
もちろん剣道はやってるしよく寝ている。気持ちも安定しているし、マルンガイ風呂・歯磨きが効いているのかもしれない。

ただ前から健康に良い富士山の深層水は飲もうと思っていたので、より経済的なミネラル水の本格デビューとなった。
写真のサーバーを購入(約4万円)し、早速ミネラル水を作ってみた。お袋が興味を示し知人から聞いた話の受け売りをする。

「このミネラル原液は山陰地方の岩から出来ている29種類以上のミネラルから成る。体に入ると酵素、ビタミンなどの動きが活発になる。このタンクにはセラミックのフィルターがあり、水道水の悪い成分を取る」
お袋は「ふーん、山の中の谷川の水が体にええのと同じやね」と鋭いことを言う。

 我が家は水道水を煮沸して飲料にしていたが、気の早いお袋は全てこのミネラル水に変えだした。煮沸10分で塩素は消えるが、発ガン性物質のトリハロメタンは最高値に上がるので煮沸水は完全ではないとのこと。
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 お袋と一緒にタンクを見ていると少しワクワク。子供の時を思い出す。
昭和30年代は電化時代。湯沸かしポット、電気釜から始まって,洗濯機、冷蔵庫、テレビ、蛍光灯など家の中に毎年のように新しい魔力のある電化製品が入って来て、しばらくはその便利さ・珍しさを楽しんだ。それと同じような感覚に襲われる、プチ幸福感。

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2014年11月17日

<11月17日 トニーキーさん>

昨夜はカナダのゲシュタルトセラピスト トニーキーさんを囲んでの夕食会。遠くは北海道からファンが集まりました。
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トニーキーさんは日本にゲシュタルトを導入した初期の方、リッキーウルフ氏と同期で学ばれ、その関係で日本に10数年前にから20回くらい来られました。
私が初めてお会いしたのは15年くらい前、そのワークを拝見し「すごい人がいる」と思いました。「あなたのようになりたい」と言うと「トロントの研究所で2年くらい学べばよい」と言われましたが、その時私はサラリーマンで家族を置いて行くわけには行かず涙を飲んで諦めました。

その後、岡野嘉宏先生がTA・ゲシュタルトのファシリ養成コースを始めたり、ゲシュタルト学会ができ多くの講師から学ぶこともできました。また昨年からクリーブランド研究所に行き最新の理論・哲学と手法を学ぶことができました。

このあたりをお話すると大変喜んでいただきました。トニーさんはもう引退してワークショップはやっておられませんが、クリーブランドでも学んだことがある、「最近の先生や手法はどうか」と嬉しそうに聞かれました。まるで小中学校の恩師とあったように成長を喜んでくれました。

今回は中国で知人がワークショップを開いたので9日間ファシリテーターをやられたとのこと。「中国のゲシュタルトはどうですか」とお尋ねすると、心理学者中心に熱心に学んでおられるとのことでした。

来年はトロントで会おうとお話して優しい笑顔と別れを告げました。
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2014年11月07日

<11月6日 凄腕のファシリテーター>

午前中は9月に会った凄腕のファシリテーター、MaryAnnさんのOfficeにお邪魔しました。

日本に呼びたいと思うので個人情報をお聞きしました。1970年代からゲシュタルトを始め、カップル、グループ療法を学んで企業や個人対象のカウンセラーとして活躍。

興味深かったのはイスラエル、パレスチナ、ヨルダンなどの紛争国の指導者を集めた25日間のサマーキャンプでファシリテーターを三回務めた体験。甥が相手の国に殺されたなど生生しい感情をゲシュタルト手法で出させ徹底的に対話をやったそうです。場慣れしていて物怖じしない態度はこのあたりの体験もありそうです。

個人セッションでは「物事を先延ばしするクセ」に取り組みました。にこやかに最初は聴いてくれて時折り要約を入れます。
コメントはしません。すると整理整頓しない、服装をだらしなくする、対人恐怖、飛行機恐怖、父親との葛藤などの感覚が思い出され。共通の根っ子があるとわかってきました。

彼女の提案でお互い立って距離を近づけたり遠くするワークをしました。距離と心理状態は密接に関係するという実感をしました。何回かやっていると落ち着いて来ました。何があっても自分はOKという自己受容の気持ちになりました。

 号泣もしないし怒りもしない、たったこれだけで気持ち的にはすっきり、不思議です。何が起きたか彼女に聞くと「多分、管理されそれに合わす自分と勝手にさせて欲しい自分、その葛藤が統合されたんだろう」とのこと。

不思議な体験でしたが、気分は良いです。
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2014年11月04日

<11月4日>剣道祭のお別れ会食会

あつぎ国際剣道祭が終わりました。昨日、日本武道館から戻り、ホテルでお別れ夕食会。世界中の笑顔がいっぱいです。
この3日間、剣道の素晴らしさをお互い確認した他、世界14カ国の仲間が出来ました。厚木剣道連盟の準備運営メンバーも結束・信頼が高まりました。
乾杯、チアーズ、カンペイ、スコール、サルーテ、ブッズム、チンチン・・・世界の剣士が家族になりました。
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▲スペイン人剣士と
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▲米国人剣士と
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▲ブラジル、イタリア人剣士と
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▲韓国人、中国人剣士と

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2014年10月31日

<10月31日 朋 海外よりきたる>

昨日の海外アテンドのハイライトは富士山。
「富士山バックに写真を撮りたい」というウズベキスタン剣士の夢はかないました。
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印象的なことを上げると
・富士山5合目の売店で多くおみやげを買う。面白いのは菅笠。「サムライ映画でよく見る。買うのが夢だった」とのこと。
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・富士山から箱根への林間道で「降りて写真を撮りたい」との要望で停車。並木を撮るのかと思ったら、林の中へ3人が入る。あとで聞くと「ウズベキスタンの木は一本ずつ。林のように生え、下に潅木が生えているのが珍しいとのこと」
・温泉は丸裸になるのを嫌がりました。

・我が家での食事会、魚のフォイル焼きは感激した模様。
・家族一人ひとりに心温まる丁寧な贈り物を貰いました。面白いのは二人の息子にガラスの靴。最後の女性(結婚する人)に上げるそうで綺麗なロシア製の品でした。
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2014年10月28日

<10月28日 米国の友人>

今週末のあつぎ国際剣道祭に向けて外国人剣士が厚木の街に来訪し始めました。先週末はスペインからアスン・ゴンザレス五段が、昨日は米国からマイク・ワトソン三段が来られました(写真)。

毎年三月に人格適応論やTATodayで有名なVanJoinse先生のワークショップ(NorthCarolina州)に参加しますが、その時に剣道場はないかとネットで探して知り合ったご縁です。成田空港に着くと「稽古にきてください」とお返事が来て、ホテルについたら道場までお迎えに来てくれました。

彼はお父さんが仕事で沖縄など日本に来ていて写真を見て憧れを持ちました。彼の家には日本人
形や五重の塔などのペナントなど日本グッズがいっぱい。メールアドレスもkenshiです。

初来日ですが、大阪、奈良、広島を回って来られました。感想をお聞きすると
「米国と似ている。違う点は、電車が数分おきに来る、便利。
日本のビジネスマンはダークスーツでネクタイ、真面目な顔。街にカラオケ、パチンコは珍しい」
在日中、良い体験となることを祈念します。
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2014年10月21日

<10月21日 水と緑とエネルギー>

来週から「あつぎ国際剣道祭」が始まります。11月1日は演武会。弓道の射礼から始まり、真剣試し切り、居合、杖道、なぎなた、銃剣道など武道を見せます。

午前中は空いているので、日本剣道形の講習会を開きますが、付き添いのご父兄はつまらないと思い裏番組に「観光」を設営したら何と30名の申し込み。イギリス、イタリアの方も来られますが、京都や奈良の世界遺産を期待されても困るなと思い、何が見せられるだろうかと「観光コース」を下見しました。

宮ケ瀬ダム,愛川自然公園の中の郷土資料館、日本酒醸造所。
意外と面白い。何より、緑がきれいだし水が豊富。郷土資料館では木製の水車が回っていました。

「これだ、古来、日本では豊富な水を利用して、農業をしたり、穀物を加工した。鉄も川の砂鉄と木炭で作り、しなやかな日本刀を作った。森の再生力が強いので炭焼きが続行できたのが日本の強み。ダムも我々に電気エネルギーを与えてくれる。『水と森とエネルギー』がコンセプトだ!」
同行したフランス駐在経験のある剣道6段の技術士が関心していました。

1820年創業の日本酒醸造所「大矢孝酒造」の見学も魅力的。樹齢200年の大きなケヤキに囲まれた母屋の旧家が日本の古き良き建物を象徴しています。昔はシルクの元になる蚕を飼っていたそうです。

この辺の水はそのまま横須賀軍港にパイプで運ばれ、軍艦に乗って世界中に行きました。「赤道を越えても腐らない力のある水」と好評だったそうです。
それで作ったおいしい日本酒!

下見に行って我が住む街の素晴らしさに出会えました。

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2014年09月11日

<9月10日 Clevelandの剣道>

シカゴの朝は大雨、風も強いのでストームかな。シカゴオヘア空港に着いたら半分が欠航。私の乗る予定の10:42発も欠航で20:30発の搭乗券をもらうが10時間も待てない。キャンセル待ちをして2便目で運良く乗れた。3時間遅れ。日本時間3時なので猛烈に眠い。機内で熟睡。

Clevelandに着くと荷物が来ない。最後にあきらめて受付に行くとあった。早く到着していた。先に荷物を送ってします仕組みなんだと言う事がわかった。
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ちなみに写真はスーパーマン。Clevelandに住んでいたジェリーシーゲルさんとジョーシュスターさんが1930年代に創作したとの事。TVではスーパーマンが倒壊するビルを支えたり、壊れた電車のレールを修理する場面があった。私も嵐の中、予定より早く来れたのはスーパーマンのお蔭でしょうか。

ClevelandについてCase Western Reserve 大学での稽古に間に合いました。大学生だけでなく地元の剣友会の方も遠くから来てくれました。
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気づいたのは大学生の名前が李さん、陳さん、鄭さんなど中国台湾名が多い事。
剣道だけでなく昼間もアジアの生徒が多いのですかと尋ねるとそうですとの事。

昨年は出身地(故郷)で一番多かったのは北京で、米国より多かったそうです。この大学は卒業生がノーベル賞を16個とっている私立大学ですが、皆さん、医学や工学など熱心に良く勉強されるそうです。
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稽古後の食事会。右が松山母子。ご主人は大学教授でご夫婦で剣道を教えておられます。お嬢さんは小学校以来の経験者で鋭い面を打たれます。
左の鄭さんは台湾生まれ、幼少時ご両親とともに米国に渡られ、現在は歯学を学ばれています。

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2014年09月10日

<9月10日 シカゴの日本酒>

シカゴ(正確にはイリノイ州ハノーバーパーク)で研修の受講生だったエンジニアの案内で会社見学。世界最強と言われる営業軍団は実際は自宅を拠点に営業を展開。たまにミーティングでこのシカゴ空港郊外の会社に来ると言う事で社内では合えなかった。

夕食は富士フイルム時代の後輩も含めて和食。彼は来月、ブラジルに赴任。お二人とも海外での苦労を語るより、未開の地での開拓の楽しさを語る。異国の地の日本酒も美味でした。
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2014年08月16日

<8月15日 企業訪問その2>

ビジネススクール参加の生徒の企業を回る2日目。

1社目は広告代理店。シンガポール大学卒業の20代後半の若社長は本当に優秀。大手企業からエレベータ内の広告を取ってきたり、衣料材料メーカーのニーズを引き出して民族衣装の型紙用の雑誌を作ったり提案営業をしながら競合相手のいないビジネスモデルを造り急成長しています。

20代後半のマネジャーが20代前半の社員をポケットマネーで食事や映画に連れて行き良き兄貴分としてチームをまとめます。海外展開含む今後の拡販戦略について意見交換しましたが、今後ますます伸びる会社と思いました。
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2社目はこの国最大のレストランチェーン。
民族色豊かな本店始め、和食、英国風、モロッコ風など訪問のたびにお店が増えています。新しくホテルやスイミングプールテーマパーク建設を計画中。社内教育もよくやれているそうです。
トップマネジャーに顧客情報を共有しより顧客満足を上げるグループ活動を提案しましたが、あまり関心は示しませんでした。
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 3社目はトラクターやバイクを独占的に組み立て製造している会社。
家族的な社風ですが、従業員は保守的でなかなか生産的向上活動に取り組みません。
 まずは5S(整理整頓清掃)、作業標準を作成して徹底しながら、マネジャー教育をする事をお勧めしました。
レスリング選手だったいかつい体格の社長は優しいお人柄で「半年後を見ていてください」と力強く握手してこられました。

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2014年08月10日

<8月9日 タシケント剣道クラブ>

昨夜はタシケント剣道クラブで稽古の後、有志で夕食。名物のシャシリク(肉を串に刺して焼いたもの)をかぶりつきながらウオッカを飲みます。
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話題は剣道。「今日の練習は面白かった」など言われます。皆さん初心者ですが、興味が湧くように相手が逃げたところを追いかけて打つ技やお互い走っているところを打ち合う技の練習など工夫しています。

少し早いと思いましたが、先週からルールも教えつつ、試合練習も始めています。試合をやると打突の不充分さなど課題もはっきりします。

右側のがっしりした男性はリーダーのShuhratさん。今年の10月末、厚木の国際剣道祭にご招待していますので、「昨年末に企画を聞いて8カ月経った。あと2カ月、楽しみでしょうがない」とウオッカの杯を重ねます。
私もお付き合いしてふらふらになりながらも楽しい一夜でした。
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2014年08月02日

<8月1日 タシケントに着きました>

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中央アジアのウズベキスタンの首都タシケントに着きました。日本時間AM4時、現地時間12時。予定より2時間遅れました。
機内から出て入国管理まで数100m、皆順番を取ろうとしておばさんも荷物持って走ります。朝4時の寝ている身体にはしんどいです。
税関チェックも窓口の人は隣の窓口に行けとの指示。隣に行くと元へ戻れ、の合図。
意味が分かりません。仕事が嫌なんでしょうね。
ここは異国、あくせくしない、天を仰ぎ、深呼吸して気持ちを平静にします。私の前の人は梱包のビニールまでナイフで開けられて厳重チェックされてましたが、私はすんなり。
日中は40度位まで上がりますが、空港外は意外と涼しく快適でした。
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▲中継地の韓国ソウル・インチョン空港で。
貴族の行進でしょうね、韓国客は喜んで写真を撮ります。昨冬も見かけたので毎日やっているんでしょうね。
今や、乗降客は成田より圧倒的に多いと言うインチョン。工夫していますね。
成田、関空も大名行列やったらどうでしょう?
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▲成田空港のカウンターではボブサップさんとご一緒でした。

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2014年05月22日

<5月22日 TA研究部会運営委員会>

昨日はTA研究部会運営委員会。10数人のメンバーが2014年の活動について活発に意見交換します

1.今年のスローガンは「学ぶから活かす」。月例会で学んだことを参加者が日常にどう活かすかアイデアを出し合います。また委員も売れっ子の講師がいますが、TA研究部会で学んだ事をどう講演会、研修に活かしているか、シェアします。

2.広報
 Facebookに詳しいメンバーがいるのでFacebook活用を勉強しました。

3.他団体とのタイアップ
 今年は日本交流分析協会さんの年次大会(10月名古屋)に呼ばれています。講師として参加者に人気のある持ちネタや新規に創造したTAエキサイズをご披露する予定です。

4.相互勉強会
今回は私の情報シェア。5月にワシントンDCで行われたASTD(人財育成カンファレンス)の概要をパワポでお話ししました。
創業以来50年以上管理者を置かないフラットな組織のゴア社(社員1万人、ゲイリーハメル氏の「経営の未来」でも紹介)の事例が関心あったようです。

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2014年05月09日

<5月8日 アメリカから帰国しました>

帰国しました。Cleveland、Boston,ChapelHill,Washinton DCの17日間の米国滞在でした。
今振り返ると
1.米国の方々(含む滞在の日本人)の温かさ、真摯さ、パワフルさ。博物館などで苦労しながらも絶えず考え行動してCharengeし続けてきたことを感じました。

2.英語は多少聞けるようになったかな?

3.ATDのヒューマンバリューツアー参加の皆様との交流で、組織学習の効果を痛感しました。一人で学ぶとどうして認知のバイアス(一種の偏見)が入りますが、集団で学ぶのと質と量が全然違います。

▲ヒューマンバリューASTDツアーの皆さんと集合写真。

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2014年05月05日

<5月4日 スパイ博物館>

ASTDセッションの合間に博物館訪問。地元の人も進める「スパイ博物館」は面白かった。

3階はスパイの特徴。色々な道具を隠し持ったり乗り物に隠れ敵の建物に入り込み、情報を取ったり破壊工作・暗殺を行う。日本の忍者に似ているなと思ったら伊賀忍者の百地三太夫の紹介があった。

意外な事実は、第一次大戦に活躍した女性スパイマタハリはその美貌を活かし政治家・外交官から秘密情報を入手したとされるが、ほとんど彼女の想像だったことがわかった。
 第2次大戦中、日本の反米放送で「東京ローズマリー」と言う人がいた事(名前だけは知っている)
 原爆の技術的な秘密情報はイデオロギー、金銭によってソ連に流れた。1949年にソ連の原爆が完成し米国は核の恐怖に脅かされる。

 2階は007 JamesBondの映画ストーリーの紹介。スリリングな物語が再現されエキサイテイング、娯楽色豊か。敵役も時代によってリアルになる。Bondが登場する美女と恋をしたり命を狙われながらも最後は助けられるという男には都合よいストーリー。ヒロインも肌の露出度が時代によって変わるなあと改めて思いました。

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2014年05月04日

<5月3日 ワシントンDC>

 明日からASTDなので、ワシントンDCに移動。良く晴れて暑いくらいの陽気。 博物館を二つ回る。

▲有名なワシントンDCの記念塔。170mほどあるそうです。

国立アメリカ歴史博物館。3時間かけてじっくり拝見。アメリカの栄光と繁栄の裏の痛み、苦労、挑戦、闘い、改良、団結、貢献などを感じます。
一階は鉄道、自動車、食糧、電化製品など科学技術の歴史。初期の消防車がありました。始めは消防士はボランティアだったんですね。

▲蒸気機関で出来た初期の消防車。ボランテイアの方々が街を守る。

2階はアフリカ系アフリカ人歴史。奴隷制度、南北戦争、リンカーンによる奴隷解放、キング牧師など公民権運動の写真・データで赤裸々に紹介。無料でこういう事実を残していくのはとても大事な事です。

 3階は戦争。フランス・スペインとの戦争、そして英国からの独立戦争。第2次大戦になると日本が出てくる場面だけでなく、あどけない米国少年兵を見ると映画「永遠のゼロ」を思い出し心を痛める。女性も戦争中は工場で兵器を生産。そして朝鮮戦争、ベトナム戦争。
 その反対側のブースに歴代の大統領の顔写真。ファーストレディ(奥さん)の豪華なドレスの実物が飾ってあるのがほっとする。
▲あどけない少年飛行兵の顔。戦争のブースの入口にあり「永遠のゼロ」を思い出す。



 二つ目はホロコースト博物館。これも無料。ナチスの被害者には胸が痛む。2階は現在のホロコースト。ほとんどがアフリカは旧ソ連領。我々が何が出来るかと考える。

ASTDに出られる方たちと夕食。皆さん、英語は堪能、世界事情に詳しくグルメ。こういう方たちとの会話が刺激的。
地元の方々で賑わうこのレストランの料理は見た目も豪華(思わず皆さん,WAO!)で美味でした。

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2014年04月29日

<4月28日 ボストンの街>

米国最古の街のひとつ、ボストンを駆け足で回りました。
英国から独立のきっかけとなったボストン茶会事件の現場は博物館になっていました。説明員が当時の服装に扮して「英国議会に人を出していないのに税金を取られるのはもう我慢できない」との説明が臨場感がありました。

その他、ボストン美術館、歴代の大統領を7人・ノーベル賞が150人以上輩出のハーバード大学、最先端の技術研究のMIT(マサセッチチュー工科大学)。
歴史と現代の最先端が同居しているところが魅力です。それにしても寒かった。セーターとマフラーが離せません。
▲英国の横暴に植民地時代の市民が怒るという設定のボストン茶会事件の船&博物館。市民を扇動するアジテーションが見事。この後、積み荷の紅茶を海に投げ落とすという参加者の体験型アトラクションにつながる(社員下記)。



▲ボストン美術館。ピカソの絵が良かったなあ。

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2014年04月23日

<4月23日 永遠のゼロ>

 シカゴ空港に着くまでの機内で、映画「永遠の0」を見ました。単行本も大ヒットし見た人がみんな泣くと言う評判の映画ですが、私も涙、涙、涙。

 岡田准一さん演ずる主人公、宮部久蔵教官の家族愛、部下愛が美しく悲しく描かれていました。当時では珍しい「愛する人のために生きて帰れ」の信念が周囲に強烈な影響をもたらします。

 私は映画は好きですが、日本の戦争映画は嫌いです。内容が悲惨だし、日本の弱点があぶり出されるからです。この映画も同様でした。

 主人公は優秀な中間管理職で現在の日本のマネジャーに通じるものがあります。優秀なゼロ戦と言う武器を使い、猛烈な訓練を経て、世界でトップの戦闘集団を作ります。それを支えるのが日々の個人での鍛錬と細かい神経を使った戦闘機の点検、合理的な思考法、部下を愛し身体を張ってかばう精神。

 日本軍は個々の戦闘では優秀で初戦は連戦連勝ですが、ミッドウェー海戦以降は情報収集力や戦況予測を踏まえた状況判断、戦略の差で連敗が続きます。
この辺も最強だった1980年代の日本製品と1991年以降の「失われた日本」を連想します。
 
 私はこれから17日間、米国で最新の心理学やマネジメント、組織学を学びますが、日本のかつての優秀な方々から学ぶ事の重要性を感じました。

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2014年04月12日

<4月12日 上海いろいろ>

今回、一番面白かったのは「田子坊」。
元々は倉庫や工場街だったのが世界中のクリエイターが集まってリニューアルされたアート空間。小物屋さん、ギャラリー、ブテイック、グローバルなレストラン、スナックになって欧米人や若い中国人が散策したりのんびりビールや生ジュースを飲み語っています。国籍不明な解放感があり、中国と言うより、バリとかインド、タイなどのリゾートの雰囲気。売っているものの単価が安いのも魅力です。

 上海観光というと浦東のTV搭か、豫園の浅草のような昔ながらのお庭と商店街、南京路の繁華街でしょうが、この地区は若い人にもお勧めです。
 新しいものを次々造る上海の魅力の一つですね。

 昨年4月もご紹介しましたが、上の写真が上海虹橋駅の新幹線を待つ待合室です。空港のような広さがあります。ここから北京、杭州、南京など南北、西に数本新幹線が走ります。

 空港で言うとすぐ隣の建物上記写真右)が国内の要である虹橋空港。羽田空港と新横浜駅が隣り合わせで、地下鉄で大手町とつながっているようなものです。鹿児島から羽田に来た人がそのまま歩いて新幹線駅に移動して富士市に行くような感じ。交通のネットワークを作るダイナミックな戦略性を感じます。


 地下鉄も久しぶりに乗りましたが、ホームの安全策は完璧ですし、次の電車まであと何秒と言う表示も日本ではあまり見かけません。乗り換えの地上での表示も親切です(写真3)。
 
地下鉄が以前より静かと思えば、通話する人が減り、周囲の人全員が携帯をいじっていました。5人に1人はiPadもどきの
携帯端末で番組を楽しんでいました。

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<4月11日 現代の上海>

 4日間の上海出張から戻りました。
新聞では中国の経済失速が伝えられますが、クライアントのビジネスは順調です。昨秋政権が変わって富裕層や高級官僚の締め付けは厳しいようですが、上海では母体が大きいのか,北京に比べると街を歩いていて順調な経済を感じます。

 中国全体平均の6倍の購買力を持つ上海市民と言われますが、中級・高級店のファッション・小物屋さん、電気店、レストラン、旅行代理店などはかなり混んでいます。夜、知人に繁華街、新天地に連れて行ってもらいましたが、洋風レストランで音楽とともにワインやビールを楽しむ若いビジネスマンやカップルを見て欧風生活を楽しむ新しい富裕層の誕生を実感します。スタバ(こちらではシンバック)も日本円では400円以上するコーヒーなのに結構席は埋まっています。

 今回の研修やコンサルの対象はジューリンホゥ(90後、1990年以降に生まれた人)と言う世代で、行儀はいいですが、10年前の世代ほどがつがつ質問したり勉強しません。一人っ子で8つの財布(両親及びその祖父母が金を出す)を持った恵まれた世代なので、仕事が嫌になったら会社を辞めてしばらく自由に暮すそうです。とは言うものの、IT技術を持っているのでいつ大きなビジネスを作り出す可能性に満ちた世代です。


▲昔の欧州列強が造ったビル。バンドまたは外灘(ワイタン)地区。

▲人民広場から南京路。新世界ビルを望む。

▲まだまだバイクは人気のある乗り物。電気スクーターも多い。

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2014年04月01日

<4月1日 欧州ツアーの収穫>

アムステルダム空港ではレンタカー返却場所を間違え、出発ギリギリ、手荷物は重量オーバーで追加料金、搭乗シートがないというアクシデントがありましたが、無事先ほど帰国しました。日本は桜満開、春ですねえ。
 12日間のスペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー、ドイツをめぐる個人ツアーでしたが収穫大でした。

1.剣道交流が広がりました。技はこちらが教えても、学ぶ真摯さや礼儀作法・所作の遵守は欧州剣士から刺激を受けました。

2.各国がどうして繁栄し、凋落したかの知見が広がりました。
<繁栄のコツ>
(1)国民が真面目、質素、勤勉、我慢強い
(2)リーダーは戦略的、システム的、視野を広く合理的に考える。産業を作り、雇用を生み出す。国民が不利な事も伝える。
(3)周囲の国の人とうまく付き合う。部下を上手く使う。威厳を持ちつつ権限移譲。
(4)教育設備を整える。子供に考えさせる。
(5)適度に戦いに揉まれ、先人や他国の事例に学び、生き残る学習をする。
(6)生活を楽しむ。残業しない、家庭を大切にする。

<凋落する傾向>
(1)リーダーが私欲に走る。多額の富で教会、公会堂を作っても大学や自国の産業振興には使わない。
(2)植民地の経営が直接的、搾取的。部下も疲弊する。

3.おいしいものを一杯いただきました。皆おいしいですが、一番印象に残るのはポルトガルで食べた「イワシの丸焼き。」庶民料理ですが、サンマに似て私の舌に合いました。


▲お店のおじさんの入れてくれた赤ワインもなかなかいけました。

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<3月30日 ドイツの秘密>

アムステルダムの予定を急きょ変更、ドイツ・デュッセルドルフの剣道部後輩に会いに行く。ブラッセルから車で2時間半。後輩は英国駐在の後、現在欧州全体のマーケティングを担当している。

 おいしいビールを飲みながら、聞きたい事を質問した。
Q1;ドイツの強さは何か?
A1;国民が真面目で良く働く。経営者が優秀。どうやってマーケットを広げ、利益を上げるか仕組みで考えている。現場に頑張らして疲弊させる事はしない。

Q2;従業員は残業しないと聞いたが?
A1;残業しない。朝は7時か8時に来て、夕方4時か5時には帰る。集中力がある。家ではまず1時位子供と遊ぶ。暮らしは質素だが、休日は近くの公園に行ってゆったり過ごす。夏の休暇は2.3週間。幸福そう。

Q3:EUが出来て一人勝ちしている?
A3;ベルリンの壁崩壊以降、東欧のマーケットを広げたのが大きい。
その間、東ドイツと統合。2万円/人年の負担を数年間国民は耐えた。多額の投資がされ東ドイツは建物や交通システムなど近代化され経済格差がかなり縮まった。

Q4;ドイツの経営者が優秀な理由は?
A4;英国もそうだが、合理的に考えるし、視野が欧州や世界全体に広がる。教育の効果が大きい。ドイツ生まれの人は英国や米国で学ぶ、英国生まれの人はその反対。あえて違う国で学び視野を広げるようキャリアプランをする。
 親が設計する場合多い。親の視野が広く財産がある場合が多い。

▲ドイツと言えば、ビールとソーセージ。

▲意外とシーフードもうまい。名物、ムール貝をトマトチリソースで蒸したもの。白ワインが合いました。

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2014年03月30日

<3月29日 ベルギーの魅力>

ベルギーは観光として穴場。見るべき場所(建物)が多い。美食の街。海鮮料理始め、確かにうまい。一度来るとファンになります。
 
▲ヴィクトルユーゴーが世界で最も美しいと言ったグラン・プラス大広場。

▲有名な小便小僧の像。おしゃれな服を着ていた。

一番知りたかったのが、何故1人当たりのGDPが世界トップか?
1.化学工業、食品などの工業が発達。ゴディバのチョコレートやダイヤモンド加工代表されるように付加価値が高い製品。

2.交通の要所なので多くの企業が本社や物流拠点を置く。EUの本部。剣道でも4段以上の昇段審査はこの地で行う。

3.株や土地に投資して利益を稼ぐ。金持ちが多い。税制特別優遇もしていると思われる。

4.国民性で自国が一番と言うプライド、排他性が少ない。世界中の人財が集まる。
そういえば剣道やっている人も、スペイン、ポルトガル、フィンランド、イタリア、日本人など他国から来た人ばかりだ。

5.戦争に巻き込まれたり、占領されたりでどうやって他国と上手くやっていくかのノウハウがありそう。言葉はフランス語が首都ブラッセルがメインに使う。他にドイツ語、オランダ語が公用語。英語は公用語ではないが皆わかる。海外と交流しやすいというわけです。

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2014年03月28日

<3月26日 富士フイルムオランダ工場>

アムステルダムから1時間ほどで富士フイルムヨーロッパ(オランダ工場へ)。31年前設立の会社だが、私が富士宮工場勤務時代、製造立上げ要員のオランダ人や人事担当者のお世話係をやった事があり特別な思いがある。

 最新の製造工程を見学、日本に無い設備を見て感心。日本人スタッフはいるものの運営は全てオランダ人が行っている。現場で新種類商品をテスト中、数人のオランダ人オペレーターが真剣に設備を見ていたのが印象的。

 見学後、居酒屋で日本人スタッフとビールとワインで当地事情をお聞きする。
◎ここTilbergは自然が豊かで暮らしやすい。子供の教育にも良い。ドイツやフランスにも近い。パリまで車で4時間なので先日、日帰りで家族で行ってきた。

◎オランダ人は質素、勤勉、合理的。残業はしない。ただ経営層、マネジャーは自宅でメールを見たり仕事をしている。

◎町のお店でオランダ語で話しかけてきてこちらがきょとんとしていると英語に切り替わる。ほぼ英語はできると思ってよい。
米英のテレビ番組は吹き替えなしなのでそこで覚えるようだ。ポルトガルや北欧も同じ。スペインは吹き替えをする。

◎大国の間にあってどう生き延びようとするか良く考えている。
◎EU全体は隣国同士は悪口は言うが良くまとまっている。話し合いを続けて合意できるところはやり少しずつ現実的に進む。


ある人から聞いたが1980年から1995年、自動車や電機製品など日本の製品が最強だった時、本当に欧州は日本に席巻されるという危機感があってEUが出来たと聞いた。
今はどうだろう?

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2014年03月27日

<3月26日オランダ・アムステルダム>

リスボンから空路3時間、オランダに来ました。スキポール空港は大きいですが、照明が全体に暗い。その割に表示やお店の照明が明るくて目立つので効果はある。合理的。

 レンタカーを借りるが、ナビがオランダ語。多分スタートして下さい、右へ行ってくださいと言っているのだろうが、わからない。そもそも目的地の単語がわからずに30分くらい操作してようやく終了。首都アムステルダムも一方通行が多くてホテルまで行きつけない。前の狭い通路から市電が来たり、あわや接触しそうになったり,適度に緊張。

 ホテルについて街を歩くと建物が黒っぽい、樹木が少ない(と言うか中心街はない)。運河の色は黒い。その分、船や電車の白とブルーが映える。

レストランはステーキの看板が目立つ。さすがは酪農王国。あとはケバブ(トルコ)、ピザ、インドネシア、インド料理、中華など過去の歴史を思わせる。
 この地はかつての海。3分の一は干拓だった。先人のオランダの方に敬意を表します。


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<3月26日ポルトガル良い所、一度はおいで>


 ポルトガルは良い所。風光明媚で世界遺産は一杯あるし、建物の狭い間を市電ががたがた揺れていく姿はテーマパークみたい。魚介や肉野菜を使った料理は美味だし地ビール、ワインがある。物価は安いし、人は親切だし人情を歌った民族歌謡ファドが楽しめる。

 今回の欧州ツアーのテーマの一つが「文明の栄枯盛衰」 15世紀に栄華を誇ったこの国がどうして衰退したのか?

 一つは一時期世界の富を集めたが、その黄金で宮殿を造ってしまった。仮説として、産業を興す事をせずまたは大学設立などをして教育をしていなかったのではないか?
人口の少なさ。人口100万人との事。優秀な多くの人口はブラジルとかマカオに行ってしまったとか。今も若い人は仕事がないので海外に行ってしまうとか。

歴史を学んでいて面白いのは、英国の影がちらほらする事。1755年の大地震の時の救援は英国が真っ先だったし、ナポレオンがスペインを征服してポルトガルを攻めようとした時には英国軍が救援した。昔、英国と王族の婚姻関係があったのがご縁らしい。

またスペインとは昔から競合関係だった。大航海時代、精力争いの結果、大西洋の東半分はスペイン、西半分はポルトガルという壮大な領土の取り決めをしたそうだ。英国とスペインもライバルだからちょうど利害が一致したみたいだ。

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2014年03月26日

<3月25日 ユーラシア最西端のボタ岬>


ポルトガル首都リスボンから電車で40分、世界遺産のシントラヘ。
そこからバスで40分間で、ユーラシア大陸最西端のボタ岬へ。南北米大陸、アフリカ、アジアに繋がる広大な大西洋、大きな希望があるように見える。これではマゼランも、バスコダガマも、フランシスコザビエルもこの大海原の向こうに行こうと思うわけだ。
 途中の街、シントラは王族始め昔からの避暑地だった山の中の風光明媚な街。


7,8世紀に出来たムーア人が造った城塞は山の上にそびえたち迫力あり。


美しいと言われるペーナ宮殿(写真上)。イスラム、ゴシック、ルネッサンスなど各時代の様式の寄せ集め。奇妙な魅力とも言えるが、ややゴタゴタ。トータルコーディネ―トは大事だなと思った。

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2014年03月25日

<3月24日 ポルトガル・リスボン>


スペイン、マドリッドから1時間、ポルトガル首都リスボンへ。飛行機の窓から海と黄白色の砂が見れていい気分です。
 初めて肌で感じたリスボンの空気は爽やか。マドリッドは肌寒ったのに比してこっちはやや暖かくすっとします。海が近いからかな、カリフォルニア、サンタモニカみたいです。

 夕方着いたので1時間半位ですが、街歩きしました。有名な7つの丘の一つにケーブルカーで登ります。古い教会や搭は一杯あるようです。

ここでも剣道をしました。丘の上の小学校の体育館。海(川)が望めて白い大型客船が窓から見えて気分がいいです。
 約10名くらいのポルトガル剣士と汗を流しました。昨日,Asunさんから紹介を受けましたが、日本から七段の先生が来ると言う事で歓迎ムード。今は常時いる特定の指導者はいないようでしたが、素振りはしっかりしています。初心者が数人いたので構え、足さばき、手の使い方、飛び込め面を指導します。スペインのミニ講習。

 地稽古は全員とやりましたが、30歳のナショナルチームのメンバーは面が鋭くて強かったです。
 ここで嬉しいのはほとんどの方が英語が話せる事。お互いに気持ちの良い交流が出来ました。

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2014年03月22日

<3月21日エル・エスコロアル修道院>

今日は時差ボケ対策もあって終日観光。アスンさんと20代剣士のリー君が日本語が話せるのでガイドしてくれます。
 マドリッドから北西50km、車で1時間の山の麓にある、エル・エスコロアル修道院へ。世界遺産、標高1031m。

 スペインが世界の覇権を握っていたフェリペ2世時代に建てられたそう。1557年のフランス軍に勝利した時を記念して建てた修道院、王宮。
 いざ見るとその大きさに圧倒されます。南北207m、東西161mで回廊になっています。
中には病院や薬局、薬草畑があり、宗教と医学がつながっていた事がわかります。

 大広場の石畳には多くの小学生たちが遊んでいました。遠足と思ったら、今は中に小学校があるそうです。校庭だが、転んだら痛いだろうと思うが、その心配は無さそうに子供たちは元気にサッカーをして遊んでいました。
エル・エスコロアル修道院の前に訪れたのは、修道院に隣接した教会立の大学。通常は一般者立ち入り禁止だが特別に入れていただきました。昔は修道院の中の病院だったそうで荘厳な建物。いかにも勉強するのに集中できそう。アスンさんの剣道の教え子が来てくれて会話。知的雰囲気にあふれる学長さんまで呼んでくれて学内を案内されました。
 昔、入院中の人が散歩したり日光浴が出来る見晴らしの良い場所で記念撮影。ここからの山々や桜、アーモンドの木や薬草畑などが見える風景を楽しみました。
 途中,NHKの取材にも応じた事のある歴史の先生が大学の歴史を教えてくれました。日本とはフィリップ2世の時に着き合いがあったと親しげに話してくれました。(1584年、天正少年使節が3日間滞在)

▲写真は昔の修道院と大学の見取り図、手前が大学。

▲見晴らし台から見た外の景色

▲有名な噴水のある中庭


▲図書館

▲応接室です。
 実は修道院よりこちらのインパクトがはるかに大でした。

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2014年03月21日

<3月20日 マドリッドに着きました>

ようやくスペインの首都マドリッドに着きました。今回は思斉館滝澤道場の滝澤建治館長先生(剣道八段)が講習会をやられますが、その補佐で参加します。
 
厚木の自宅を6:40に出て館長先生のご自宅経由で成田行きのバスに乗ります。
大渋滞で一時間以上の遅延(相鉄線のスト、年度末の5・10日、雨天などが影響)。あわや空港締切のギリギリで飛び込みセーフでした。
 中継地のアムステルダムでも30分遅れ。中継時間が短いので、空港内を走ってこれも飛込みセーフ。
 
マドリッドには予定より早く着き、お迎えの剣道関係の方を見てホッとしました。
 早速、ホテル経由、素敵なレストランへ。
おいしい軽食、地ビール、紅白ワイン、カヴァ(発砲ワイン、シャンパンのような)を楽しみました。
やはりスペインの方はソフトで陽気、親切です。

 ▲空港は電気が明るいなというのが第一印象。街中も結構街灯が良くついています。
 ▲私の右から,今回の主催者Asun五段。
講習会主任講師 滝澤先生。北アフリカかセネタから車で十数時間で来られたRafa初段。昨年もご一緒だったGonzares六段。

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2014年02月27日

<2月26日 雪のクリーブランド>

 米国シカゴ経由クリーブランドに着きました。空港で目についたのは滑走路の上を走る数台の除雪車。今年は雪づいていますね。
 

従来はレンタカーでホテルに行っていましたが、今回は列車にしました。2.25$、タクシーが60$と聞いていたのが安い!レンタカーだと500$

 雪化粧された風景を見ているとホテルの最寄りの駅、Univesity Circleにつきました。うっかりしたのが、駅にタクシー乗り場がない!寒風の中、歩き出しました。

気温はマイナス10数℃でしょうか。頭、耳、手がとてつもなく痛いです。
 「日本は世界一便利なところだ(タクシーがあって)」
「こういう自然と向き合う事で身体は刺激され体に良いのだ!(断食療法の本を読んでいるので)」
と思いながら車道を歩きます。この町は歩行者を想定していないので歩道がないのです。

 この地区は1800年代に設立された大学があり歴史的な建物があるので目は楽しめます。30分後、ようやくホテルに着きました。暖炉があるのが救いです。

 先月来た時は、シカゴ空港が大雪のため、ダイヤが乱れ、13時間空港で待たされましたが、今回は予定通り。現地時間14時過ぎに着きゆっくりします。

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2014年01月14日

<1月14日 米国ゲシュタルト仲間との交流>

 昨日、米国から帰国しました。今回のGIC(クリーブランドゲシュタルト研究所)のトレーニングコース2回目4日間の滞在の成果は下記の通りです。

1.他の参加者と英語で深く交流できた。英語での会話だけでなく気持ちレベルでの交流が出来ました。英語でのゲシュタルトワークや日常の悩みをやり取りして、文字通り私も25人のメンバーの一員になれました。
 「10月はMasaruといるとフラストレーションを感じたけど今はないわ」と率直なフィードバックを数人からいただきました。休憩時間や食事時にMasaru,Masaruと声をかけてもらって嬉しく思いました。

写真はフィラデルフィアから来られた医師のゲアリーさんと夕食。20年来の親友のようです。

2.ゲシュタルト理論と応用が体系的に学べました。場の理論、経験のサイクル、身体での気づきなど午前中は理論を勉強して午後はそれを使って面談の実習をするので実感で学べます。日本でかなり使えます。

3.GIC流ワークの体験をし、感情レベルでの開放、自分の生き方の気づきがありました。エンプティチェアは使いませんが、ファシリとの人間的な心の交流で深い気づきがありました。

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2014年01月09日

<1月8日 はるばるクリーブランドへ>

深夜2時、ようやくクリーブランドのホテルに着きました。予定より11時間遅れ。

結局、中継地のシカゴで13時間ほどいました。振り返ると
1.予定の11時の便が欠航(雪のため。やむなし)
2.次の便17時便が3時間遅れ(やむなし)


3.搭乗直前に、登場口が1→19番に変わったとアナウンス。20数人が一斉に移動。こちらもそれにならう(後で考えると他の便の変更だった)
4.19番の窓口の女性にチケットを見せたら「あなたは乗り遅れた。替りに取ってあげる」と最終便のチケットをくれ、従来のチケットは破かれた(これはこの担当の方の勘違い)
5.しばらくして、最終便も2時間以上遅れ本日中に目的地に着かない事が判明。また20時過ぎの便はまだこれから飛ぶではないか。
6.まずいと思って、再度チケット変更を交渉。1時間ほど早い便を取ってくれた。

<海外でのフライト、教訓>
1.アナウンスだけでなく、人やデジタルデータなどで複数の情報を確認。
2.確認に次ぐ確認。おかしいと思ったらしつこく確認。
3.笑顔で敵を作らず、ただ真剣さも表に出す。最後
の係員は私をあわれに思ったのか車椅子の補助者に隣のターミナルまで運ぶようお願いしてくれました。

明日(今日)からゲシュタルトトレニングプログラム第2回が始まります。
英文の事前課題30数頁が読めたのが良かったことですかね。

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2014年01月02日

<1月2日 健康第一>

 静岡、山梨の知人、親戚をあいさつ回りします。
 良く晴れて富士山が見事です。

高齢になられても健康な方、反対にご自身や家族が健康を害された方々。久しぶりにお会いして健康が一番の話題になります。
 改めて健康の大事さを実感しました。

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2014年01月01日

<1月1日 謹賀新年>

皆さま、あけましておめでとうございます。
朝から近くの飯山観音長谷寺に初詣に参ります。
一家安全、商売繁盛、世界平和を祈念し、記念撮影。身長186cm以上ある息子たちに初めて着物を着させ、一緒に記念撮影する願いがかなった瞬間です。


我が家のお節料理のプチ自慢させてください。重5セットと栗きんとん、黒豆大小、カズノコ。すべて手作り。母と奥さんの力作です。

息子たちは学生時代はオセチは嫌いでしたが、社会人になって好きになりました。食べながら質疑応答。
「くわい(関東は少ない、関西に多い野菜)の意味は?⇒芽が出るように」「黒豆の意味は⇒まめに働く、黒くなるまで働く」「エビは?⇒背が曲がるまで長寿で」などと会話するのが楽しいです。

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2013年12月31日

<12月31日 今年を振り返る>

お正月用のお酒を買ってきました。日本酒は端麗辛口の新潟の名酒「久保田 千寿」。

対抗馬は山形の「初孫(大吟醸)」。3年前、初孫の出産で娘が帰ってきましたが、新潟の嫁ぎ先のご両親が来られた時にお出ししたお酒です。新潟の名酒に慣れた御父君も「これはうまい」と喜んでいただいた嬉しい想いでの酒です。
 
二日目以降に、と赤のボルドー2006年と朝は白かな、と思いシャルドネ(最近、はまってます)も準備。
 今晩から息子たちと飲みます。

ちなみに今年の3大ニュース。
1.自由な気持ちになったこと。研修では準備はしますが、「今ここ」での気分に正直になり臨機応変に参加者の状況・要望に対応出来るようになりました。

2.ITAA(国際TA)大阪大会。広報でお手伝いしましたが、本番では海外の一流のTAの実践家と交流が出来ました。「剣道とTA」でも発表できました。

3.米国クリーブランドゲシュタルト研究所でのワークショップやトレーナー養成コースの参加。
剣道も海外ではスペイン、米国、ウズベスタン、韓国など30回近く出来ました。
 今年も国内外で仕事し、学び、交流できた良い年でした、皆様に感謝です。

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2013年12月28日

<12月27日 聴かない社長>

タシケント最終日は企業訪問。印刷、IT系などの企業を回ります。

印象的なのは某社(写真に写っている人ではありません)。
従業員からインタビューした結果「品質本位でお客様の評判は良い会社。技術は学べる。ただ社長が従業員を尊重してくれない」の共通点。

 インタビューの依頼があったビジネススクールの生徒から社長に報告して欲しいという要望があったが、「本当にいいのか?社長は怒るかもしれない」と確認したが、OKとの事。

 そして社長に概要を報告したが、すぐにすごい勢いで一方的にしゃべりだした。
私は「良く理解できました。あなたは5分間話し続けましたね。いつもこうなんですか?私が従業員なら黙るしかないですね」
また数分間、社長は自説を述べる。「黙る従業員はそれで良い。従業員は信頼できない」とも。美人の生徒は途中でいなくなってしまった。

 これは決裂だなと思い「4人のマネジャーが辞めたそうですが、私もこの報告会を辞めたくなりました」と言おうと思ったら、「俺はお客様に信頼される良い品質を作りたいんだ」と話す。

思わず「そこなんですよ。従業員は皆良い品質で誇りに思っている。社長から指導されて、学校のようだとありたがっている。社長は1分だけ従業員の話を聴けばいいんですよ」
すると大人しくなり「これからも傾聴は続ける」と言われ、一件落着。

 ちょっと複雑な気分でした。


▲IT系の会社。ここの社長は人の話を良く聴かれます。従業員のモチベーションをいかに上げるかが関心事でした。ちょうど従業員の一人が誕生日だったのでケーキを一緒にいただきました。

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2013年12月14日

<12月14日 タシケント到着>

ソウル、インチョン空港でまた一難。「手荷物が多い、重量・サイズオーバー、追加料金払え」だと言う。

普段、私は紳士的なつもりだけど、これはいかんと思い、声高に文句を言う。「他の旅客でも手荷物三つ以上の人がいるではないか」、「日本ではOKだった」「今迄ウズベク便でこの位の手荷物OKだったのに何故今回厳しく言うのか?」
あんまり理屈は通らないと思うが、海外では言われるままだとむしられるまま。

結局、荷物の重量コントロールして、一つ分、120ドル払う。異文化の洗礼を受けたが、元気になった。
機内でシャンパン飲んで落ち着きました。

7時間、タシケント空港に到着。
飛行機を出ると周りの人は入国審査まで走ります。私も不本意ながら走ります。ギリシアの貴族は「走るのは奴隷だ、貴族は優雅に」と言っていたなあと思いながら。

数百メートル競走の後、何とか2番目で到着。ながあーい手続きの後、荷物受取に。ここでも早い者勝ちの世界。私もだいぶ慣れているので良い位置を取ってスムーズに7個の荷物を受けて空港を出ました。

ホテルには23時着。日本時間、朝3時。機内では赤白ワイン数杯いただいて熟睡したので元気です。
気温は6℃、ソウルは?3℃だったので穏やか。来週から雪になり寒くなるそうです。

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2013年12月13日

<12月13日 防具、ウズベキスタンに>

思斉館滝澤道場の皆様からいただいた竹刀25本、剣道具、剣道着、袴、手ぬぐい、袋などは結局段ボール5箱分になりました。

 成田まで宅配し、空港内を2台のキャリヤーで運搬。ようやくチェックイン(ソウル経由タシケント)で預けて御仕舞いと思ったら何と「追加料金、20数万円です」との事。

「ええ?!、旅行代理店に確認したら、1個30kg以下なら何個でもOKと言われたんですよ」と言ってもらちが明かない。今更郵送するわけにはいかない。

 結局、いろいろ工夫して泣き落としてサービスしてもらい半額に。でも別便の国際航空宅配便と同じくらいの値段。
 「国際親善は身を切って」、を実感。

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2013年12月04日

<12月4日 杉田塾パーティ>

杉田峰康ご夫妻(日本交流分析学会理事長,前ITAA国際大会inOSAKA大会長)をお招きして、TA研究部会運営委員会有志でのこの一年間お世話になった感謝の意を表す食事会。
 毎年のTA研究部会定例会への講演以外に、勉強会もやっていただき、おかげ様でITAAの国際大会で講義を聞いても大きな違和感ないレベルになりました。

 食事中は、世界と日本のTAの潮流,日本のTAの特長など興味深いお話がご披露され、来年の講演企画の参考になりました。

意外だったのは奥様が最近ダイビングを始められ、沖縄の海の世界の素晴らしさを目を輝かせてお話になられた事。

博識な事は当然のこととして、いつまでもお若くて他者への気配りを忘れないご夫婦は私たちも良きモデルとさせていただいております。

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2013年11月05日

<11月5日 アンガー記録>

 2週間前にTA研究部会で安藤俊介先生のアンガマネジメント講座を聞きました。その時のお奨めで「アンガローグ(怒りの記録)」をつけていますが、色々発見があります。

1.人材開発の仕事になってからずいぶん大らかになった積りでしたが(営業時代は短気)、記録をつけると一日数回 怒りの目盛が振れるのがわかりました。

2.ほとんどが10点満点中で1から2点。傾向はレストランでオーダーが出てこない時など待つ事に心が騒ぐことがありました。

3.怒りの点数が重なっていくと急に声を荒げるのだと予測ができます。その前に深呼吸、深呼吸。

4.最高の点数は3.5点で支店長ミーティングで宿題をやっていない方を役員が「もういいよ」と無視しようとした時でした。
「なぜ甘やかすのか」とちょっとお腹が騒ぎました。この時も休憩中に静かにゆっくりと自分の考えを伝え相手も納得しました。

5.「怒る時は怒ってもいい」と習いました。自分の場合はどうだろうと思いましたが、「自分は能力があるのにあきらめる,挑戦しない。」「他人の能力を値引きする」場合は義憤なので、仕事柄表現しようと思いました。

6.TAで言うとスタンプですね。おかげで怒りだけでなく、不安や寂しい気持ちになった時など自分の気持ちに敏感(感覚で言うとお腹の揺れ)になりました。

 次の課題は怒りではなくポジティブな感情の変化にも敏感になろうと思います。


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2013年11月03日

<11月3日 優勝の日>

今日は日本武道館で第61回全日本剣道選手権大会、準決勝以降は延長なしの好試合が続く。
激戦を制し、内村良一選手(警視庁)が三回目の優勝。

落ち着きながらも絶えず攻める。一本取っても休まず攻める。普段の稽古でもひたむきにやるべき事をする。
数年前、講談社の朝稽古でもご一緒したことがあるが、一番に面をつけて先生にかかって行かれた。多い日は一日に4回稽古されるそうだ。

 優勝インタビューでも次の目標はさらに人間を磨く事との事。お世話になった方々への感謝も忘れない。
まだまだこれからの伸びが楽しみなサムライ、33歳。 


夜はプロ野球の日本シリーズ。昨日は田中将大選手が負けたので勢い的には今日は楽天が負けるかと思ったが、ずっとリードし、最後はまた田中投手。昨日の疲れが残っているのに大丈夫かと思ったが見事に抑えて優勝。

 星野監督も初日本一。
東北に栄冠を持ちかえる。多くの方々が応援し喜んだだろう。FacebookやLINEなどで喜びを交換する。
 熱い一日が感動で終わった。

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2013年10月28日

<10月27日 お互いに理解する>

ゲシュタルトトレーニングの最終日。この数日を振り返り、次への課題を明確にします。

私は新たな目標が出来、具体的にコミットできる行動計画が出来た事、日本との違いが幾つかわかり更に学ぶ課題が出来た事を伝えました。

3人グループになりお互いにフィードバックします。ある女性は二日前、私とコミュニケーション出来ない事が怒りになったと言われて驚きました。そう言えば昨日も二人から同じような事を言われました。

その方は『私は自分の言う事が重要と思うので相手に理解されるのも重要と思う。それなのにあなたは理解しないと言う。だからストレスになる』と言う事です。

当方は英語が出来ないのはしょうがない。その分、文章や相手の表情など非言語で学べば良い、と最初からコミュニケートをあきらめていました。その点彼・彼女らは「できる事があったら言って」と言いながら私が理解できるようにゆっくり明瞭に話すようになりました。相互理解しようと私の領域まで入って来ます。

私も「もっとシンプルな英単語を使って」と要望しながらも「私はあなたの言う事をこのように理解した」と歩み寄りました。

相互理解の重要さを実感した数日間でした。

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2013年10月24日

<10月23日 シカゴ経由でクリーブランド>

現地時間 朝8時(日本22時).シカゴオヘア空港に着きました。快晴、気温は摂氏1度。

機内はガラガラでした。映画『奇跡のリンゴ』を見ました。泣き所満載。阿部サダオ、好演です。
木村さんの大変なご苦労を書かれた本は数年前に拝読しましたが、そこにはあまり記述のなかった少年時代や家族愛が映画ではきめ細かく描かれていました。
菅野美穂、明るく苦労に耐える健気な奥さん役を好演です。義父役の山崎努も渋くて存在感ありました。三人の子役もいじらしい。

10年以上の苦労が実り、無農薬のこの世のものと思えない甘いリンゴは引っ張りだこでした。良心的で質の高い仕事をすればわかる人は分かる、というメッセージは心に響きました。

これからクリ-ブランドに向かいます。

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2013年10月15日

<10月15日 韓国滞在の印象>


▲韓国金浦から羽田空港に帰る途中で見えた富士山。

わずか3.5日の滞在だが、韓国の印象は、

1.人は明るく、優しく親切(こちらが客人だからと思うが)。情に対して場で答える。食事のときなど甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。

2.30歳前後で剣道場を経営されている方が数人。日本では警察や教師で剣道で有名な方が50歳過ぎて開業。本業を持っているケースが多く、道場経営だけで生計を立てる事は考えにくい。それだけお金を払って剣道を学びたい、学ばせたいと思う人が多いということでしょうね。

3.街角で
○公園やガード下などの空間にいくつかのトレーニング機器(バーベルなど)を見かけた。朝、年配の男女が手足、背筋・腹筋を鍛えておられた。身体(筋肉)を鍛える習慣があるようだ。日本ではウオーキングかな?

○小中学校の登校は個人単位。集団登校は無いようだ。ブルーの制服を着た女性が交差点などで車を制御。最初は警官かと思ったが多分警備会社の方。日本の様にボランテイアの父母が黄色い旗を持って道に立つと言う事はない。

○繁華街で歩く女性はきれい。ヘアスタイルもチャーミングだし、陶器肌というのか色が白くきめ細やか。ゆで卵の表面のように滑らかでしっとりしている。顔が卵形。エステか、化粧品か、食べ物の影響でしょうか?
 目はパッチリ。眉毛は濃い。

懇親会などで韓国剣士に「韓国の女性は綺麗でスタイルがいいですね」と言うと「整形、化粧(の影響)でしょう」「ダイエットしているからですよ」という反応でした。

日本に2年滞在された方は「韓国人女性はきついですよ。私は日本人女性が好きです、優しいから」。隣の芝生は青く見えるのでしょうか?

金浦空港にあった韓国アイドルの写真。スタイルいいですね。

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2013年10月12日

<10月11日 厚木剣道連盟の韓国遠征ツアー>

 韓国の4日間のツアー。厚木剣道連盟24名の軍浦(くんぽ)市との交流ツアーです。金浦空港に着くと、軍浦剣道連盟、市役所、通訳ボランティアの方々がお出迎え。
昼間は早速、韓国料理です。

メインイベントの一つはミンさんの軍浦市の剣道場見学。ミンさんは35歳の若さで立派な綺麗な道場を持たれる。門下生150人に毎日教える剣道五段。

驚いたのは月謝1万1千円。高いと思ったが、子供向けの送迎バスはあるし、現在どこに子供がいるかわかるコンピュータシステムがあり親は安心。
奥様は隣の場所でヨガ教室を主宰。月謝は1万5千円。ソウル市内だと2万5千円するそうです。

最初は富裕層対象かと思ったが、韓国は子供が少ないし、教育熱心。大人も自己投資は当たり前のように思っているようです。

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2013年09月27日

<9月26日 幹部の条件>

某社役員会の人財育成会議。5年先の事業部長、役員候補について議論します。

候補者の条件は、
1.数年先の経営環境を予測し、事業プランを作れる事。データを元にいかに仮説が立てられるかがポイントです。

2.さまざまな障害を乗り越えて、自分がやるんだ、と言う当事者意識がある事..。

3.目指す方向をわかりやすく説明し、部下の士気を上げる事。理解できるまで、表現を変えて何回も伝える事。壊れたレコードになる覚悟が必要です。

4.明るい事。当然、ビジネス上ではストレスがかかって.暗くなることがあります。その時も部下の前では明るい顔になるよう気分を切り替える自己コントロールが必要です。

5.部下には仕事を任せて育てる事。厳しくもあり、また部下の気持ちを配慮した優しさも必要です。自分が昇格したら、部下が喜んでお祝いしてくれる人徳が必要ですね。

役員さんの議論の中で頭はいいけど、リスクを恐れて行動しない中間管理職をどう育てるか話題になりました。

結論は「檻の中に入れて、猛獣と戦わせる事。噛まれたって死にやしない」

少々乱暴な育成方針ですが、修羅場を乗り越えてリーダーは育つという事ですね。

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2013年09月21日

<9月21日 米国剣道大会ボランティア>

 米国ノースカロライナ、チャペルヒルでの米国南東部の剣道大会。

 元々は来賓として招かれたのだが、何かお手伝いしましょうと言う事で、4つある試合場の内の一つの主任審判を務める事に。
 この地での大会運営が初めてなので予想外の事が続く。まずはどこの試合場で何の試合をやるのか詳細が決まっていないので一つ一つ確認。

 午後は一般の審判が自分の試合に出るので審判がいない。その人集めから実施。計時や呼び出し係のボランテイアもいなくなるのでその募集も行う。毎試合ごとに呼び出しを行う。
自ら審判もやりながらも、皆さんの協力で何とか無事終了。
仕事をさせていただいた一日、打ち上げのビールが上手かった。

2次会は私の部屋で日本人審判の方々と焼酎を酌み交わす。A先生は北米に来て40年以上。学生選手権で全国制覇をされた実績のある先生だが、半生をカナダ、アメリカの剣道普及に捧げられ、そのお話は大変興味深かった。世界大会にも出られ、準優勝(もっとも選手は全員日本人)。

剣を通じて交友が広がっていくのが嬉しい。 

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<9月20日 米国ノースカロライナへ>

朝5時に出て空港へ。モントリオールからトロントまで520km、横浜―大阪間を6時間かけてのドライブ。紅葉の残りを楽しみます。そういえば、大阪―横浜を長野経由で縦断したようなもの。

空路1時間半で米国ノースカロライナ州Raleighへ。空港で人間観察。「アメリカ人は男性的(行動的で、力強い。競争的とも言えるかも)」と母。確かにカナダ人の方が優美でエレガント(悪く言うとおっとり)。

マイクワトソン氏のお迎えでチャペルヒルへ。明日から米国南東部の剣道大会があり各州から日本人の先生方3人が集まる。日本からは私一人。審判としてお招きにあずかり光栄です。
 チャペルヒルは海に近い。食事なら何と言ってもシーフード。テーブル一杯に出た生ガキ、カキフライ、クラムチャウダー、ロブスターを母に食べてもらいました。
白ワインとの相性は抜群です。

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2013年09月20日

<9月19日 ケベック州をドライブ>

カナダ3日目はモントリオール朝6時発でメープル街道をドライブします。
ケベック州はフランス文化が強い所、道路標識が英語でなくフランス語になります。StopがArle?になり戸惑います。
  
 紅葉で有名なモントリオール北部の高原ロレンシャン地方は葉っぱの色が変わり始めですが、美しさに目を奪われます。冬はスキー場なんですね。リゾート地で、絵葉書のような建物がところどころに
見えます。
 今回1時間程度の滞在でしたが、本来こういうところは数日滞在したいものですね。



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<9月19日 ケベック・シテイ>

カナダ3日目の午後はケベックシティを歩きます。要塞都市で欧州の観光地がそっくり来たようで見ごたえがあります。まず目立つのがシャトー。フランスの古城を模したホテルですが、絵になります。レストランやお土産屋さん、絵画屋さんが並びます。

要塞博物館や各資料館で歴史を学びます。
カナダは最初、フランスが植民地化しますが、ケベックシティはその牙城だったんですね。英国と戦争になって、攻められケベックシティは敗れ、カナダはイギリス領に。そして今度は英米戦争でまたカナダはアメリカに敗れます。複雑な歴史がありました。

あと交易や産業は湖や川の水路を使って発展して行きます。太古はカヌー、近代は蒸気船。トロント、モントリオール、ケベックシティなどが川によって行き来していたことを知りました。

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2013年09月18日

<9月18日 カナダ・トロントへ>

12時間のフライトでカナダ・トロントに着きました。今回は84歳の母親と一緒にカナダ・アメリカツアーです。

観光シーズンなのか、レンタカーは満杯。何とか一台、確保。

ミュージカルは間に合わず、CNタワーに上りました。スカイツリー、広州タワーが出来るまで世界一。近くで見ると553.33mさすがの高さ。


351mのレストランでは野球の放送。ご当地トロント・ブルーウェイズとニューヨークヤンキースの試合。ちょうどイチローの打席でしたが、残念ながらセンターライナー。

ワインを飲んで、ステーキを食べました。おふくろ、元気です。

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2013年08月19日

<8月19日 ITAA国際大会全て終了>

 昨夜で、ITAA国際大会の行事がすべて終了。企画・準備も合わせて、12日からの袋詰め、プレ講座、3日間の本大会、ポスト講習会と長い一週間でした。

 18時からスタッフ23名での打ち上げ会。繁田主催者委員長、安部事務局長からご挨拶。特に繁田主催者委員長の「もう胸がいっぱいで・・・」という涙のコメントには一同感動、報われたなあと感じました。

準備委員会発足は2011年11月、私は今年の2月から遅れて参加。繁田先生から「日本のTAのためになると思って赤字覚悟で引き受けたが、課題が山積。人が集まるか?収支も不安。企画準備の人が不足」というお声にお手伝いする事を決心。

]TA研究部会メンバーにも「今年前半の活動はITAA支援に特化したい」と提案したら「お世話になった繁田先生を見殺しにするな(過激な表現ですみません)」と賛同。
 
広報、財務、登録、広告などで事前活動し、大会の一週間は10数人が関東から移動。会場整備や受付、荷物預かり、飲料水運搬、会計、HPなど講座も十分に出ないで担当職務に励みました。

 一昨年から準備された方々を中心にTA研究部会を含む多くのボランテイアに支えられ、大会は成功裡に終了。皆さんの気持ちは繁田先生の涙に凝縮されたように思いました

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2013年08月17日

<8月17日 ITAA国際大会で剣道を披露>

 ITAA国際大会3日目は私もワークショップを開きました。テーマは「剣道とTA―日本文化と心理療法の共通点を探る」。

 まず日本選手権者や世界チャンピオンを輩出している神奈川県警のDVDを上映。次に剣道の狙いの説明。
「かつては闘いの道具でしたが、今は人間形成の道です。
稽古は竹刀を使いますが、上級者は真剣として扱います。命がかかっているので一振りに思いを込めます。昔から恐懼疑惑をいう身体を動かせなくなる要素から心身鍛錬をして不動心を養います。
 これがあるがままの心、何が起きても動じない“Here&Now”の心を養います。これがセラピストに役立ちます」と言うもの。
 
 また非常に礼を大事にしますので、“IamOK, You areOK”の心情を養成します。これもTAの哲学と共通します。

 参加者は少人数でしたが、嬉しかったのは東京の礼法の先生が帰りがけに覗いていただき、指定切符を変更し熱心に聴いてくださったこと。いろいろ質問をいただき、最後は「外人に教える参考になりました」とのコメントをいただきました。

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2013年08月08日

<8月6日 ウ国 講演会>

昨夜はウズベキスタン・ジャパンセンターでの講演会。100名の方が集まっていただき、PMPでのHRMの概要、モチベーションの小講義を行いました。
 モチベーションが上がる実習もやったので反応は上々。

出た質問は
「こういうことが職場でできたらよい。秘訣は?」
「お金以外で社員の退職を止める方法は?」
「重要顧客を失った部下をどう慰めたらよいのか」
「泥酔して翌朝の顧客とのミーティングに来れなかった社員をどう扱うか」
一つ一つ丁寧に応えました。

最後にPMP夜の部のクラスの方が来てくれて感謝状をいただきました。

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2013年08月07日

<8月6日 ウ国 会社訪問>

月火とPMPの受講生の希望がある会社を訪問しました。
 1時間くらい複数の従業員にインタビューし、人財マネジメント上の診断やアドバイスをします。喜ばれるし、当方も実態がわかるので毎回恒例になっています。

 今回も建設エンジニアリング会社、マッサージ会社、ローラースケート場など回りました。
こういうお困り事があるのかとわかり勉強になります。

例1;どういう風に技術者のスキルを上げていいかわからない⇒グループでの勉強会を提案しました。

例2;従業員の担当を明確にしテリトリー制を導入。面白いが、誰かがミスしたらどうするか、ボスに報告するか⇒共通のゴールは顧客満足。「仲間のミスがあれば皆でカバーする」協力の価値を上司は伝える事。

例3;集客をどうするか⇒HRMの領域でなく、マーケティングは販促の領域ですが、
コンセプト作りに基づくインテリア作りや広報、キャンペーンを提案しました。

「上司がPMPに出て我々部下の意見を良く聴いてくれるようになった」という嬉しいフィードバックももらいました。人は教(共)育によってともに進化していくという事を実感しました。

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2013年07月27日

<7月27日 ウズベキスタンへ>

昨夜、21時過ぎ中央アジアのウズベキスタンの首都タシケントに着きました。韓国仁川(インチョン空港)から約7時間。



ホテルに着くと生徒たちが待っていてくれて、そのままバーへ「拉致」されました。約束はしていませんが、人と人の関係を大事にするこの国ならではのおもてなしです。嬉しい悲鳴ですが、3時ころようやく解放されました。

時差があるのでこちらの体内時計は朝7時。
異国文化の洗礼を早速浴びました。

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2013年07月03日

<7月2日 各支店を回る>

昨日今日と、札幌、名古屋、大阪、和歌山と地方めぐり。

▲数年ぶりの札幌は日差しはきついものの湿度が低く過ごしやすい。朝17度、昼間27度。


和歌山でのミーティングを終え、約5時間かけて帰宅中。

某社の現場リーダーの問題解決力研修のフォローミーティング。
皆さん、予想以上に頑張って課題に取り組まれています。中には、先輩、上司を二回も集めて問題解決ミーティングをやられた方もいました。

上司もこのミーティングに参加されましたが、部下のサポート以外に、昔習った手法の自分自身の復習になると熱心にメモされる方もおられました。

私自身も、各支店、現場の様子がわかり参考になりました。

▲和歌山城。

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2013年06月22日

<6月22日 障がい者雇用を考える>

HRインステチュート社主催講演会。テーマは「障がい者雇用を考える」。

スワン株式会社の海津社長のお話しは感動的。

元々はヤマト運輸の小倉元社長がリタイヤ後に障がい者施設の相談に乗った際、給料が5千円と聞き驚く。作っているものを見ると売れないものばかり。
「これは福祉の問題でなく、経営者の問題。給料が10万円位もらわないと誇りが出ないではないか」と怒って、自らパン屋を始めたのがきっかけ。

海津社長がおっしゃるには、

「当社は障がい者が6割の会社だが、障がい者中心の会社ではなく、お客様中心の会社。

美味しそうな高品質の雰囲気を感じて銀座のスワンベーカリーに入ったお客様。「あれ、スタッフに障がい者がスタッフに多いな。でもパンはおいしいし雰囲気はよい、関係ない」、と感じてもらう。

売上を上げるために、色々な美味しいパン、お菓子を作る。高齢者がかまずに食べれるパン。これは介護者が安心して他の家事ができる。
彦にゃんなどゆるキャラや全国、全世界の都市とタイアップ。安売りしない。付加価値をつけて、高く売る。

労務管理の基本は強みを伸ばし弱みは皆でカバー。五人寄れはばだいたいの事ができる。

障がい者は仕事が時間がかかるだけで、集中力、我慢強さは健常者より良い。ISOなど決まったことを決まった通りに実施するのは得意。

 出来る事が増えると、やる気がでる。人の役に立つ事がが何より嬉しい。今まで人に世話をかける
事が多く、人に役だった経験が少ないからなおさら。

障害で最初は話せない人がいるが、ひたすら聞く。すると話せるようになる。

苦労、失敗は数えきれない、日々意外なこと連続。また良い事も一杯起きる。

上の人は否定しない、理解する。
特別扱いしない、期待する、信じて待つ。

最後は、基本は愛。これに尽きる。」

これは全てに言える事だと思いました。

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2013年06月18日

<6月16日 国際大会まで50日>

ITAA国際大会in OSAKAまであと50日となりました。準備委員会やボランティアリーダー会では着実に準備を進めています。

プログラム冊子作成、各講師との交渉、通訳の手配、イベント、受付会場準備など。スタッフのユニフォームは好評のヤスダデザイン事務所の子供の絵が使われるようです。

昨日は広報・プロモーション委員会の広告部会。プログラム冊子に掲載予定の30近い広告のレイアウトを決めました。

ボランティアが自分の時間を使い、夜なべ仕事で受付一覧表を作ってくれたので仕事がはかどりました。
皆の熱意で着々と準備が進みます。

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2013年05月25日

<5月24日 アメリカン人の第2次世界大戦>

「第2次大戦博物館」に行きました。在住元軍人の提供した物品がベースですが、アメリカ人サイドから見た大戦。

 当時の政治家は、ヒットラー、ムッソリーニ、チャーチル、スターリンが並び、日本では昭和天皇のお写真がありました。英文の紹介では、原爆が広島・長崎に落とされ、天皇陛下が降伏を決断。敗戦後は民心安定化のために王冠を下ろさなかったが象徴として存在した、とありました。

 大戦開始までのビデオ。開戦当時は米国は不況で失業者があふれ、他国と関わる余裕がなかった。それが大国ドイツが欧州で範囲を広げ、ついにU?ボートで米国輸送船が攻撃され、参戦を決意。日本のパールハーバーも拍車をかけた。
大戦前の戦力比較は戦艦は米国優位だが、飛行機はドイツ、日本の合計が米国の7倍くらい。これは意外でした。

 その後、戦力を整えるまで女性が軍需工場で部品作成や飛行機組立をしていく多くの写真が紹介されていました。グリセリンなど軍事材料が足りないので家庭から必要なものを調達した写真もありました。

 一番展示が大きいのはノルマンディ作戦。一番イギリスに近いドーバー海峡からではなくノルマンディ地方から上陸。5か所から上陸したのは戦力の拡散ではないかと思いましたが、事前の空爆で7割のドイツ軍の戦力が減少した後の上陸だとわかり納得。

 「そしてドイツが降伏し、日本が残った」と言うフレーズで太平洋戦争。同胞として見るのがつらく足早に通り過ぎました。 

 「九州地区の上陸プラン」を見るにつけ、沖縄の方には非常に気の毒でしたが、8月に「聖戦終結の御聖断」がなかったらと思うと恐ろしくなります。

 アメリカ人も苦労されたんだな、という発見と改めて平和の尊さを実感した1時間でした。

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<5月24日 ニューーリンズを歩く>

ニューオリンズは歩いていて飽きない。有名な繁華街フレンチのクオーター内外でも19世紀風の色とりどり、デザインの家が続く。ディズニーランドのエントランスのショッピング街を思い出す。
 2階のバルコニーが広く、アイアンレースと言う鉄柵が刺繍のように美しくデザインされ、花や観葉植物に飾られている。

街には画廊や洒落た家具、小物を売っている店、レストラン、バーが多い。当然、歩いていてもレストランに入ってもジャズ始め各種音楽が聞こえてくる。

魚介、お肉、野菜が集まり、米国、カナダ、アフリカ系の料理がミックスした美食の街でもある。

ミシシッピ川は観光用の蒸気外輪船が就航するが、そんなに大きくなかった。水深が数十mあるそうで、川の表面も水流が渦巻いていた。

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2013年05月19日

<5月18日 ダラスの街>

<5月18日 ダラスの街>
時差ボケ解消も兼ねて、ダラスの街を歩きます。ダウンタウンはこじんまりしていて、30分あれば端から端まで歩けます。
高層ビルが多いですが、歩いている人はまばらです。車社会だからですかね。

最初にダラス美術館に行きました。
 アメリカ美術の他、アジア、ギリシア、アフリカ、南米などの美術品が思った以上に多く、早く見ても1時間はかかります。屋外は彫刻やオブジェが展示されています。

 シャガール展をやっていました。ロシアの人だったんですね。有名な鳥や獣、男女カップルが同じ画面に出てきます。彼の言葉「私の頭には二通りのイメージがある」を聞くとなるほど、だから男女の顔、身体が重なっているのかと思いました。


ダラスを世界的に有名にしたのは1963年ケネディ大統領の暗殺された事件。犯行の現場となった倉庫の前も通りました。今は博物館になっていますが、今日は時間が遅いのでまたにします。

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2013年05月18日

<5月17日 ダラスに着いた>

テキサス州ダラスにつきました。こちらは17日の17:00(日本は18日6時)。

暑い!夏です!周りのアメリカン人は短パン、Tシャツ。
空港にはASTD(人財育成大会)と書いた看板がありました。これから世界中から数千人の方々が続々と集まって来るのでしょう。


タクシーで郊外のホテルに。運転手さんはスーダン出身。
「景気はどうだ?」って聞くと、「いいよ。二年前からだ」
「タクシーの景気は?」⇒「いいよ(これは日本では20年以上聞かないセリフ)」
「この町の産業は?」⇒「石油関係と通信業かな?俺も通信関係の大学院に行って明日卒業する。前はAT&Tにいたよ」


夕食はアメリカ料理。何と言っても褐色の地ビールと分厚いステーキ。

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2013年05月16日

<5月16日 自信がない人への処方箋>

自信がないって言う方とよくお会いします。管理者研修でも公開のワークショップでも。まわりから見ると実力あって魅力的なのに、「自信が持てない」と思っていらっしゃる。
思えば自分も30歳代前半までそうだったなあ。上手くいかないと落ち込んだ。

原因は色々。親から幼少期、多大の要求をされ、ねばならないと思ったり、お前はお兄ちゃんでしょう、とか女の子だからと自己犠牲を強いられたり。

<自信を取り戻す処方箋その1>
自分の感情に気づく。軽んじられれば怒りや悲しみがあって当然。それを認めて、表現する。
元々怒りって自分を守るもの。それを認めて平和的に出せば、まず自尊感情が生まれてくる。

先般の山形でのニューライフアドべンチャーセミナーはこれをやりました。

<その2>
自分の良い点を周囲からフィードバッグしてもらう。口頭でも、紙でも。否定したくなるが、しっかり受け止める。
それができれば、自分の身のまわりに起きるいい点を毎日3つ書き出す。簡単なたわいのないことでよい。朝、空がきれいだった。挨拶をしてもらった。定時に家を出た。

<その3>
自信は行動から。簡単な事で良いから、毎日続ける。早起き、体操、片付け、挨拶など。継続すると自尊感情が生まれる。

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2013年03月22日

<3月22日 フリッツ・パールズ>

 GICのリネさんからお聞きした内容を元にゲシュタルトの創始者フレデリック(略称・フリッツ)パールズの生涯をまとめてみました(Wikipediaも参照)。

「1893年、ユダヤ系ドイツ人としてベルリンに生まれ、精神分析医となる。ナチスの迫害から逃れるため、1933年オランダに、さらに1935年南アフリカに移動。

途中、精神分析の祖、フロイドに会うも冷淡にされるので、精神分析と決別。ゲシュタルトが過去を扱わないで“今、ここ”の気づきを扱うのもここに起因する。

 1946年第2次大戦の影響を逃れ、ニューヨークに渡る。1952年“ゲシュタルトセラピー”出版。講演に米全国を回る。1952年妻ポーラとともにニューヨークにゲシュタルトセラー研究所を設立。
クリーブランドにいたポールグッドマンらに招かれ、仲間とともに移住。1954年Gestalt Institute of Cleveland (GIC)設立。最初は個人の家でやっていたが、1970年に今の地に移転。

この間、世界旅行に出かけ1962年日本にも寄る。京都大徳寺で2か月間参禅。東洋的な瞑想、精神統一を学ぶ。1965年有名な“グロリアと3人のセラピスト”に登場。
 
 晩年、カリフォルニアに。この環境が気にいり、エサレン研究所にも滞在。エサレン研究所はヨガ、身体・グループ活動、スピリチュアルを研究していたが相互に刺激しあう。旅行先から帰ったニューヨークに戻った時に1970年死去。」

▲Gestalt Institute of Cleveland (GIC)の一階にある「ローラ&フリッツパールズの部屋」の入り口。フリッツの奥様ローラの写真が飾ってある。

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2013年03月15日

<3月14日シカゴ経由クリーブランドへ>

 シカゴ経由で、ようやく3月14日PM2:00米国クリーブランドのホテルについた。日本時間15日AM4:00(14時間の時差)。家を出てほぼ丸一日の工程。
 

シカゴはマイナス5度、クリーブランドも数度だが、空は青いし、空気が爽やかで気持ちが良い。写真はシカゴの上空から。五大湖の一つ、ミシガン湖から雪に覆われる市街を写す。

 レンタカーを借りる。トヨタのコンパクトカーで11日間270$で安いと思っていたら、GPSつけて、保険一杯入ったら800$高い!と思ったが安心料。やむをえず。明日からいいことあるだろう。

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2013年03月09日

<3月8日 日本の魅力再発見>

昨日は「日本力発見カフェ(HRT社主催)」。

在日23年の国際ジャーナリスト、松岡正剛氏との共著『日本力』でも知られるエバレット・ブラウンさん(写真右)の基調講演。写真で、日本の神社、仏閣、祭礼、舞踊などの伝統芸能、山河などの自然が紹介されます。熊野古道を歩く着物を着た女性たちの姿を見て、熊野古道を歩きたくなりました。

エバレットさんに「日本って美しい所いっぱいあるじゃない」と言われてそうだよな、と頷く。

 その後、参加者同士、ワールドカフェ方式で「他者に伝えたい日本の魅力」を話し合います。私は剣道を紹介しましたが、他の方は日本の豊かな自然、伝統的な暮らし、大和言葉、礼儀作法などを紹介いただきました。

 40人弱の参加者の中には着物を召された女性も数人。お聞きすると、三味線、舞、和紙作りなどの専門家。この他、お寺関係、民族作家、環境問題の専門家がいらっしゃって、日本の良さを再認識させたいと思う方ばかりで、静かで力強い日本力パワーが満ちておりました。

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2013年02月24日

<2月24日 公民館祭り>

自宅から徒歩3分の南毛利公民館(厚木市)で年に一度のお祭り。10:00開会なので行ってみた。開会式場は約200人。結構な賑わい。

 開会式の後は演芸が続く。南毛利音頭から始まり、人形劇、ハモニカ演奏、歌謡、民謡、ダンスなど55項目。すごい。参加者の平均年齢は60歳台から70歳台か。違う会場にはお花、写真、絵画が展示。


 会場の外は抽選やフランクフルト、焼き鳥、ポップコーン、ケーキなどのテントづくりのお店があり子供連れのお母さんで賑わう。
皆さん、元気です。こういうところで地元のエネルギーを感じました。

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2013年02月22日

<2月21日 ITAA打合せ>

ITAA国際大会in OSAKA関連の打合せ。
主催大会委員長の繁田千恵先生と交流分析学会第38回学術大会の会長の島田凉子先生との打合せに呼ばれました。

 16:50、私は20分ほど遅れて喫茶店へ到着。何とお二人はワイングラスを片手に打合せ中。「コーヒー代より安いから」とお笑いになる。
両大会が成功するように、集客、PR、会計面など「どんどん協力しよう」と議事は小事にこだわらず豪快に進む。

後半は、4月に心理系の大学などに配る予定のポスターの企画。「行ってみたくなるような明るいものにしたい」「ユニセフのような地球を人々が手をつないで囲むような」などと楽しいアイデアが出ます。

3人で大会の成功のイメージを語らった楽しい時間でした。

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2013年01月25日

<1月25日 人事ミドル戦略研修同窓会>

昨夜は品川の焼酎レストランで、人事ミドル戦略研修の同窓会。
9年前に一橋の伊丹先生、守島先生、神戸の金井先生、平野先生などと言う豪華講師陣に、日本のトップクラスの企業の人事マネジャーが参加した研修OBの会(ISH神谷所長主催)がまだ続いています。

 この会の魅力は過去の話はほとんどなし。お互いの企業を見学し合ったり、近況に加えてお互い抱えている人事課題を話し合います。

 今回は新年会でフリートーク。
アルジェリア事件に絡むエネルギー供給や為替の問題から始まり、日本文化の対外PRと国内の伝承、社内の役員・マネジャーの継承課題、若手社員のモチベーションアップ、自らの子育て。最後は2020年パラリンピックの日本誘致をどう支援するか(感動的な裏話を多数聞きました)。

 お互いに、今は人事部長など責任ある立場につき、ご苦労はしながら活躍する姿を確認。明日への元気をいただいた数時間でした。

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2013年01月14日

<1月14日 ゲシュタルトワークショップ大会二日目>

 大雪の中、日本ゲシュタルト療法学会、ワークショップ大会2日目。

 今日も「Bさんの夢と3人のファシリ―テータ」の司会を担当。昨日同様、ほぼ満席の40人。
 岡田さん、定行さん、平松さんと3人それぞれ違う方法でクライアント役の見た夢につきワークを行う。

進め方は違うものの、共通点は フロイトやユングのように夢を分析しない。クライアントについていく。話の途中で感情や身体の変化があったところに焦点を当てる。
 会場の参加者の満足も高かった。

 今回、外人講師のジャニス、ビクトリアさんのワークショップには出れなかったが、またの機会に。

 3年目のこの学会は伸び盛りで内容は充実しており、参加者は増えている。次回また参加するのが楽しみだ。

▲左から筆者、ジャニス、ビクトリア、大会長の守谷さん

▲ノリが良い参加者。

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2013年01月13日

<1月12日 ウズベキスタン人の日本訪問>

日本ゲシュタルト療法学会の理事会の後はウズベキスタンの人々とのパーティ。
JICA主催で、日本での体験研修だ。往復の飛行機代は当人負担で、後の宿泊代、研修費、食事はJICA(日本政府)負担。

既に受講した人が何人もいるが、日本びいきになって帰っていく。新しいビジネスのヒントも見つけて帰っていくので有益なプログラムだ。

早速彼らの感想を聞いた。この日に日本に着いたばかりだが、印象は?
「成田の飛行機発着や入国審査や税関手続きがとてもスムーズだった」
「日本人は歩くのが早い。老人でも走っているようだ。信じられない。」

今回総勢15名で私の授業も受けた受講生も何人かいるので、インタビュー。
「スーパーマーケットの実態を見たい。Mr.Fujiwaraがうちのオーナーに出した提案書を見たが、もっと現場での改善活動を見たい」
「日本のタクシーのメータやGPSの活用を見たい。ウ国のタクシーは料金メータがない」
「日本のWEBでの広告実態を見たい」

また初めて会った人も「Mr.Fujiwaraが剣道を教えている写真を見ました」と言ってくれた。
これから10日、良い体験をされることをお祈りします。


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2013年01月11日

<1月11日 食材>

日本に帰宅した。
FBに質問やご要望をいただいたので回答します。

1.亀の手とは何か?
日本でも湯河原などの岩礁にいる長さ3?5cmの表面の硬いフジツボの仲間。スペインではペルセベと言って塩茹で、ワイン蒸しにして食高級食材。
 亀の手の腕の部分の皮を剥くとごぼっとグローブの部分まで肉が出てくる。味はホタテのようなエビのような珍味。病み付きになる。精力剤。

2.青唐辛子の塩炒め。ビールが進む。

3.右からエスカルゴ煮、ウナギの稚魚アリオリソース巻、アスパラ。

4.牛のステーキ。右の焼けた石にささっと焼いて食す。しゃぶしゃぶと焼肉感覚。

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2013年01月09日

<1月9日 マドリッド>

マドリッドは高層ビルもあるし、きれいな地下鉄もある近代の大都会。

1日観光。スペイン広場、王宮、王妃美術館、プラド美術館、蝋人形館などを見学。 
美術館はお勧め。ピカソ、ミロ、ダリ、ゴヤなどを堪能した。特にピカソのゲルニカは迫力あった。

昼食は昨夜に引き続き、サンミゲル市場に行く。ここは楽しく飽きない。一種の屋台村で小さいバールが集積されている。好きな物を頼み、飲食し、次の店に。バールの梯子ができるのだ。
 昨日は牡蠣に、ムール貝、亀の手やイカスミのパエリヤを食した。亀の手の食べ方を教えてもらった。うまい。
今日は、マテ貝、エスカルゴ、ウナギの稚魚、ウニを頼んだ。みんな珍味で幸せを感じる。

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<1月8日 コルドバ>

アンダルシア第3の都市コルドバ。ローマ時代は属州ヒスパニア・パエティカの首都として栄え、多くの学者・詩人を輩出。

 711年、イベリア半島に進出したイスラム教徒は占領した土地の首都をコルドバに置いた。イスラム教の後ウマイヤ朝の新首都にふさわしい大モスクを作ろうとし、3回に分けて拡張工事。2万5千人が入る大モスクができた。

 スペイン語でモスクを意味するメスキータの中に入ってわかるのはローマ、ゲルマン、イスラム、キリスト教文化の融合。柱や装飾、礼拝場所などがそれぞれ違う文化から成る。

 面白いのは、イスラムは建設に当たって、[このくらいの大きさのモスクを造って良いか」と占領した先住民族に聞いた事。

 高校の歴史では「剣かコーランか」と問うて侵攻したと習ったと思うが、この地ではずいぶん民主的。税金さえ払えば、他の宗教も信じて良かったらしいのでずいぶん寛容。
 
 イスラム教徒が来てから、米、綿花、柑橘類、砂糖などがもたらされ、感慨技術の導入で農業生産性もずいぶん上がった。イベリア半島の地域開発にずいぶん貢献したというのは今回学んだこと。

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2013年01月08日

<1月8日 セビージャ>

 アンダルシアの州都セビージャはスペイン第四の都市。

 最初はスペイン広場を見学。朝8時過ぎに宿を出発。日の出は8:30近くなのでまだ薄暗い。
1929年に万博があった時に、スペインパビリオンになった場所で今はお役所。
 映画ではアラビアのロレンス、スターウオーズン2のロケ地になった。
 建物が新しくて整っていて、何となくデイズニーシーのよう。

 セビージャは歌劇カルメンの舞台として有名だが、大航海時代の貿易港として、欧州最強国として繁栄の礎となった町。
 イサベラ女王のバックアップで4回アメリカ大陸に行ったコロンブスもこの港から出航。その後、米大陸から金銀、タバコなど多くの産品がこの港に集約された。

 セビージャのカテドラルを見学。バチカンのサンペトロ寺院、イギリスの寺院に次ぐ欧州3番目の聖堂。内装は非常に立派。
 カテドラルは元モスクだったらしいが、ミナレット(祈りの搭)は残っている。この搭の上にキリスト教風の鐘楼が建設されたヒラルダの搭の高さは97m。
 先人の文明を破壊せず、活用するというのがスペイン人の知恵だと思った。

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<1月8日 ミハス>

 1月なのにこの日差しの強さは何なのでしょう。

アンダルシアを代表する白い村ミハス。
海抜420mの岩山の斜面に立ち並ぶ白い家(カサブランカ)は絵葉書のようです。

 元々地中海に面する海岸地区は保養客が多かったのですが、この数年間、この山間の可愛い村が穴場として紹介され人気スポットになったようです。
 家が白いのは強い直射日光を受けず温度を上げない、という意味があるそうです。

なだらかな坂を上った後は、バールで、海老のにんにく炒めと小魚のフリッターを肴にビールを飲めばこの上ない幸福感を感じます。

 村の展望台からは地中海が望めます。晴れの日はアフリカ大陸が見えるそうですが、この日は見えず。でも酔いも影響し、ハッピー感は続いておりました。

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<1月7日 ラマンチャ>

ラマンチャはセルバンテス作のドンキホーテが活躍した舞台。アラビア語で乾いた大地と言う意味。

 小高い丘の風車を見学。絵葉書になりそう。風車は昔は穀物を粉にひくのに使用した。風向きに合わせて方向を変えられるるが、その尻尾(方向指示器)の太い丸太があるのをはじめてみた。風車が位置を変え、風を受けて回せるために、それを支える土台は石造り。今は使っていない。観光用に復元・保存。

セルバンテスが良く使った旅籠があり、今はレストランになっている。そこで昼食。物語ではドンキホーテがお城と勘違いしている(下の写真)。

 山を越え、約4時間半でアンダルシアへ。夜は夕食の後、フラメンコのショー。 発祥の地で見る事ができた。洞窟のような店。

 フラメンコって、ギターと歌、踊りの三位一体ということを知った。すごい速いリズム。緩急あるものの、ピーク時の激しい動き、感情の表現。怒りを含めたパッションを感じました。

ギターは旋律が哀愁を掻き立て、歌もハスキー、こぶしが効いて心を揺さぶられました。

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2013年01月06日

<1月6日 スペイン意外情報>

 この国に来て意外と思う情報。
1.クリスマスは1月6日まで続く(昨日、記述)。12月25日と1月5日、2回プレゼントをもらう子供たちがいるそうだ。

2.若年失業率は50%。多くの若者はドイツ、オランダなど景気が良くて人手不足の国に出稼ぎに行く。建築技術などのスキルがある人は建設ラッシュのペルーに行く。
 日本も若者の失業対策に生活保護や新卒扱いを3年にするなど過保護はやめて、世界で生きていける技術をつけさせ、海外で稼ぐように仕向けた方がいいのでは、と思った。

3.従来、完成期がわからないとされたサグラダ・ファミリアはあと13年、2026年に完成予定。ガウディの生誕記念にあわせるため。

4.バルセロナを首都に持つカタルーニャ州はスペインから独立したがっている。歴史的に、言語的に違う地区であること、経済的に儲かっていて、税金を国に払うのが嫌なため。住民投票は独立だが、国が反対している。

5.物価が安い。レストランでビールやワイン、シャンパンを頼んだが、2.5ユーロ(280円程度)、日本の6割程度の価格。

6.パエリアはバレンシアが起源。魚介だけでなく、チキンなどの肉、豆だけのパエリアもある(2日目の夜のメインデイッシュ)。 イスラムの支配にあった時に、柑橘類、綿花、砂糖と同時に米栽培の技術が入ってきた。地元の特産の魚介、野菜、肉を入れたごった煮のコメ料理が起源。
そういえば自分も子供が小さい時に、パエリアを作ったことが何回かあった。

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<1月5日 バルセロナの街>

本日のハイライトはサグラダ・ファミリア(聖家族教会)。1882年に着工、100年以上も建設を続けている教会で、世界遺産。

 目の前に高い塔が現れた時は周りの人も「ワー」と歓声を上げる。ネギの頭のようにとんがった搭の先が高さと重量感を持って迫ってくる。砂糖菓子のように表面が丸く小さい突出部がある。古く造られた茶色の部分と新しく作られた白っぽい部分のコントラストが意外だった。

 近くに寄ると建物の表面に彫刻が施してあり、マリアとヨセフの婚姻から、天使の合唱、聖母マリアの戴冠、受胎告知など彫刻がストーリになっている。これだけをじっくり見ても飽きない。

 内部に入ると比較的新しい。設計家ガウディが作った時の礼拝する場所は地下にあった。
1階の部分は火災などで荒れた時期があり、資金がなくてしばらく放置されていたとのこと。今は寄付が集まり、急速に建築・整備が進んだとの事。

 サグラダ・ファミリアの後は、街を見学。160万人ながらこぎれい。建築物のデザインが美しい。ガウディやその弟子、ライバルたちが経てた建物もあった。

 スペインのクリスマスは1月6日まで続く。ちょうど今日が当方から3人の王様がやってきて贈り物をくれるというイベントの日。旧約聖書の3賢者がやってくるという云われに基づくもので、バルセロナでは船で王様がやってきて、街をパレードするそうだ。街は飾りつけや、扮装用の衣装で賑やかだった。
ちなみに子供たちには賢者がプレゼントをする風習で子供は楽しみにして就寝するとのこと。
もちろんプレゼントは親だが、日本と似ている風習と思った。

▲中央の古い建設部分と左の新しい建設部分がよくわかる。圧倒的な量感。


▲サグラダファミリアの内部。まだ新しくて美しい。

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2013年01月01日

<1月1日 謹賀新年>

皆様、あけましておめでとうございます。
今年の正月は家族9人(孫2人含む)でのお寺参りから始まりました。父のお墓詣りをして、飯山観音長谷寺に初詣。家内安全、商売繁盛、世界平和を祈念しました。
天気が良くて暖かくて良い正月でした。

▲閑静な飯山観音長谷寺。朝8時過ぎだとまだ参詣客は少ない。
▲孫とともに鐘を打つ。

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2012年12月31日

<12月31日 今年を振り返る(仕事・自己啓発)>

1.仕事面
  企業の役員さんやマネジャーが連続何回かミーティングを持ち会社の将来の姿を描き、変革を企画するというプロジェクトをいくつかお手伝いしました。
 すべて社長や役員に了解され、現在実施に入っていますが、成功のポイントは会社環境を事実ベースで調査し、そのために何ができるか必死で考えてもらう事。
 ファシリテーターがあまりお膳立てしないこと、とことんついていき、疑問な点は質問し納得いくまで考える事が大事と思いました。

2.自己啓発
 (1)5月、メキシコ・プエブラ市で開かれた国際的なゲシュタルトカンファレンス学会で発表しました。テーマは「日本文化、剣道と心と身体の統合」。剣道の神髄は何かを考え語る良い機会となりました。           

 (2)同じく5月、米国デンバーで開かれたASTDに参加。 
   ジョンカオ氏のイノベーションの講演が良かった。ピアノの演奏も良かったし、自由と規律、目的・訓練を伴った自由な発想が大事とのお話に納得。

 (3)10月、北欧人づくり学びの旅。 
  デンマーク、フィンランド、スウェーデンの共通事項は
  ◎みんなで議論して考えるとよい結果が出る。そしてまず実験。100年前から考えてきて現在が   あると聞き納得。
  ◎寒くて貧しい中からはいあがって考えた。イノベーション。ローテク&マーケティング。
  ◎残業しない、2か月の休暇、その中で生きていくにはどうするかを考える。ある意味の厳しさ、    高度の知的創造性を発揮していると感じました。       

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2012年12月17日

<12月16日 タシケントの仲間たち>

 こちらで授業や休憩時間のおしゃべり、Facebookを通じて、友人が増えていきます。写真はUJCの仲間たち。

 左の男性は通訳のアタベックさん。今まで何人かの通訳にお願いしましたが、彼は感情レベルまで訳してくれるので生徒からも好評です。何より私のカタカナ英語、日本風文法(直訳)にも、即座に演算してロシア語に訳してくれるので大助かりです。
 現在、ロシア系の石油会社で通訳をされています。

 右の素敵な女性は日本語講師のナルギザさん。事務所では優しくしとやか(今では死語?)ですが、パーティでの踊りになると大変身。
 最初はダンスの先生かと思いました。後で聞いたら、社交ダンスは習われているそうですが、伝統的、民族的な踊りのうまさは天性のものでしょうね。


▲通訳のアタベックさん(左)と日本語講師のナルギザさん(右)

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2012年12月16日

<12月16日 タシケントの気候>

 土曜の夜から雪が積もって今日の町は雪景色。
 先々週末の12月7日に来た時は深夜でも10℃。成田が7℃だったので、驚きました。
その数日前は昼間は20℃あったそうです。

 この数日急に寒くなりました。この数日は夜はマイナス11℃。帽子とマフラーは必須です。
 この雪の中、土日は剣道に行きました。日本剣道形も6本目まで講習できました。だんだん難しくなりますが、皆さん熱心に学びます。日常、本やビデオで学んでいるのですが、実際に見せてコツを伝えてやってもらう。その場で良い点はほめ、違う点は修正する、それが役立つようです。
 面や小手の刷り上げ技は気にいったようです。
 平日は自主活動してそうで、習った事を復習するとのこと。今週末の稽古会が楽しみです。

▲ホテルの窓から外を見る。

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2012年12月15日

<12月14日 男たちの隠れ家>

HRM上級コース終了後、参加者の案内で友人が集まる場所に招待された。

市内からクルマで30分くらいのところ、古びた民家の一角。部屋に入ると座っていた男たち20人くらいが立ち上がってこちらに来る。握手もしくは抱擁。気の弱い人は後ずさりしたくなる。

一番奥のいい席に座らされた。いわゆるチャイハナ(喫茶・軽食場所)だが、ガイドブックでは絶対お目にかかれないいわば隠れ家。30歳代、40歳代の方々がおしゃべりをしたり、酒を飲んだりゲームをしたり。月2回ほど集まるそうだ。

 時には大金が必要な時にお互いに出し合って融通する、沖縄の「結(ゆい)」江戸時代の頼母子講のような機能もあるようだ。

 まずは座って、お茶とウオッカをいただく。つまみはサラダ、キューリの漬物、ピーナッツなど。食器は古びているが、遠慮なくいただく。初めて会った人とは同じものを飲食するのが交流のコツ。
 甲斐甲斐しく周りの男の人がお茶を入れ替えてくれたり、サラダをサーブしてくれたり世話をしてくれる。本当にウ国の方々は面倒見が良い。
 
 ビジネススクールで教えていると聞いて、色々話しかけてくる人もいる。
・日本人は愛国心が強いのか?戦後に国民が私財を投げ打って国の経済危機に協力したのは本当か?(それは1998年のIMF危機の時の韓国の話)
・中国は今後も経済成長を続けるか?
・米国、中国、ロシアにハッカーはいるが、インドにいないのはどうしてか?(多分、インドのITエリートは生活がかかっているからそういう暇な事はしない)
 この方たちの特徴は人が良く殺伐としていない事。みんな穏やか。仕事のストレスがないんだろうな。

次回は私のために24日にプロフ(チャーハン)パーティをやってくれることになった。
こういう交流がうれしい。

▲黒っぽい衣装の多い男性たち。非常に心優しい方ばかり。

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2012年12月11日

<12月10日 タシケントの食事>

タシケントの食事は色々ある。

昨夜の夕食は、知人の自宅に招待され、中央アジア風のうどん「ラグマン」をご馳走になった。麺はお手製で、表面はなめらかだが、形がゴツゴツして腰があるので歯ごたえがある。スープは塩とトマト味がベースで、牛肉・羊肉の他、玉ねぎ・ピーマンなど具だくさん。
表面にパクチに似た香草が刻んでたっぷりふりかけてあり一口ごとにアジアを感じる。
こんなにたくさん食べれないと言いながらあっという間に食べてしまった。

▲中央アジア風うどんのラグマン・
 2日前は大衆食堂で同じく麺のノリンを食す。半生の細かく切った麺に肉(馬肉など)を入れてミックスしてある。若干油っぽいので、ついているチキンスープを飲みながらの方が私の口にはあった。
 ちなみにこのノリンを調理するために従業員の女性20人近くが、お客様の席の一角に立って包丁で切る作業は圧巻。 

おいしかったのは20cmくらいの陶器に入ったスープ「ショールヴァ」。肉やにんじん、じゃがいもなど野菜がいっぱい入って栄養満点。あったまる。

 ビールやウオッカのお供には良い。

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2012年12月08日

<12月8日 タシケントにつきました>

家を出て約24時間、中央アジアのウズベキスタン、首都のタシケントにようやく着きました。

厚木から、成田空港まではの高速バスは渋滞気味。先週の中央高速の笹子トンネルの事故の影響で東名が混み、横浜行の道路も迂回のクルマで混雑。

成田についても、雪の影響で飛行機が2時遅れとの事。

知人から頼まれた家電、ジューサーも手荷物はNGでした。果物を粉砕する刃が取り外せるので凶器になるので持ち込み不可とのこと。もう一度、搭乗カウンターに行き、預けました。アシアナ空港の方々は大変親切でした。

 そして中継地の韓国仁川(インチョン)空港についた。一昨日の大雪でいまだにダイヤが乱れている。例年1月に降る大雪が今年は早いらしい。
結局当初予定より5時間遅れで出発。

▲雪の韓国仁川(インチョン)空港。
深夜2時半にタシケント空港着。預けた家電製品がなかなか荷物のターンテーブルに出てこなくて40分待ち。

ようやくホテルについたのが深夜の3時半、日本時間のAM7:30。夜行電車に乗ったようでぐっすり寝ているので元気。

さあ、いい3週間にしよう。

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2012年11月12日

<11月11日 設計者の笑顔>

日産自動車のクルマ未来祭。知人にお誘いいだき、自宅から歩いて30分ほどのテクニカルセンターへ。

 トンネル越えると、山の中の広大な敷地に大きな建物。建物の中も綺麗で高級ホテルみたい。
 各ブースの間を電気自動車リーフで移送してくれる。スタッフの方がとっても親切。前の親子連れが嬉しそうに乗っていた。

小一時間ほどの滞在だったが、一番面白かったのが「設計者のこだわり」のコーナー。
 電気自動車に使う今までの磁石と比べ物にならない超強力磁石、高速回転でも金属が摩耗しない1ミクロンのアモルファスコーティング、薄暗くなると自動発光する自動車の正面のライト、宇宙空間からヒントを得た人に優しいシートなどが展示されてある。
 技術もさることながら、説明してくれる技術者の顔が素敵だった。実直そうに「これは世界で初めてです」と誇りを持って親切に技術を説明してくれる。

他にも手作りのおもちゃのクルマや、ラジコン操縦のクルマなど子供が喜ぶコーナーもにぎわっていた。
帰りのバスの中で、お子さん連れの40歳代くらいの真面目そうなお父さんが「面白かったかい?」と優しく聞く。きっと日産の社員だろう。

「家族に優しい設計者が、いい車をつくる」と思った。日産のファンになりました。
▲厚木の山の中、立派なビルが並ぶ。中には、スターバックスやコンビニもある。授乳室もあり、従業員が大事にされているのがわかる。
▲24時間耐久レースに出場した車。過酷な条件で性能を出すクルマ作りで技術力は上がっていく。

▲設計者たちが、笑顔で自信持って技術を説明。いい仕事をされているんだろうな。


▲ブースとブースので電気自動車リーフでの移送。親子連れが楽しそうに乗っていく。
運転中は静か。60から70kmの往復は電池が持つとのこと。

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2012年10月30日

<10月30日 TA研究部会運営委員会>

 今夜はTA研究部会の運営委員会。自主組織として、毎年の企画、お呼びする講師を考える。
 
 まずは先月の振り返りから。杉田峰康先生の講演内容は好評。さらに実習を増やすよう来年は工夫をしたい。 
 11月10日の安部朋子先生の準備状況の報告を11月の幹事から。順調に進んでいる。

 この日の議題のメインは今後のTA研究部会をどう持っていくかの対話。自由に意見を言い、聴く場なので、結論は出ないが、大きな合意はできていく。
 講師は今後もいい先生を選びたい、働く人にとって役立つ内容にしたい。他所では聞けない先生にしたい、無名の先生でもいい内容を話せる先生にしたいなど。

 最後は委員が交代になっ手講師になるミニ勉強会。
9月のソリューションフォーカス(SF)の国際大会に出席したKさんの報告。英国オックスフォード大学で開かれた大会の様子をパワポで紹介され、わかりやすかった。
 SFは人のよい面に焦点をあて、どうなりたいかを聞く。組織変革のポジティブアプローチと同じと思った。
 異文化の企業統合や企業の業績評価、メンタルネス強化の実例が紹介され興味深かった。

この委員会そのものが学び合う集団で、今後も活動が楽しみだ。

▲委員もコンサルタントや教育担当が多く多才で多彩。前回は私が北欧視察報告を実施。

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2012年10月12日

<10月12日 ウズベキスタン向けビデオレター>

一年に二回、中央アジアのウズベキスタンのビジネススクールに教えに行っています。11月3日に日本ウズベキスタン ビジネスフォーラムが首都タシケントであるので、ビデオレター用のインタビューを受けました。

Q「ウズベキスタンとの関係は?」
A「5年前からビジネススクールで1週間人材マネジメントを教えています。その後、企業訪問し、コンサルを行います、プライベートではウズベクの方々に剣道を教えています」

Q「ウズベキスタンのビジネスの可能性は?」
A「人財で言うと、真面目で好奇心とホスピタリティ精神にあふれる。若い人が多く今後の経済成長が期待できる。鉱山資源の他、サマルカンド、ヒバ、ブハラなどの遺跡=観光資源がある」

Q「ビジネス上の課題は?」
A「時間を守る事。また経営者はビジョン・チャレンジ精神があるが、それを従業員に伝える中間管理職が育っていない」

Q「日本企業にアプローチする場合、留意することは?」
A「日本企業は意思決定に慎重で緻密、時間がかかるなので、我慢強く付き合う事。
決定したら、ウズベク企業の集団で学ぶ力、チーム力を上げるようトレーニングする事。これがないといくら高品質、低コストの製品を扱かおうとしても会社が成長しない」

最後の質問は、日本企業が海外に進出する際、相手の国の企業もあわせて苦労する点。
次回にウズベクスタン訪問時の課題が明確になった。

▲JICAエージェンシーのPADECO社の近松コンサルタントよりインタビューを受ける。

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2012年10月05日

<10月4日 スウェーデン駐在日本人のお話>

 ストックホルム商科大学訪問の後のランチタイム。発表者及び関係者数名がお付き合いいただいた。日本から来られた研究者のお話が大変面白かった。

◎スウェーデン人の幸福とは?
シンプル。食べる事と家族。
再チャレンジできる事。当然、新しい事にチャレンジできる。社会が安定し、保障があるからできる。日本と違ってまた違う会社に入ればよい。気楽にトライして、ダメならまた違う事をやればいいって感じ。
元々、保守的な点があったが、10年位で変わってきた。経済の変化が大きいからそれに合わせていく必要があるから。

◎スウェーデン人のメンタリティ?
「自己決定」。自分で決めて責任を取る。厳しい自然環境が背景にあるのだろう。

◎学生のレベルはどうか?
 優秀。1を聞いて10を知る。東大と遜色ない。勉強は東大生の10倍くらいする。ゼミ形式で勉強せざるをえない。

◎日本にとって参考になる事は?
 小学校から議論の仕方を教える。突っ込まれても感情的にならない。

◎ご本人はスウェーデンの女性と結婚、出会いは?
 友達のパーティで知り合った。こちらのカップルもそういうのが中心。基本的にシャイなので「ナンパ」的な出会いはない。信頼できる友達からの紹介で知り合う。

◎夫婦関係?
 夫婦共働きが多い。大学の教員でも50万円/月くらいなので、二人が稼がざるをえない。愛がなくなると離婚。離婚率は高い。
 シングルマザーになっても社会が理不尽な思いをさせない。子供手当もあるし、保育所も無料。

◎税金が高いので優秀な人は海外に行くと聞くが?
ロンドンで稼ぎに行く人がいるが、儲けると帰ってくる。税率57%だから、超高額取得者には有利でないか?

◎他に?
時間があると地方自治体に行くと面白い。改善、改善。学校でも、先生どうしが、生徒の成績をいかに上げるかを見える化をして討議している。

▲ストックホルム商科大学の入り口のカフェテリアです。元々優秀な学生が、入学してもよく勉強する(東大生の10倍!)。

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2012年10月01日

<9月30日 世界一幸福な国>

 今日からヒューマンバリューさん主催の北欧視察ツアー。「北欧人づくり研究会」の第2弾だ。総勢約20名。 
 成田から空路11時間半、デンマークの首都コペンハーゲンへ。デンマークは日本の九州くらいの大きさ。人口は580万人で20分の一の大きさ。童話作家アンデルセンで知られたおとぎの国、酪農の国。最近では国民意識調査で「世界一幸福な国」として知られる。

 まずホテルについて驚く。ロビーに落ち着いたソファ。クッションや丸いブランコもある。北欧視察ツアーのご一行はすぐくつろいだ。

 首都コペンハーゲンを歩いてみる。
街は「北欧のパリ」と言われる位に荘厳な建物が多い。まずは市庁舎を経て、繁華街へ。世界初の歩行者天国と言われるストロイエ(デンマーク語で歩くという意味)を歩く。若干肌寒いが、地元の人々がのんびりと歩いていた。
 見ただけでは幸福かどうかわからないが、身なりはきれい。

 世界一幸福な条件に暮らしがある。社会保障が整っており食うには困らない。医療費・教育費はただ。油田があるので、北欧の中でも裕福な国だそうだが、それでも国の借金がGDPの30%になったので、諸福祉を何%カットしておいるとのこと。それがすべて情報開示され、国民が議論し政治で決めていく。うらやましい話だ。
 これから7日間、人の幸福と繁栄について考えていきたい。

▲こぎれいなコペンハーゲン空港を出たところ。タクシーがベンツというのがかっこいい。

▲さすがデザインの国。ホテルのロビーが落ち着いたカラーで、ソファー・丸いブランコなどくつろぐ空間になっている。長旅の疲れをいやすツアー仲間。

▲「東欧のパリ」と言われるだけあって荘厳な建物が多い。過去の戦災の教訓から景観を大事にしているそうだ。デンマークの3分の一の人がコペンハーゲンに住む。

▲今回一番見たかったアンデルセン像。市庁舎の入り口にチボリ公園を望む形で置かれている。
靴職人の子供と生まれ、ずっと貧しく不遇の時代も多かったそうだが、その中で想像力を働かせたという話には共感するところ大。

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▲運河のわきのカラフルな家が続くニューハウン。昔船乗りが長旅の疲れをいやす居酒屋だったそう。運河脇のレストランで夕食をツアーの皆さんと取る。名物のニシンは珍味。ロブスターのスープは美味で大好評。

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2012年09月14日

<9月14日 温泉の宝庫 川湯>

 宿は川湯温泉。欣喜湯(きんきゆ)という源泉かけ流しの宿に泊まる。
作りが風情あって大正、昭和の時代から愛用されただろうという老舗。この宿のお風呂は低温、中温、高温の3種がある。源泉をなめてみたが、しょっぱくてぴりぴり、大変濃くていかにも効きそうな湯。しばらくお湯につかっていると体のあちこちがピリピリ痛い。傷になったところがしみるようだ。

 車で5分くらいの近くに硫黄山がある。いまだに噴煙を出している硫黄臭の強い山だ。この山が地下水に影響して川湯温泉ができているそうだ。道理で源泉が濃いはずだ。

 摩周湖を見て、屈斜路湖のふもと、コタン温泉、三香温泉を経て、和琴半島にある
温泉。長さ数mの三日月形の露天風呂。庭の池のようなものだが、そこからふつふつと温泉がわき出る。屈斜路湖にそのままつながる野趣豊かな温泉。お湯が熱くて1分程度しか入れなかったが、数回入って満足。
 
 体にいい刺激をもらって、一路女満別空港に向かう。

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2012年09月13日

<9月13日 生命の宝庫 知床>

 昨日から北海道に来ている。今日は知床めぐり。朝、ゴジラ岩観光主催のクルーザー船にのる。3時間かけて知床岬まで往復する。途中、滝や奇岩に会う。小さな船なので、入江の奥まで入ってくれる。
 途中、沿岸を歩く熊を3回見かけた。約500頭、知床半島にいるらしい。
 ガイドを聞きながら、世界遺産のこの半島は生命の宝庫だと感じた。北半球では流氷の北限というこの地には冬には流氷がたどりつく。その流氷が莫大な植物プランクトンを運び、動物プランクトンのえさになる。その動物プランクトンが小魚のえさになり、サケやマスのえさになる。そして海ではクジラやイルカが食し、陸では熊が食する。森は森でうっそうとしていて小動物が繁殖し、空にはオオタカがえさに困らない。大規模な植物連鎖だ。人間もその分け前にあずかって、海産物をいただく。

 知床5湖に行く。あいにく午前10:40に熊が出たとのことで7割の道は閉鎖。木でできた高架の道を歩き1湖だけ歩く。それだけでも十分、木々の息吹を感じる。

 知床峠を越えて、羅臼へ。途中、熊の湯という露天風呂に入る。川が見える森の中にある。地元の方と話す。
命のエネルギーをもらった1日だった。

▲小型クルーザーから知床連山を望む。沿岸では熊が歩いているのが見えた。

▲知床5湖のうち、一湖に続く木の高架道。これでは熊は寄ってこない。

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2012年08月29日

<8月29日 無事、帰国>

 昨日、帰国した。

月曜日に韓国を直撃した台風のおかげで,タシケントから韓国インチョン空港行の便は4時間半遅れ。午前3時にようやく出発したものの、インチョンについたら日本への便はすべて満杯。成田行きも、大阪行も博多行も全て満杯。

 「何とかならんか、今日中に帰らねばならんのだ」と窓口で粘る。
ソウル泊を覚悟して1時間、「今すぐ搭場口に行ってください。関空行が取れました」との窓口の声。出発20分前の便が取れ、関空に。そして羽田へ。

 21時20分、ようやく我が家へ着いた。良かった。
 日本はいいなあ。

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2012年07月15日

<7月15日 感情と弱音>

 今日は日本ゲシュタルト療法学会学術大会の二日目。午前中は百武さんと守谷さんのワークショップ。午後は専門家4人によるシンポジウム。私は司会を担当。

 まず守谷さんのワークショップに参加。「企業幹部教育へのゲシュタルトの応用」というテーマ。3週間前の人間力強化道場のダイジェスト版のようなものだ。
 守谷さんは「ワークショップに参加される方は真剣にかつリラックスした態度が重要。そのための場を作る」とおっしゃる。 
これは剣道の稽古に通じる。真剣にやりすぎて力が入ると動きが鈍くなる。いかに力を抜くか、そして一点に力が集中する。それにより鋭さが出る。気づきの多い2時間半だった。
 
午後からは「多様な現場で活用されるゲシュタルト療法の役割」というテーマで、産業領域は岡田法悦氏、臨床領域は江夏亮氏、教育領域は定行俊彰氏、司法領域は岡本茂樹氏による20分間のお話。共通の話題は感情を出すことによって自己に向き合う態度が生まれる、そして人とのつながりが人を癒し成長させるという事。
 司会として工夫したのは、それぞれの発表者の発言の要旨をまとめて会場の聴衆に伝える事。そして発表者の発言の後、すぐ質疑に入るのではなく、会場の参加者同士4人組になってもらい20分ほど感想や質問などの意見交換してもらったこと。これでお互いの学びも深まるし、他の人の意見も聞いて考えが広がる。その後、活発な質疑があった。

 閉会式で印象的だったのは岡本茂樹氏(立命館大学教授)のコメント。「弱音を吐けるのはいいことですよ。そのために人は繋がりが必要。人とのつながりができないと物(酒、薬物、ギャンブルなど)に向かいます。それさえない人は生きていけない。人とのつながりを大事にしたいですね」
 
 最後に岡本大会委員長、田中千恵子実行委員長はじめ準備実行委員が舞台に集合。拍手をもらう。
3年前に百武理事長のもとでスタートした学会だったが、次の世代が主役となって盛り上げた大会だった。会員も増え、着実に前進を示した大会だった。
 

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2012年07月14日

<7月14日 ゲシュタルトセラピー学術大会>

 今日は日本ゲシュタルト療法学会第3回学術大会の初日。
 午前中は百武正嗣理事長の「家族連鎖の基本的な理論とアプローチ」。家族療法の基本が整理されたし、家族間の関係を個人と個人の距離、方向で見ていく方法は参考になった。
 
 午後は5人の研究発表。薬剤師の方が2名、セラピストが2名、ゲシュタルトをどう応用しているかの発表を行った。
 最後は私と白坂和美氏。メキシコの5月の世界大会の様子を発表した。まずは白坂氏から大会全体の様子を報告。
 私は世界大会の中の2時間のワークショップのエッセンスを発表。日本文化の特徴は何か、の問いかけから始まる。それは「和の心」、無駄なものを捨てて本質を探る「磨く文化」、自我をコントロールする「無の心」。
 そしてスライドで日本剣道形の一部を披露した。
その中で「日本の存在は世界で注目を浴びている。自信を持って日本文化を磨いていこう」
「日本のゲシュタルトも捨てたものではない(自信が持てる)。さらに磨いていこう」という事をまとめとしてお話しした。
 多くの拍手をいただいたし、終了後の懇親会では「面白かった」「感動した」「声がよく通る」「スライドの剣道着姿がかっこよかった」と多くのお褒めの言葉をいただいた。

 懇親会では、出し物として田中委員長の歌とセイイチさんの指笛。多くの人が踊った。メキシコ人のようだ。ケイコさんの歌も良かった。最後には会場の参加者が輪になって「故郷」「上を向いて歩こう」 の大合唱。
ゲシュタルトファミリーが一体化した瞬間だ。

▲「剣道では竹刀を刀とみなして稽古する」と発表する。


▲懇親会で肩を組んで歌う。伴奏はケイコさん(ギター)、セイイチさん(指笛)。

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2012年05月21日

<5月21日 メキシコの街>

メキシコシティの街を歩く。 標高2420m。空気の薄さは慣れた。 
 思ったほど空気は汚れていない。聞く所によると、20年ほど前は数m先の人の顔が見えないほど汚染がひどかったらしいが、一般車両の通行規制、バスの電気自動車化でずいぶんきれいになったとのこと。

 郊外観光をする。グアダルーペ寺院とテオティワカン遺跡。
メキシコの歴史は被征服の歴史だ。1519年にスペインのコルテス率いる500人くらいの軍隊がアステカ帝国を滅ぼす。湖の上にあったそれまでの神殿や町を破壊し、山を崩し湖を埋めたて、スペイン風の街を造った。

 さぞスペイン人に対するメキシコ人の恨みはすごいのだろうと思われたが、ガイドに尋ねると必らずしもそうではない。当時の帝国は周辺の部族から生贄を求め、食肉していたとのこと。むしろ、スペイン軍に味方する先住民部族もあったとの事。訊いてみないとわからないものだ。
 
 むしろ、今はアメリカへの反感があるとの事。北米大陸にあったカリフォルニアやテキサスなど今の国土と同じ大きさの土地を奪われたからとの事。経済はアメリカとの関係が深いので良いのだと思っていたが、これも訊いてみないとわからない。
 
 日本に対しては好感を持っているとの事。そういえばプエブラのカンファレンスでもエキゾチックと好感を持たれていた。
郊外ツアーから帰り、明日に備え早く休む。

▲グアダルーペ寺院でミサが行われている。世界からの巡礼の数はバチカンの次に多いとのこと。

▲グアダルーペ寺院の中の有名な「奇跡のマリア像」。貧しく敬虔な若者の持っていた赤いマントにマリア様の像が克明に現れたと言う。NASAの分析では地球上に存在しない物質で出来ているとのこと。

▲300年から500年に栄えた都市のテオティワカン遺跡の住居と「月のピラミッド」。

▲太陽と月の神話に基づく「月のピラミッド」。宗教的な儀式を行ったとされる。高さ42m。

▲高さ65m、底辺の一辺が225mの「太陽のピラミッド」。頂上まで登った。登れる高さとしては世界一高いピラミッドだそうだ。

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<5月20日 メキシコの人々>

大会に参加したのは7割以上がメキシコ人。英語が話せるのは2割から3割くらい。スペイン語がほとんどだが、気にせずににこにこ笑って話しかけてくる。色々なプレゼントももらった。ホスピタリティ精神があふれている。ずいぶん仲良くなった。よく笑うし、はにかんだ顔もする。
 最終日は笑顔で涙を流しながらのハグ、ハグ、ハグ。

5日間を通じて感じるのはメキシコの人の暖かさ、親切さ、真面目さ。正直さ。順番を守る礼儀正しさ。
そして人生を楽しむ陽気さ。ノリの良さ。
 かつてスペイン人に征服されたと思えない明るさ。

ただゲシュタルトの治療家は日本より多いようだ。それだけ心の悩みが多いのか?
沖縄と同じように表面は非常に明るいものの心の底には悲しさや我慢している鬱屈したものがあるのではないかと想像した。

▲3日目のパーティ、全員で踊った後、自然にリンボーダンス。みんな非常にノリが良い。
▲日本人は大人気。和ちゃんは浴衣を着て私は胴着に袴。どこでも写真撮影を頼まれる。この世界の大御所アンセル・ウォルトンご夫妻と記念撮影。

▲パーティ会場には食べ物やゲームの屋台が出る。チケットも整備。スタッフの準備は大変だったろうと思う。食べ物を取りに行くと「写真を撮らせてください」と言われる。日本にいるより千倍くらいモテる瞬間。

▲サンフランシスコのセラピストと。彼は日本が大好きで、禅に関心ある。我々のワークショップにも来てくれた。

 プエブラから2時間半でメキシコシティーへ。車が多く道路は渋滞している。
家並みはプエブラより汚くなった。プエブラは街自体が歴史的な世界遺産だから景観保護に力を入れているのだろう。
 途中で、屋根がない家もいくつかあった。屋根を完成すると固定資産税を取られる。それが嫌であえて未完成にしているそうだ。月収4万円を超えるのは国民全体で20%以下とのこと。

 貧しくとも通りを歩く人の顔は明るい。親は子供を大事にしている。カップルは歩きながらキスをしている。人を通して人生を楽しんでいるようだ。

▲百武さんが見つけたメキシコシティの居酒屋。人気店で混んでいた。30分くらい並んだが、うまくて安い。飲んで食って、一人800円。並んでいる時にに地元の人が教えてくれた「ブハラ(白身魚の揚げ物)」「たこ」は大人気だった。

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<5月20日 世界ゲシュタルト大会 最終日>

 朝は3つのワークショップをはしご。
「西洋仏教とゲシュタルト」。出席した田中幸治さんによると、瞑想をやることで自己の気づきが深まると言う内容。
次に「アートセラピー」。風景写真を元にどういうセラピーをするか語る。
 最後が「ゲシュタルトの5つの機能」。映像で家族の関係を良くし、幼児が元気になるプログラムを上映。この方が一番セラピストとして力量がありそうだった。

4日間を総括すると、剣道とゲシュタルトで発表出来たのは貴重な経験だった。2回のバーティーも胴衣、袴姿で参加。写真を撮ってもらった。剣道を通じ日本文化をアピールし、存在感を示したのが大きい。
 それ以外では、各国事情がわかり人脈が出来たことが大きい。いろんな国の人がゲシュタルトを学び活用している。アメリカでは盛んなのはクリーブランド、ニューヨーク、カリフォルニアの順。英国も元々は米国から考えが紹介され、ロンドン、マンチェスターが盛んなようだ。
 今回の4日間は技術を学び深めるより、セラピスト同士がお互いの気持ちをシェアしてリフレッシュするのが大きいようだ。癒やしと楽しみと人脈の場だ。
 自分としては次回はじっくり一つの研究所(クリーブランドなど)に行って学びたい。
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▲世界中の国旗が風に翻る会場入り口。「文化の出会いと融合」が合言葉。

▲午前中のセッション「アートセラピー」。おもしろそうだったが、スペイン語がわからないのですぐ退場

▲同じく午前中のセッション。5つの機能と映像がマッチしていた。


▲最終の全体セッション。参加者有志が感想をスピーチしあう。地元メキシコの参加者のスピーチ終了後、特に拍手が大きい.

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2012年05月19日

<5月18日 ゲシュタルト世界大会 2日目>

AAGT(国際ゲシュタルトセラピー先進協会)の2年に1回のカンファレンス、2日目。午前中はゆっくりして午後から出席。
 午後の基調講演はボルスター氏。ゲシュタルトセラピーの創設者のフリッツパールズ氏と共にゲシュタルトを広めた方。クリーブランドやサンディエゴで多くの生徒を教え、著書も多い。会場の参加者300人の内の3割位は直接教えを受けている。
 大会会長のキャセイ氏から感謝状を受け取るポルスター氏。キャセイ氏も涙ぐむし、ポルスター氏もぐっと胸に来ている。
 続いて氏に二人の方がインタビュー。生い立ちについて語る。答える声が力強く90歳とは思えない。内容は謙虚、あるがままに生きれば良いとのメッセージ。
 ハブニングで飾りの風船がポルスター氏の頭上にやって来て、氏が立ち上がって、大きくキック、会場から大拍手。本当に若々しい。

▲インタビューに力強く答えるポルスター氏。声や身振りに非常に迫力・存在感がある。

午後の後半は岡田法悦氏(日本ゲシュタルト学会副理事長)のワークショップ。我と汝の関係を日本文化と西洋文化の違いから説明。岡田氏は前回のフィラデルフィア大会に次いでの発表。立派だと思う。

▲岡田さんのワークショップ。父子の会話を実演させる。昨年、日本に来られた有名なセラピスト シルビアさんが手を挙げて実演。
 20時からアートバーティー。参加者が歌や楽器を披露。メキシコチームは楽器あり、民族衣装あり、観光名所を上映するスライドありのインパクトある内容だった。


 日本チームももやろうとのことで、8人が前に出た。最初に百武理事長から「昨年は日本は津波で大被害を受けたが、世界中から支援を受けた。感謝したい」、とスピーチ。その後、「ふるさと」と「上を向いて歩こう」を心を込めて歌った。
 静寂のあと大拍手。世界の国から受け入れられた気がした。

▲「上を向いて歩こう(海外では「スキヤキソング」)を熱唱する我等日本人チーム。

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2012年05月17日

<5月16日 メキシコの火山>

 ロサンジェルスからヒューストンへ。定刻通り順調なフライト。

 ヒューストンに着いた。スペイン語のアナウンスが増える。搭乗口に着いたら、メキシコのプエブラ行きの便はキャンセルとの表示。「アメリカだあな」と思いながら、サービスセンターに並ぶ。火山が原因とのこと。そういえば亜希ちゃんがこういうニュースがあると教えてくれた。
メキシコシティ行に変更。そこからバスを出してくれると言う。深夜着になるがやむを得ない。

 飛行機の中のアナウンスはほとんどスペイン語。聞き取れない。やたらまゆ毛やひげが濃い方々が乗客だ。眼が合うとハーイと挨拶し人懐っこい。
 メキシコ湾を飛んでメキシコの上空を飛び、メキシコシティへ。火山は見えなかった。約2時間。国際線だから機内食は出るかと思ったが出ない。国内の移動の様なものだ。

メキシコシティへ着いた。外は雨だ。標高2000mのこの町は空気が薄い。吸っても息苦しい。空港は新しく小奇麗だった。
 航空会社がバスを出してくれると思ったら結局は出してくれないようだ。しようがないので自己手配。
20分前に搭乗しようと思ったら「少し待て」との係員の指示。5分たって搭乗口に入場を許される。入国の時も同じ事があったが、意外とこの国は順序だった事を大事にする。
バスは新しくきれい。スナックと飲み物が出る。車内が暗いので熟睡。

1:15ようやく120km離れた町、プエブラに着く。タクシー乗り場に並んで必要な費用を払う。ぼられる事がなく安心。
1:30ようやくホテルに着いた。明日の準備をして就寝。

▲チョルーラ(プエブラ市から10km)から望む火山。2日たってもまだ噴煙が登る。

▲チョルーラの教会。アステカ時代は人口10万人の大都市だったが、1519年にコルテスらのスペイン軍に滅ぼされ、その廃墟の上に立つ。あまりにひどい虐殺だったので、スペイン人はそこに住めずプエブラに居を移したといわれている。


▲150万人都市、プエブラの街並み。世界遺産。高層ビルはなく庶民の街もほっとする雰囲気。
郷土料理もおいしい。我々が泊まったホテルも修道院を改装したレトリックな雰囲気の宿。

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2012年05月15日

<5月15日 花を愛でる>

 ザイオンの朝は素晴らしい。ロッジの周囲を見渡す限り300m以上の急な壁の様な山。
 新緑と花が美しい。空気が気持ち良い。
今日は移動日だが、こういうせわしないスピードでなく、ゆったり1週間くらい滞在するところなんだろう。
 花や木々を愛でる気持ちや余裕は大事。
ロッジの周りを散歩してつかの間の余裕感を味わった。

▲宿泊したロッジ。すぐ前や裏に大きな山がそびえる。

▲ロッジのベランダで。朝、日差しは強いが、空気は冷たい。こういうところで数日チェアでのんびりするのも悪くない。

▲朝の散歩。宿泊した目の前のロッジ。家族連れにいい一軒屋。
▲「こういう花を愛でて、終日過ごすのも悪くない」、と思いつつ、ロスへ向けてすぐ数時間のドライブに出る忙しい日本人。

 いよいよ明日でアメリカとお別れ。今日はひたすらロサンジェルスに向かって走る。
約8時間で到着。
 米国最後の夜はシーフードを楽しんだ。

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2012年05月14日

<5月14日 ザイオン国立公園>

 ザイオン国立公園はノーマークだったが、予想以上に良い。高さ300mから1000mクラスの巨岩があるのは他の地方と同じだが、色が白っぽい。違うのはヴァージン川というのが流れ、木々や色とりどりの花が咲いている。日本人が好きなタイプの自然公園で歩いていてほっとする。

▲公園入口の看板もしゃれている。
▲緑の木々を背景に山々が美しい。


 ロッジを予約して散策する。環境保護の一環でシーニックロードと言う一番景色の良い道路は一般車両の乗り入れ禁止。代りに無料の2両編成バス(プロパンで運行)が頻繁に往復している。90度に近い絶壁が周りを囲み壮観な景色が続く。

 一番上の停留所でおり、The Narrowというコースを歩く。山の間を歩き一番狭いところは6mくらいの幅で上は300mの山の絶壁が続いているという道。
まずは片道30分ほどの歩きやすい道を歩く。周りの景色が素晴らしい。
そしていよいよ名物の上流に向かっての川歩き。期岸の砂地は少ない。
川の水が冷たいし、予想以上に流れが急で深い。30分ほど歩いて、腰まで水につかっている人を見て上流への歩行をあきらめる。あまり楽しくない。
▲最初は何とか川の中を歩いて行ったが・・


▲進むにつれ、流れが急で深くなる・・・ 胸まで水に浸かっている人を見て引き返そうと思った。

 途中で上下、ウェットスーツを着て歩いている60歳前後のご夫婦と話した。「39$で街で借りた。今日は1日中歩いたが、全然寒くなかった」とのこと。準備が肝心という事か。かなり甘く見ていた。本来は前日ついて装備を借りて朝から登って夕方帰ってホテルで休むくらいでちょうど良いスケジュールだった。

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2012年05月13日

<5月13日 大地の奇跡2>

アンテロープキャニオンを後にして3時間、モニュメントバレーへ。今回、一番行きたかった所だ。
先住民のナホバ族の管理地にある。予定より早く着いたので3時間のヴァレーツアーに参加する。砂地の道を4輪駆動の見学用トラックは進む。最初は西部劇やポスターで見慣れた風景。間近に見ると数100mのそそり立つビュートが迫力持って迫る。
後半には見た事のない造形美が続く。ツアー後は圏内のロッジに宿泊。ビューーンに沈む夕陽まで楽しむ事ができた。


▲西部劇や米国観光ポスターでよく見る風景が間近に。こういうものが見たかった。



▲ヴァレーツアーの後半。トーテムポールという高さ100数十名のビュートを背景に記念写真。

▲「風の耳」という水と風の浸食で出来た大きな穴の前で。

▲グールディングロッジのベランダからモニュメントヴァレーに沈む夕陽を見る。大地と一体になる。
幸せ。

▲大きな岩山の懐にあるグールデイングロッジ。一軒家を借りることができた。
 

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<5月13日 大地の奇跡>

 アンテロープキャニオンを見る。パウエル湖へ流れ込む支流のひとつの川。柔らかい大地を水が削り取り、狭い峡谷になり、美しい模様の壁が出来る。上空の微かな空間から差し込む陽の光で岩の壁が赤や青の光に色づく。アッパーとロウワーの2か所を見る。

▲この山の壁の中を入っていく。アッパーアンテロープ。


▲光と大地の共演。
▲「ええ、こんな狭い割れ目に入っていくの?」ロウワーアンテロープの入り口。

▲手すりを伝い、下のほうへ降りていく。 

▲見たかった景色がこれ。まさしく大地の奇跡。

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2012年05月12日

<5月12日 グランドキャニオン>

 ラスベガスからグランドキャニオンへ、車で約4時間。遠くから見てわかるものと思っていたが、近くに来ても分からない。駐車場から歩いて5分のマーザーポイントにいきなり大地の割れ目が登場した。グランドキャニオン。地球が年かけて作った壮大なパノラマだ。
  歩いて約10分、ヤバパイポイントへ移る。
1500年代に西洋人で始めてこの崖を発見したスペイン人はさぞ驚いただろうと思う。数km単位で巨大な谷が続く。


▲広大な地球の割れ目が続く。

グランドキャニオンから約4時間、パウエル湖へ。昨日から何台かパトカーにつかまっている車を見た。そしてついに自分も捕まった。
 75マイル制限の高速。自分の後ろにパトカーがついていたのは知っており、コントロールしていたが、「1分間5マイルオーバー」で捕まる。悪質でないので切符は切らず「ウオーニング(警告)」とのこと。
さすがに後の運転は制限速度を守るようになる。
 
▲車の窓から。そそり立つ岩を横目に約100kmで安全運転で走る。

 そしてついた。パウエル湖は人造湖だが、変わった地形。岩石が柔かいので水で浸食され絶妙な造形美を見せてくれる。
 今日は遅いので、ダムの上流の「ホースシューベント(馬蹄のような曲がり)」に行く。ちょうど川が山の様な巨大な岩石の周りを260度回っているという景色。写真家が良く訪れる場所。安全柵も何もない自然そのものの崖の淵から恐る恐る覗く。
大迫力に足が震えた。自然の大きさを実感した1日。


▲壮大な眺めの「ホースベントシュー」。安全策がないので恐る恐る崖に近づいて撮影。

▲夕陽から日没の決定的瞬間を撮ろうとするカメラマン。

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<5月11日 ラスベガス>

来週のメキシコでのゲシュタルセラピー世界大会まで1週間あるので久しぶりに休暇を楽しむ。
 ロサンジェルスから車で4時間。ラスベガスへ。うす茶色の山波を見ながら走る。砂漠の地から突如、様々なデザインの高層ビル群が現れる。人工都市のラスベガスだ。

 この都市訪問は3回目。富士フイルムの新聞営業時代の展示会で来て以来、10数年ぶり。ぞの当時はルクソールとかベラジョが最新ホテルだったが、毎年新しいホテルがオープンされている。今はウィンラスベガスが一番新しい。2年前にオープンしたパラッツオに宿を取る。ホテル館内に川が流れゴンドラが行きかうベネチアンの別館で宿泊室が素晴らしく豪華。

 夜はショーを見る。今はシルクドソレイユの系統が多い。各ホテルで水や火やビートルズなどのテーマでいくつかの品目を上演している。
 今回、水を扱うO(オー)というテーマを選ぶ。ほぼ満席だが、180$の席があった。かつて入場料は40から50$位で手頃だったのに上がったものだ。 
 内容は素晴らしかった。ステージの半分以上がプールになっていてそれが満杯になったり陸地になったりする。演者も踊ったりアクロバットしたり、空中ブランコがあったり、まさしく最新のサーカス。夢のような1時間半だった。
 
 帰りにベラージョの噴水ショーを見る。10数年前に来た時はなかったパリスのエッフェル塔がバックにライトアップされた吹きあがる水が美しい。
 年中、お祭りをやっている街だ。

▲2年前に出来たベネチアンの別館パラッツオ。人気のホテルで内装が豪華。

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2012年04月07日

<4月7日 中国の新幹線>

 上海から北京へ新幹線にて移動。昨年の事故があって若干心配だったが、現地の人からもう大丈夫と聞きトライする。 
 錦江飯店から車で約20分、上海駅からではなく、新設の上海虹橋駅からスタートする。上海の国内専用空港の真横にあり建物のデザインもそっくり。DSCF2738.JPG
▲左が新幹線のハブ駅上海虹橋駅。右側が国内機の虹橋空港。空と陸の高速移動手段のハブをつくろうとする戦略が明確だ。

 着いて驚いた。建物の入り口は空港と同じ。荷物検査もある。 待合室が広い。幅60m×400mくらいあるだろうか。陸上競技場を2つ入れたくらいの広さ。25ホームまであり、上海から北京(3本/時)だけでなく、杭州・蘇州などに行く線もある。今後ますます増やしていくのだろう。益々発展するだろう。
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▲新幹線ビルの入り口はまるで空港。せまい入り口に人が殺到。
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▲広い待合室。全体はこの4倍ある。食事するところが見当たらず空腹を抱える。

出発の15分前になると長蛇の列。私も早めに並んだ。
列車の外観は日本の新幹線に似ている。外装が少し荒れている。素材が悪いのか、耐久かメンテの問題か。DSCF2747.JPG
▲出発20分前の改札前の混み具合。家族連れが多い。基本的には富裕層や欧米系外国人。
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▲手前が私が乗った車両。ちなみに新幹線は当地では高鉄と呼ぶ。高速鉄道の略かと思う。

切符はTさんに取ってもらったが、1等が955元(1万3千円)、2等が555元(7千円)。両方とも豪華。飛行機が700元くらいだからかなり贅沢。今回は1等車にしたが、飛行機のファーストかビジネスクラス並みの豪華な椅子。おまけにお絞りがついて、飲み物が飲み放題で、スナック(ビスケットなど。お土産に買いたいくらい美味い)が出て。昼食には弁当が出た。
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▲一等車は飛行機のファーストクラスのようにゆったり豪華。荷物入れがないのが残念。
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▲車掌さんもこのようなきれいなお姉さんが来てくれる。

 乗り心地は良い。あまり揺れない。本も読めたしパソコンも読めた。日本ののぞみの方が場所によって揺れる。
 景色は広大な大地が広がる。たまに集落やビル街があるが、後は田畑、荒れ地、山、川、湖。北に行くにつれ緑が減る。降水が少ないのだろう。DSCF2779.JPG
▲車窓より。北部に行くにつれ緑が少なくなる。

車窓は欧州に比べるとさみしいが、むしろまだまだ開発発展の余地があるのだと中国の可能性の大きさを感じた。
 途中、停車駅は南京西、済南西の2か所で、4時間50分で、北京南駅に到着した。

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<4月6日 上海の街を歩く>

上海の街を歩く。
◎面白いのがマンウオッチング。女性は化粧をしない。眉毛はそのまま。ソウルの街のように振り返るほどの美男美がいない。まだ美しく装う(化ける)という文化はないようだ。
 男女カップルは女性が元気。相手の男に話かけたり顔を触ったり背中をたたいたり。男はおちついているというか、ボーとしている。例外があって、男がチヤホヤしているカップルは女性が美人もしくは可愛い。女性はつまらなさそうな顔をしている。

◎地下鉄がさらに発達。経路も増えたし、切符は完全に自動化。タッチパネルが多い。ホームでは列車が来るまでにドアは遮蔽。転落事故もないだろう。
 列車が来るまで乗客は多少並ぶようになったが、列車が来ると乗降は入れ違い(真中が乗る人、両サイドが降りる人)。日本みたいに完全に降りる人を待つまでは至らない。またエスカレーターも両サイドに人が立ち止まる。急ぐ人を優先して空けるということがない。
 設備は整備されたが、運用のソフトが成熟していないようだ。

◎高速道路が便利。地下鉄2つ分くらいの距離でもタクシーはすぐに高速に乗る。無料だし、3車線から5車線くらいあるのでラッシュ時以外はすいている。これば便利。ただし交通事故は相変わらず多い。

◎上海博物館に久しぶりに入る。入場料無料。
4階から回る。他民族の衣装、伝統的な家具。3階は古代からの貨幣。風景画、いわゆる水墨画だが、絵と漢文が混じる。絵物語は日本独自と思ったが、ルーツは中国だったのか。

 2階は景徳鎮始め陶磁器。これは見ごたえがあった。色が美しくデザインが非常に凝っている。
1階が彫刻。5世紀前後の仏像が並ぶ。大きいものは迫力があるし、小さいものは加工がち密だ。仏像を見ていると強さ、優しさそれぞれ心に迫って来るものがある。
 ルーブルやメトロポリタンと比べると中世以前のものは迫力ある。それ以降のもの存在が薄い。焼失したか、はく奪されたか、闘争の積み重ねで文化創生どころではなかったのかもしれない。文化は平和及び富の爛熟にありか。

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2012年04月06日

<4月5日 6年ぶりの上海>

 6年ぶりに上海を訪問。富士フイルム中国の営業マン提案力強化研修以来である。
 今回は長男のおとも。彼はパン職人だが、今月お店(海老名)を開業するので忙しくなる前に世界を見ておこうという趣旨。

観光地だけでなく、パン屋や色々なお店を見てまわる。
 知人の日本人駐在員によると、9年前はパンを売る店はほとんどなくホテルに行かないと買えなかったそうだ。最近は店が増えた。日本からもヤマザキやドンクが出店しだした、とのこと。
 実際に見て回ると品ぞろえは豊富。フランスパンやメロンパンらしきものもある中で「松松」(糸状のイモがトッピング)という中国独自のパンもある。大きさ、価格はやや高め、大き目。脂っぽそう。身なりの良い人(富裕層)が買っていた。

 デパートの中の入口にはH&MやZARAなどの日本にもあるファストクローズ(価格はやや安い)が店を構え、賑わっていた。ユニクロもあったが高級ブランドのイメージ。シャネルやグッチ、プラーダなどの高級ブランドのお店はあったが、規模が小さくお客は少なかった。

 1日歩いた上海の印象。
◎空は相変わらず灰色に曇っている。
◎高層ビルの新築はいくつかあるが、8年くらい前と比べると減った感じ。以前は建設中の建物から出る塗装剤の臭いが至る所でしたが、今は大分落ち着いた。

◎物価が上がった。3,4割上がった。タクシーは初乗りが14元(200円)。前回は10元(140円)だった。空港から市街地まで150元(2000円)、前回は100元前後だった。

◎夕食は物流会社の駐在員Tさんのガイドでカニ料理店に。上海ガニはシーズンを外れていたが、カニ味噌と豆腐を上品に湯でた料理がおいしかった。満足。

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2012年03月25日

<3月24日 アメリカの暮らし>

 午後からは大学の後輩の吉田君に迎えに来て、もらい小一時間ほどでGreenwichへ。電車でグランドセントラル駅から電車で1時間くらいというが、多くの緑に囲まれ大きな一戸建の家が続く。まるで軽井沢。お嬢さんの教育のためにこの地を選んだとのこと。
吉田君は住友商事に勤務。トルコ、ジャカルタを経て、現在はニューヨークに通う。

ご家族にもお会いしたので米国生活をお聞きする。
◎ご近所の方はすごく早口で英語で話すので当初は面食らった。たまに日本に帰ると便利さを実感(奥様)。ちなみに奥様はパリ大会でお会いした剣友クラブの島田泉子さん(剣道五段)と同期。世界は狭い。

◎学校は2時過ぎに終わるが、宿題がいっぱい出る。特に英語。社会は米国の歴史を詳しく学ぶ。聞き慣れない人の名前をいっぱい学ぶし、古い英語なので難しい。いかに米国は素晴らしい国かを教えられる。国家や誓いの言葉を毎日しゃべらされる(お嬢さん)。お土産の鳩サブレをずいぶん喜んでいただいた。

◎家の周りの木々は郡の管理。勝手に切れない。葉っぱの掃除がたいへん。ゴルフ場が歩いて数分のところにあり便利。一般にゴルフ費用は数10$で非常に安い。(吉田君)

 彼は経理マンだが、現地スタッフのマネジメントも行っているので、人事評価や目標管理制度について尋ねた。日本の先進大企業と同じだった。
 ただし、日本と違ってチームワーク重視で他の人の手伝いはしない。仕事の縦割り・横割りの線引きがはっきりしていて、プラスαのことはしない。アメリカンフットボールのように専門が決まっていてその中で任務を果たすことでチームとして成果を出すやり方だと思った。
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▲閑静な木立の間にある吉田邸。駅まで徒歩で15分。マンハッタンの喧騒とは別に健康な暮らしが満喫できる。

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<3月24日 世界の有名人・要人たちとともに>

午前中はマダムタッソー蝋人形館へ。入場料は36$と高いが、古今東西の有名人が約200体。文句なしに楽しめる。
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▲ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー夫妻と記念撮影。DSCF2562.JPG
▲ダライラマ氏と世界の進路について合意する。
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▲ローマ法王と世界平和について語りあう(以上は蝋人形です)

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2012年03月24日

<3月23日 花咲くニューヨーク>

 街を歩く。気温15度以上。かなり暖かい。Tシャツ、ノースリーブの女性が歩く。
人種のるつぼというだけに色々な肌色の人が歩く。スーツ姿もいる。東洋人もいるが、日本人は少ない。
 この時期は桜始め、白い花が街を飾る。山吹始め黄色もある。セントラル公園の芝は緑になっていた。

 午前中はハーレムそばのコロンビア大学へ。3つの私立大学だ。建物の古さが伝統を物語る。昨年、マンハッタンの剣道で会った警視庁の若い剣士はこの大学でテロ対策を勉強していた。
 近くのグラント将軍の記念館へ。南北戦争の時の北軍の将軍だった人だ。人心把握が抜群だったそうだ。

 午後はメトロポリタン技術館へ。今回は中近東の美術に絞るが、それでも見きれない。確かに太古からエジプト、メソポタミア、インダスの古代文明に囲まれ絶えず人の移動があり文明の盛衰があったところだ。 
 日本美術の「絵物語」というテーマのブースに入る。確かに鳥獣戯画、百鬼夜行、源氏物語絵巻など絵と物語が一体となった作品が多い。日本のアニメが強いのもこの辺から起因するのかも。
 時差の疲れもあって疲労こんばいの3時間。
 
 ホテルで一休みして仲間とともにオフブロードウェイへ。今回は2年越しに楽しみにしてい「Stomp」。8人の男女がモップから始まり、手や足、日用品を使ってリズミカルな音楽を披露。ほとんど会話はないが、しぐさ・視線が面白い。観衆を巻き込み笑いの渦を引き起こしていく。
 今日も満足の1日だった。
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▲アッパータウンにある名門コロンビア大学と桜の木。本を持った学生が行き来していた。DSCF2488.JPG
▲コロンビア大学そばの教会。中高生が歌と踊りの練習をしていた。
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▲メトロポリタン美術館の中の美術紹介。色とりどりの日本画の屏風が展示されてあった。
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▲メトロポリタン美術館の中の西洋の甲冑。何回来てもこの武具には心惹かれる。
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▲メトロポリタン美術館での歌とタップのパフォーマンス。ノリがいい。地下鉄の中でも歌や音楽のパフォーマンスに出会う。さすがニューヨーク。

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▲100人くらいの劇場で演じられるSTOMP。いつも満員。

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2012年03月23日

<3月22日 ニューヨーク>

 成田空港から12時間で米国ニューヨーク(以下NY)へ。来週月曜日からのヴァンジョインズ先生の心理学ワークショップの出席のために経由地で時差調整だ。

 1年ぶりのNYは道が混んでいた。5番街も人が多い。景気が好転しているのだろうか。大統領選の対策もあって失業率が下がっていると聞いた。 今回は、マスオさん、ちえさん、やよいさんとご一緒。

昼食はオイスターバーへ。この時期に3種類の牡蠣が食べれるのはうれしい。他にロブスター、シュリンプ、サラダをシェア。白ワインが合う。
 そこで3人と別れ、近代美術館(MoMA)へ。閉館間際だが、セザンヌ、モネ、ルソー、ゴッホ、ゴーギャン、マチス、モディリアーニ、ピカソなど教科書に載っているような有名な絵を見る。満足。
 
20時からミュージカル。マスオさんのお勧めで「オペラ座の怪人」を見る。
歌が素晴らしい。オペラ風に声を張り上げる。特に主人公の怪人は哀愁を込めて力強く歌い、惹き込まれる。
 踊りもバレエ中心に迫力ある。白衣の少女団の踊りが美しい。
舞台設定も大掛かり。天井から落ちて来る数mのシャンデリア、舞踏会、ジャングル、怪人が歌姫クリスチーナを引き連れる地下の大階段、地底湖、靄の中で怪人の櫓で操るゴンドラなどが狭い舞台に現れる。
 2時間40分、最後は怪人の切なく悲しい思い・行動で幕を閉じる。「男はつらいよ」と言いたい気分で共感。

 鍛え抜かれた一流のものを見せていただいた1日だった。
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▲マンハッタンのロックフェラービルの前のスクエアガーデン。春なのにスケートリンクがあり賑わっていた。
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▲近代美術館(MoMA)にて。こういう有名画が手軽に見れるのがうれしい。DSCF2466.JPG
▲ブロードウェイの夕刻。急ぐ人たちが往来する。夜になるとさらにネオンが輝く。前回来た時よりも明るい気がする。ここだけ見ていると景気は良い。
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▲ミュージカル「オペラ座の怪人」。劇場の前の看板。怪人が歌姫を連れて地下の池をゴンドラで行く。
ラララ・・かなしい調べが響く。

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2012年03月16日

<3月16日 西川耕平先生との対談>

 組織開発(Organization Development; OD)で有名な甲南大学教授の西川耕平先生と大阪駅でお会いした。先生はODネットワークを主宰されている他、国内外のODに詳しい。

 当方は企業内のODに関して日本や海外で展開して実例を紹介しそれに対してコメントをいただいた。また先生から海外で話題になっている事例をご紹介いただき貴重な時間となった。
 
 印象的に残ったのは、
◎リアリティチェック;集団の中で、メンバーが自由に発言しながら、自分でこの発言はいいんだろうか自己チェックを行うこと。
◎ブライトポイント;ある組織で変革を行う場合、うまくいっていない点を問題にするのではなくうまくいっている点に焦点をあてる。ポジティブアプローチや社内的ベンチマークに近い。アメリカの病院で院内感染を防ぐ事例が興味深かった。
◎オーセンテックリーダー;集団の中で自己に真実であろうとするリーダー。事実が曇りなくよく見え決断に迷いがない。剣道の無心の境地に近いなと思った。
 
 マーケットを見る目も曇りがないといいと思った。日本企業が電気・通信機器や半導体において韓国や台湾に後れを取っているのはマーケティングの問題だからだ。組織開発というと内向きの視点になりがちのように思うが、外部環境に透徹した目を向けることになれば日本企業も変わっていくと思う。
 
 西川先生と予定した2時間があっという間に過ぎ30分も延長。まだまだ最新のOD理論は入口に入ったばかりだが、知識を深め探求していきたい。
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▲西川先生からいただいた研究論文。「組織論のポジティブアプローチ」「変革の抵抗」など非常に興味深い内容。

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2012年03月05日

<3月5日 パリこぼれ話>

 昨日のパーティやパリに来てこちら在住の日本人から聞いた面白い話をご紹介します。

◎乾杯の発声はサンテ。仲良くなるとチンチン。日本人の女性は恥ずかしがっていた。
またカチンとグラスを合わせる。昔、テーブルマナー教室ではグラスを合わせないと習ったがこちらの人は合わせる。昔、よその宴席に行くとグラスに毒を盛られる事があるので、勢いよくグラスをぶつけると液が混ざり合う。するとお互い安全だと思い安心して飲める、そこから来たという。

◎フランス人はカップルになると同棲を始めるが、結婚比率を聞くと40%くらいだという。理由は離婚すると高いお金を取られるから、との事
 未婚でも子供ができると国から育児補助金をもらえるからいいじゃないか、と聞くと「それまでに分かれる事が多い」との返答。

◎パリの人はおしゃべりが大好き。レストランに入っても飲み物を頼まずにそのままおしゃべりをしている。何を話しているのかと聞くとたわいもないこと。「昨日のスープの味はしょっぱかった。具はどうだった」という話題で1日が持つそうだ。
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▲フランス人剣士との交流会が楽しい。彼女は日本の千葉県船橋市に住んでいたそうで代の日本びいき。
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▲町の片隅で見られるレンタサイクル。どこで借りてどこで返却してもよい。とってもエコ。

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2011年12月31日

<12月31日 今年を振り返って>

 大掃除が終わって一息。あと2時間弱で今年が終わるが、1年を振り返る。

 日本全体は大変な年だった。経済が停滞している中で、3.11を迎える。今も行方不明の方々、ご家族や友人・職場の仲間を亡くされた方々、仮住まいの方々がいらっしゃる。改めて合掌。

 個人的には1月・2月と7月以降12月までずっと多忙であった。

 一番多かった研修はマネージャー対象の中期課題設定力強化研修。8回×3日=24日。リーダーとして現状分析、将来の環境分析をして将来のビジョンを描き課題を設定をする。今の日本のリーダー、マネジャーに必要なことだ。皆さん、最初は苦労されるが、3日間が終わるとすっきりされた顔をされる。

 次にリーダーとして自己認知・自己洞察する研修。これも8回、23日。
 その次が明るい職場を作るための自由なコミュニケーションのミーティング。ポジテイブアプローチという手法を使う。自分及び自分たちの欠点ではなく、長所に目を向ける。その長所が最大限発揮されるとどうなるかを描く。率直なコミュニケーションを図りながら、大きなエネルギーが沸き起こる。

 年末のウズベキスタンでの経営者セミナーも今年からの新メニュー。経営者にとって組織、人をどう扱うのかを学んでいただくのが狙い。初めての企画だったが、好評だった。こちらも翌週のビジネスクールも含めて当地の実態(目標管理、評価など)がよくわかり次年度以降の参考になった。

 この1年、組織と個人の「元気力」を起こしていただくのが我が使命と実感した。来年もさらに皆様のお役にたてるように尽力したい。
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▲タシケントの街で、劇場。芸術を愛する心は万国共通。
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▲タシケントの最大の市場チョルソーバザールの手前にあるモスク。今もお参りに訪れる人が多い。
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▲よく買い物をしたホテル近くのスーパーマーケット。

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2011年12月28日

<12月27日 ウ国の企業訪問>

 27日、28日と企業訪問。PMPの参加者の中で希望者の企業を訪問する。色々インタビューして企業診断して必要なアドバイスを行う企画だ。12日、13日も入れると全部で9社訪問したことになる。

 共通しているのは社業が順調に伸びていること。1年で50%伸びているところもあった。ただ資金繰りがうまくいかなくて困っている。原材料は外国から輸入するのだが、現金がない。銀行が貸してくれないそうだ。多分に欧州金融危機の影響があって欧米の投資家が投資資金を新興国から引き上げているのが影響しているのだと思った。

 モチベーションをどうやって上げるかという質問も多かった。よく聞くと期首の目標設定(上司から部下へ期待を伝える)事と評価が不明確な事が原因とわかった。4社ほど評価のやり方を教え満足いただいた。

 中には企業の代表である社長や役員が立派だなあと思う方にお目に掛かる。ほとんどが30歳代。彼らは自らよく勉強し、その内容を従業員に教えている。マーケティング、営業方法、人間関係、モチベーションなど週に2から3回、2時間ほど教えている。
 従業員はめぐまれていると思うが、やる気のある社長や役員にも悩みがある。「自分たちほど従業員はやる気がない、学ぶのはもういいと言っている、どうしたらよいか」というもの。「馬を水辺に連れて行っても飲まない。」という日本の諺を紹介した。学ぶことと自分のキャリア、自分の関心(給料や地位のアップ)、とをいかにつなげるか、それが大事であるという説明をした。

言うのは簡単だが、実際はそうはいかない事情もあるのだろう。社会主義国だった時代の影響、その後の自主独立路線の教育の問題など色んなことが背景にあると思われる。これらの実態を踏まえながらさらに彼らが前進できるような提案や教育をしていきたい。
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▲IT製作の会社と。私の右が優秀な経営者。2時間ほど従業員にインタビューし、組織診断した御礼と
してジンギスカンの着るようなコートと帽子を記念としていただいた(どうやって持って帰ろう?)
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▲研究開発をする企業の代表役員。4か月前のアドバイスを生かしてずいぶん組織風土を前向きに変えられた。御礼にウズベキスタン料理をご馳走になる。

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2011年12月26日

<12月25日 ウ国の人々>

 今回、UJCやPMPの人たち以外に昨年の教え子のアブドラ氏にずいぶんお世話になった。氏はドバイの航空会社で働いていた他、色々な経験をして、今はGPSを使った新規商品の販売を手掛けている。英語ができるし、日本文化に関心高い。津軽三味線が大好き。面倒見がいいので、ずいぶん助かっている。あちらこちら連れていってもらい、知見が増え、人脈も広がった。

○小学校の同級生、法律家のB氏。日本のTV番組が大好き。 ただ、たけし軍団の深夜番組でドタバタ劇を見たり、故中川経済相の酔っ払い記者会見などをYouTubeでよく見ており日本のイメージを正しく持ってもらっているか心配。

○TVプロデューサーのC氏。現在、マレーシアで働く。日本札幌で兄が働いているらしく日本に詳しい。

○アブドラ氏のお母様。非常に元気で母性愛豊か。日曜日に手作りのラグマン(うどんのような麺類)をご馳走になった。
 8人兄弟の下から2番目。25日はちょうど誕生日で私もご招待を受けた。経営しているチャイハナ(喫茶と軽食堂を合わせたもの)で親族友人を集めてのパーティ。
 招待客一人ひとりが立ってご挨拶する。
一人は「日本人は大変ハードワーカーで緊張が途切れない。今回その日本人が参加してくれたのは嬉しい」とご挨拶。その通りだ。私もスピーチする一人ひとりの写真を撮っていたが、「ゲストとして変だから」とアブドラ氏に言われてやめた。動きたくなるのが日本人だ。

その後は、大音響の中、ダンス・ダンス・ダンス。皆さん、60歳前後なのにお元気。2時間以上踊っていてもやめるそぶりはない。
私も少し踊って、大喝さいを得たが、すぐ疲れて席に戻るが、また親戚のおばさんに誘われてフロアに行って踊る、そして戻る。この繰り返し。
 運動不足にはちょうどいいが、心身ともに疲れた。
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▲人懐っこくて親切、エネルギッシュなアブドラさんのご家族
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▲踊りが大好きな皆さん

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2011年12月25日

<12月24日 ウ国のクリスマスイブ>

ビジネススクールの講座が終わって最終テストの採点をしていると、教え子の一人が昼食を誘ってくれた。韓国料理屋でキムチ鍋を食す。ちなみにウ国には韓国料理やが多い。20万人のコリアンがいるからだ。気の毒に第2次大戦後にソ連が主に北コリアから労働用に連れてきた方の子孫である。
 
食事後、鉄道博物館につれてもらった。これは面白い。昔の蒸気機関車が数十台置いてある(客車も入れて36台)。すべてソ連時代のもの。日本でもこれだけの実物が置いている場所はないだろう。高さは約6m。車輪は私の背くらいある。マンモスの様に大きい。技術の移り変わりもわかる。当初はブレーキは車輪の前に砂をまいて止めたらしい。ヒットラーを載せていたドイツ製の列車もあった。冷戦時代、核ミサイルを搭載して各地を移動したという列車もあった。
今は250Kmのスピードの高速列車(スペイン)がサマルカンドとタシケントを結ぶ。
 
夜はUJCのクリスマスパーティ。2年ぶりに参加(会費は約四千円)。回教の国なのにキリストさんの誕生日を祝う。ちなみにUJCのオッフィスも色とりどりの光物で飾られる。
パーティは大きなレストランで実施される。バンド演奏があって、歌やダンスがあるが、ほとんどはダンス。皆、食事を済ませて、席を立って踊る。西洋式もあるし、民族の曲も流れる。日常は真面目に地道に働く職員も着飾って、踊る。皆うまい。別人のようだ。
私も時を忘れて踊る人になった。
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▲1956年までモスクワータシケント間を走っていた蒸気機関車。大きい。

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▲みんな朝からパーマに行ったり、ドレスを着飾ったり・・・。そして踊る。

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2011年12月15日

<12月14日 ウ国の結婚式>

今日はBコース初日終了後、PMPの生徒の結婚式に出席。初めての経験だ。UJCからは西脇所長とコーディネーターの3人でお邪魔した。

 会場は老舗ウズベスタンホテルの別館。中に入って会場の豪華さに驚く。
 会場入り口には華やかに着飾った若い女性が10人ほど。コートの下は肩や背中の出た色とりどりのドレス。背が高いのでモデルの様だ。 さて会場へ。企業グループのご子息だけあって出席者は多い。300人弱の参列者か。民族衣装の年配の女性も多い。

 18:00開宴だが、40分経って新郎新婦登場。小さな子供たちが先導する。身内の式は昨日終了。今回は披露宴で祝辞はなしで、ファンファーレのあと、音楽と歌が始まる。
 最初の30分近くは新婦はずっと下を向いたまま。そういう習慣らしい。「式が終わるとダンナは下を向いて奥さんは上を向くのか」と隣の人に訊くとそうだと大笑い。
新郎は29歳、新婦は18歳。若くてうらやましいという思いよりも家事は大丈夫かと思う。なんでもお母様が家事を教えるそうだ。この地では18歳、19歳で結婚するのは珍しくないとのこと。

30分もすると中央のフロアにはダンスをする人たちでいっぱいになる。民族音楽に欧米の曲。ノリがいい。こちらの人々は両手を広げて、手首を曲げてリズムに乗る。阿波踊りと沖縄のカチャーシ―にも共通点がある。
先生もどうぞと言われて、調子に乗って踊る。そのうちビデオカメラに映されるので辞めるわけにいかなくなってスピード早く手足を動かす。周りの拍手でますます辞めれなくなった。

曲が終わってほっとして席に戻り、会場をあとにする。たぶん夜明けまで続くんだろう。
こちらは明日の授業に備えて早く休む。面白い1日だった。
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▲新婦は最初の30分くらいはずっと下を向いたまま。感謝とか羞恥をあらわす習慣だそうだ。
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▲パーティが始まって30分もたつと参列の方が踊りだす。女性が多い。後に新郎新婦も参加。

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2011年12月10日

<12月10日 冬のタシケント>

昨夜23時ころウズベキスタンの首都タシケントに入る。年2回のビジネススクールの講座に出席のためだ。主催はUJC(ウズベキスタン・ジャパンセンター)でPMP(プロフェッショナル・マネジメント・プログラム)と言う。ODAの一環でJICA派遣になる。
幸い、当方のHRM(人材マネジメント)が好評で、今年からアドバンスコース(別名Bコース)も開設いただくことになった。経営者対象で定員以上の申込者があったそうでありがたいことだ。

という事で例年より1週間早い入国となった。27日まで滞在。
昨日まで国内の仕事が山積で、こちらの教材は未完成。土日はホテルに缶詰めで教材作りだが、外が寒い。東京より数度温度が低いし、雪が積もりだす。閉じこもりには適切なシーズンだ。

今回のBコースの教材づくりでは経営者の方々が従業員のモチベーションをあげて、会社を発展させるには何が重要かをまとめるには絶好の機会。関係図書も持参したし、今までの経験・ノウハウをまとめたい。
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▲早朝の散歩で。吐く息が白い。ゼロ度近い。その中で、道の掃除を一生懸命するおばさん。
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▲歩いて1時間ほどの最大バザールのチョルソーの一部。冬は野菜が少ないが、かぼちゃ、イモ類が多く置いてある。

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2011年10月22日

<10月22日 ゲシュタルト学術大会>

本日は日本ゲシュタルト療法学会(百武理事長)の第2回学術大会。大阪天満馬橋で開催。約80名、全国から参加。
午前中は米国の哲学者でゲシュタルトの実践家シルビア博士の基調講演。東洋の考え方や現象学について詳しく講演いただいた。午後は学校教育、医療系、ビジネス系など5件の事例発表。

私もビジネス産業部会より実践事例を発表。最初に「昨年の7月横浜の大会では身内(産業部会の関係者)以外で聞いてくださったのは10人以内。今回、これだけの人数の前で話せるのは光栄」とお伝えした。
内容は国内外の活用事例研究(英国の実践家Talia氏との情報交換)、部会メンバーの企業でのゲシュタルトワンポイント活用、リーダー教育の企画・実施事例(人間力強化道場)などこの1年間の活動内容を紹介。ゲシュタルト療法がカウンセリングなど心理療法以外に企業のマネジメントやリーダーシップ強化、チームづくりにどれだけ活用できるかを紹介。

聴衆の反応が良かったので、調子に乗ってちょっとしゃべりすぎたが、反応は概ね好評。「話に引き込まれた」、「面白かった」、「無言のエンプテイチェアが良かった」、人間力強化道場に参加したいなどと好評。また「産業部会の方々が頑張っているがわかった。自分たちもやろうと思った」というメールもいただき、今の仲間たちの努力も認められほっと一息。

  今後は強いリーダーの脱皮として人間力強化道場の継続発展(年2回)、より裾野を広がるためにゲシュタルトコーチングやチームビルを新規開発して行きたい旨発表。学会の中でも認知を得たので今後も更に活発に活動を広げて行きたい。

今日は折しも私の誕生日。学会に出席した世田谷の仲間、全国から集まった方々とシャンペンで祝杯。幸せな1日になった。

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2011年07月08日

<7月7日 ささやかな復興支援(2)>

 現地の様子も目の当たりにするができた。
釜石;新日鉄釜石や釜石駅は大きな損傷はなかったが、海岸付近に入ると瓦礫の山。ビルも一階は窓が割れ中身が流されがらん胴になっている。
大船渡市;同じく町の中心部は損傷はわかりにくい。国道も普通に流れる。一歩、海岸部に入ると瓦礫(木やコンクリート)の山。道路が陥没している。
陸前高田;山の上から海岸方面を見て息をのむ。町自体が数10kmにわたって存在しない。道路だけが回復したようだが、一面建物などが撤去されて荒野原。まだ海水があちこちに残る。
気仙沼;まだ家や建物が損壊したままで残っている。港から流された船が家の上に乗っかったまま。ひたすら手を合わせる。
名取川;TVで津波が川沿いに上がっていくのが何回も放送された。今回訪れたが、川の東側が数kmにわたって被害がある。まだ瓦礫の撤去は十分進んでいなくて、転覆してペチャンコになった車がみえる。

 各地で何かお手伝いできることがあればやろうと思い、軍手やシャベルを持参したが、出る幕がない。津波の被災地の中心部はクレーンやシャベル、ダンプカーがないと手に負えない。むしろ素人は邪魔になるだけだ。
少し落ち着かれたら、メンタル面でのサポートが必要な時もあると思う。その時は専門を生かしてささやかながらに気持ちが楽になるよう傾聴などのお手伝いをしたい。
それまでは今まで同じく「現地のものを購入・消費する」ということで復興支援したい。今回、現地を訪問してより身近に感じ、積極的に支援したいという気持ちが強くなった

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2011年07月07日

<7月7日 ささやかな復興支援(1)>

ようやくこの2日、東北を訪れることができた。心配していた知人の元気な顔も見れたし、ささやかな復興支援もできた。
 3月11日の後、他の方も同じだろうかと思うが、何か被災地の方に役立つことができないかと思っていた。ただ、現地に行っても中途半端な装備や体力では足手まといになって迷惑をかけるだけだから、と遠慮して、もっぱら義援金を送るのと被災地の食品やお酒を飲むこと、あとは普通の暮らしをすることに集中。
 先般、日経ビジネスのコラムに「冷やかしでも良い。東北に来て、何か買ってほしい。何か食べて飲んで泊ってくれて、お金を落としてくれたらそれが復興支援になるる」という文章が載っていて「これだ」と思った。今週になって時間ができたので実行した。

初日の夜は花巻温泉の新鉛温泉。旅館は通常の半分くらいのお客様の入り。行くことで喜ばれた。土産を買う。釜石の道の駅、三陸町、大船渡町、仙台、福島それぞれで海産物、おかし、漬物、お酒などを買い込んだ。
津波の来ていない場所は通常の生活に戻っておられるように見える。昼食は気仙沼駅の前の食堂でラーメンを食べる。ここは3.11の前はふかひれ料理が有名だったそうだが、漁ができていないのでさんまのつみれの入った普通のラーメン。電車は一関と気仙沼間は復旧したようだ。

 いたるところに「がんばろう岩手」「がんばろう宮城」「がんばろう東北」というのぼりやステッカーが貼ってある。 道路の上にはところどころ「復興支援ありがとうございました」という垂れ幕がある。
この日は北海道警察の車が数十台見ることができた。この他、北陸、東京、関西と多くの警察官や自衛隊員、消防の方々が来られている。本当に頭が下がる。

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2011年05月29日

<5月28日 ハリーポッターと超人ハルク>

 ユニバーサルスタジオ・オーランドに行く。2つテーマパークがあり、一つはロサンゼルスや大阪にあるものと同じ。もう一つは新しくできたアイランヅオブアドベチャーで、そこを訪れる。狙いはハリーポッター。
 「ハリーポッターの禁じられた旅」は最大8時間待ちを更新した最新のアトラクション。実は火曜日にASTD本部主催のパーティがここで行われた。全部貸切なので待ち時間ゼロ。我がツアーからは20人が参加した。自分は出たかったものの涙をのんで情報交換会に参加したので欠席。出た人からはいかに面白いかと聞いたのでやっぱり行こうと思った。

 3日前に行ったKさんにお付き合いいただいた。70分待ちだったが、途中お城の中の部屋の絵画同士が話したり、ハリーたちが窓に現れて挨拶するので飽きることはない。
 ようやくライドに乗る。ほうきに乗って空を飛ぶハリーを追って、お城の中や幻想的な街中を急上昇、急降下。ライバルとボールゲームを行う。ボールがすごい勢いで目の前を飛ぶ。スリル満点。乗ってよかった。かなり振り回されたり、足が空を向くほどひっくり返るのであと10年くらいすると体力的に乗れないのではないかと思う。
 スパイダーマン。これもヒーローと共に急上昇、急降下。3Dなので、悪漢の放つ火や棒が迫ってくるので身をよける。40分待ちだったが、ハリーポッターができる前は一番人気があったのかと思われる。

 超人ハルク。これは間違えた。ハルクが変身するショーだと思っていたが、ライドが急坂を上昇したので嫌な予感がしたが、何とスクリューコースター。5回ほど360度回転し、3回ほどきりもみ。笑いながら絶叫。食事を後にしてよかった。声を出したのですっきり感がある。

 今回、同行いただいたKさんは売れっ子の講師。ASTDも10年以上参加されているベテランだ。アトラクションの待ち時間に色々お話しを伺う。
 今 手がけておられるお仕事(少人数製造工場の活性化)のお話は共通する事が多い。主催のヒューマンバリューさんは学習する組織を推進する団体なので、ここに集まる方は「いかに社員の自発的な行動を促進して成果を出すか」を考えているのでよく似ている。
 エサレン研究所やアーノルド・ミンデル博士などの考え方もよくご存じで、身体と感情・思考を一致させるワークショップも共通の関心事だった。
 こういう優れた方とご一緒するのもASTDのだいご味だ。
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▲有名なユニバーサルスタジオの地球儀。ここと同じくらいのスペースが新しくできたアイランヅオブアドベチャー。DSCF0741.JPG
▲「ハリーポッターの禁じられた旅」の入り口。お土産やさんや飲食店が並ぶ。ちょうど学生が夏休みに入ったとあって混んでいた。
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▲「よくこんなもの作ったなあ」と思われる精巧なハリーが活躍するお城。お城の中も映画で聞いた不気味な音楽が流れ、映画で見たような装飾が丁寧に施されている。時間待ちの70分はあっという間に過ぎた。
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▲知らずに乗ってしまったスクリューコースター「超人ハルク」。確かに絶叫するとハルクのような顔になる。

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2011年05月28日

<5月27日 ディズニーワールドと仲間たち>

昨日の早朝、日本からのツアーのほとんどの方は帰ったが、残留組7人でディズニーワールドに行く。4つのテーマパークの内、話し合いでEPCOTに。直訳すると未来の社会の実験的モデルだ。
 家族と15年ほど前に行った事があるが随分アトラクションが増えていた。

<ソアリン>ナパバレーのブドウ畑、ヨセミテの滝、モントレーの海、ディズニーの花火などのカリフォルニアの風景を空から楽しむ。急上昇・急降下したり、ゆったり飛行したり、パラグライダーに乗った気分。
ちょっとスリルがあるが、気持ちもいいしさわやかな風に乗っていい気分になる。日本にできると超人気アトラクションになるのは間違いないと仲間同士の声。

<大地と共に生きる>
熱帯雨林、砂漠、大草原の環境を体験し、実験農場へ。無重力、遠心力、時には土なしで育つ野菜や果物の生育を見る。いつの日か人類が大気ではなくこういうドームの中にすんでも食糧確保できて安心というメッセージかもしれないが、そういう日が来ない事を祈るのみだ。

<テストトラック>
 GM提供。新車の走行テストと称して、坂道やジグザグ道を走行。極寒、酷暑、霧の中をは走ったり、急ブレーキテストの後は、真横になって高速走行する。普段の自分の運転に似ているのであまり刺激はない。

 アトラクション以上に、同行の仲間たちとの会話が楽しい。皆さん、個人や企業でコンサルタントや講師をやっている方で好奇心と遊び心が強く話題が広い。ある通信電話会社のセールス研修の設計をやってシェアを上げた事例等、ビジネスの話の他、旅行、ファッション、プレイスポット、料理など飽きる事がない。英語も堪能で何回もアメリカに来ている方ばかり。

 夕食はホテル近くのキューバレストランでカリブ料理。料理の内容に詳しい人がいて珍品を楽しんだ。一人で来てはこのだいご味は味わえない。キューバ料理は生魚や貝をアボガドや柑橘類であえたものが多くさっぱり味で日本人向き。ラム酒のカクテルによく合った。
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▲EPCOTのシンボル。ゴルフボールのような形状。
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▲世界中の建物がそろうワールドショーケースの中のドイツ館。中はビアレストラン。
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▲ドイツ館の中のビアレストラン。生ビールがうまいし、野菜が多い食事に一同感激。合間にバンドが民謡や特殊楽器の演奏をやってくれてしばしドイツを堪能。

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2011年05月22日

<5月21日 ココビーチ>

 湯川さんの住むのオーランドの東南、Rockledgeそばのココビーチのホテルに泊まる。スペースシャトル発射基地として有名なケネディ宇宙センターも近い。

朝から散歩、数分で大西洋に面したビーチに到着。南北に伸びる何もない長い白砂の浜辺。長く続くビーチを歩く人、走る人、日の出から30分も立ていないのにベンチを出して横たわるご夫婦。皆ゆったりしている。ザバーンザバーンと波の音。平和だ。
方向を変えて、西の方へ歩く。わずか2kmほどでバナナ川へ着く。昨日見たインディアン川(ラグーン)の支流に当たる。途中の家が素敵だ。庭の広い一戸建て、平屋が多い。川に面した家は桟橋の先にクルーザーを持っている。時々住人が見えるが、気さくに「グッモニン」と挨拶を交わす。豪邸に見えるが、2000万円(最高1億円)から購入できると言う。
ラグーンにはイルカやマナティが泳ぐ。冬は寒くても10℃程度だそうだ。ここで暮らすのも悪くない。
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▲フロリダ半島のココビーチに面する大西洋に上る朝日。
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▲朝日を浴びてベンチに横になるカップル。
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▲ラグーンに面する邸宅はこのように各戸が桟橋とクルーザーを持っている。

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2011年05月21日

<5月20日フロリダの風>

 フロリダのオーランドに着いた。あさってからASTD(アメリカ学習・訓練学会)。
空港に着くと蒸し暑い。ディズニーグッヅを扱う大きな売店が目立つ。旅客もラフな格好でここは世界的なリゾートだ。

知人の湯川さんご一家が迎えに来てくれていた。湯川さんは思斉館滝澤道場の稽古仲間。ソニーに勤務しておられたが、リタイヤし、昨年11月より娘さんご夫婦が暮らすこの地に越してこられた。
空港より南西へ約90km。周りは緑一色。一般道は70マイル(約100km)で飛ばせるので1時間弱で湯川さん宅に着いた。場所はラグーン(潟;水と海水が混じった川)に面する立派な邸宅だ。
娘さんの佳織さんのご主人ダムさんはフロリダ生まれで建築業を経営。日本びいきで、車は日産、船はヤマハ、ブルドーザーはコマツなどを愛用。「日本産で一番良かったのは奥様ではないですか?」と言ったら「そう、彼女も輸入した」と笑って答えられた。

夕食会場には、何とラグーンに停泊中のクルーザーで移動した。こちらの方は一軒に一艘クルーザーやモータボートを持っているらしい。ニューヨークから移住された富裕層も多いらしい。
川の上は右側通行。時々無線で水上パトロールからの連絡が入る。どこそこの方の船が沈んだとか言っている。ダムさんはカリブ海のバハマなどにも行くそうだ。大きなマグロを釣りたいのが夢だそうだ。

レストランへ着いた。はしけに泊める。昔、西部でカウボーイが馬をバーの前に留める、あの感覚だ。
ラグーンに沈む夕陽を見ながら食事が出来るレストランは混んでいた。
 楽しい会話が弾むディナーも終わって、薄暗い川をまたクルーザーで戻る。風が心地よい。空には北斗七星が見える。
 リタイヤ後のこういう豊かな生活もあるのだと知り、世界が広がった。
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▲築100年以上の豪邸の前で湯川さんとツーショット。
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▲川の上の桟橋(板張り)を剣道場にして毎朝素振りする湯川さん。木刀でタイヤを規則正しく打つ音で
イルカが珍しがって見に来るとか。
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▲クルーザーの前で湯川ご一家と。リチャードギア似の佳織さんのご主人が運転するクルーザーでこれからレストランに向かって出航。DSCF0471.JPG
▲私も運転させていただく。船もブイの横をを走る右側通行。

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2011年05月13日

<5月13日沖縄は雨だった>

 昨日から沖縄へ。週末にNewライフアドベンチャーセミナーのために那覇に入る。
あいにくの雨。例年より2週間早く梅雨に入ったとのこと。ただ本州の梅雨と違い、しとしと雨でなく、ざっと降ったり、曇りのち晴れ間が見えたり、亜熱帯地方の雨期に近い。
 
 昨日は知人に連れられ経営者団体へ。色々お話しを伺う。景気低迷が続いていてセミナーを開いても人が集まらない。一方で沖縄の経営者100人以上が東北地方を訪問。観光地で消費して間接的に震災後の支援を行うツアーを何回か企画されているとの事。
 
 本日はワークショップの会場下見。同志のてるちゃん、あきちゃんとレンタカーで回る。会場は森の向こうに海が見渡せる高台にあり、素晴らしい景観だ。
 
 会場下見の後、ミーバルビーチへ。サンゴ礁につながる白い砂浜が美しい。3年半前、ワークショップ中に倒れられ、大好きな沖縄で逝かれた岡野嘉宏先生を見送った地である。
 この3年間を思う。心ひそかにご遺志をついで、Newライフアドベンチャーセミナーを開催すること10数回、TAも企業研修を含めると数十回実施させていただいた。まだまだ師匠のレベルには到達しないが、参加者には喜んでいただいている。
「完全でなくていいんです、まずは一歩から。すると世界の風景が変わる」「君なら出来る」「いい仕事をしているなあ」などのお言葉を思い出す。
 海は穏やかで、雲は白く大きく広がっていた。
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▲那覇空港に到着。空港の通路には熱帯の花が飾られ南国ムード満杯だが、外はあいにくの小雨。
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▲ミーバルビーチにつながる茂み。向こうには白い砂浜が広がる。
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▲本来はこのくらいの青い海が広がるはずだが(この写真はイメージ)、少し曇っていた。

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2011年05月02日

<5月2日 草津良いとこ一度は・・・>

 親戚の法事があるので、前泊に草津温泉に来た。
関越自動車道を降りて1時間強。結構奥まったところにある。江戸時代以前からこの温泉は有名で、将軍がこのお湯を取り寄せたと言う記録があるが、ずいぶん遠くまで足を運んだものだ。

 町中が温泉。町の中央に湯畑というものがある。大きな源泉から木の樋でお湯を数十m流し、適度な温度にして各旅館や公共浴場に供給する。
 山本館という一番湯畑に近い旅館に泊まった。お風呂は一つだけだが、湯質は良い。硫黄臭がしてやや白濁。朝夕楽しんだ。

 町に出ると無料の公共浴場がある。無料で脱衣場と洗い場が一緒になっているこじんまりした浴場。3か所回った。白旗温泉が一番硫黄臭が強烈。温度も熱い。なかなか入れない。意を決してずぶりと中に入るがしびれる。他の人が入ってくるとお湯が動くので熱さが強烈に感じるので思わず湯船を飛びだしてしまう。拷問の様なお湯だ。

 昼食に精進料理店に入った。このお値段でこの味!!と言う位、上質の日本料理だった。料理人は高級旅館の板前として50年間勤務、そこで磨いた腕をふるっているそうだ。1日限定20食で、終わったら閉店。
 おかみさんは「道楽でやっているから」との事だが、一品一品が凝っている。お酒のつき出しのニンニクにせよ数日間薬味に寝かせて味を調える。他の一品もそうだ。最高級の野菜や肉を選び数日前から味を仕込み、当日丁寧に煮込み焼く。最高の状態にして限られたお客様に提供する。非常に丁寧。
 我々の仕事もそうだなと思った。丁寧に仕込んだ上質の研修を提供したいと思った。

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▲草津の湯畑の下流。源泉から木の樋で冷まされたお湯がたまっていく。ここから各旅館、公共浴場へ供給される。
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▲夜になっても湯畑近くの足湯には多くの人が集まる。

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2011年04月28日

<4月28日 鹿児島へ>

鹿児島に来た。明日から学会共催のゲシュタルト・セラピーの合宿で前日に入る。
思えば、日本ゲシュタルト療法学会が出来て随分横のつながりが出来たものだ。東京地区でも他の勉強会グループと親しくなったし、仙台はじめ九州や関西・岡山地区などの方ともと随分知り合いが出来た。
今回来れて嬉しく思う。

今年1月に来た時は、雪で桜島は見えなかったが、今回は飛行機からも良く見えたし、ホテルへ移動する際の電車からも良く見えた。気持ちが大きくなる。
 鹿児島はいいところだ。緑がまぶしく、優しい。水もきれい。空もきれい。海もきれい。夕食も野菜やお肉、そして焼酎がうまい、安い。

神奈川にいる時は臨戦態勢だ。地震がほぼ毎日起きるし、原発も落ち着かない。3月ほどではないが、ニュースを見ながら、身を守る事を考える。
東北の人々の事を考えるが、中途半端にボランティアに行って迷惑をかけるよりは今は割り切って仕事で稼いで義援金に回して貢献をしようと割り切っている。自粛は反対。

ところがその緊張が鹿児島に来ると癒されてしまう。こちらの方と話しても、東北の震災後の映像を見ると哀しみは出るものの、地震発生の生活実感はないとおっしゃる。
確かに地震を忘れて心身が癒される。明日からの3日間の合宿、じっくり英気を養わせていただく。
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▲電車(日豊本線)の窓から、桜島を望む。

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2011年04月04日

<4月4日 大前経営塾卒業式>

昨日は大前研一経営塾17期の卒業式に出席。このコースにかつて2年間参加(修了)、昨年から「生涯学習コース」として参加している。
卒業に際して、塾長が時事ネタを話す。時節柄、原発問題が中心になる。大前氏は東工大、MITで原子力を学んだ元専門家。原発事故の原因、今後の対策についてYouTubeに先週発表、50万件以上のアクセスがあったという。今も政府から話を聞きたいと頻繁に声がかかる。

修了証書授与、我々生涯学習コース修了者の名前が呼ばれた後は、約1時間、質疑応答。これが聞きたかった。
<質問1>「福島原発から100kmに住んでいるが大丈夫か?」
<回答1>「お逃げなさい、冗談です(笑い)。大丈夫でしょう。最悪期は過ぎ去った。後は汚染水をどう処理するかの事後対策。
今は実質的に人体に影響がないレベル。30kmの避難命令も米国スリーマイルの時みたいに自主退避にすべきだった。
ホウレンソウなど野菜の県別出荷規制も合理性がない。今後はWHOに定期的に出荷数字を調査してもらい安全性をアピールしてもらうしかない。

<質問2>「東北の部品メーカー初め、産業界の復興はどうなるか?」
<回答2>「この地区で、競争に負けた企業はタイに移転。今残っているところは独自の物作りの力を持つ。サムソン、インテル、トヨタの出荷停止があったのはここから部品が来ないから。
 ある程度、移転は起きる。関東でも同様。コンピューターのバックアップは関西や九州、海外に移転。米国大使館は大阪に移転した。企業でも大阪に本社移転した社がある。
 電力不足は対応可能。東電の計画停電はすぐ辞めないと中国・インド並みのインフラ不足の国になってしまう。」

<質問3>「原発事故による、日本の海外への売込みの影響は?」
<回答3>「大いにある。震災前は原子力、鉄道、水が3大売り込み品目だったが、原子力は当分無理。原子炉はGEが作ったのだが、政府や東電の問題処理のまずさ、隠ぺい体質のマイナスイメージが広がってしまった。鉄道(新幹線)も同類に見られ厳しい。競合の中国が鉄道大臣の汚職でエラーをしてくれているが、大きなイメージ挽回策が必要。

<質問4>「政界、産業界において、他国と比べ1980年以降の日本にリーダーが育たない理由は?」これは私が質問。
<回答4>
一人っ子が増えたのが原因。昔は兄弟が数人いて、長男以外は外で稼ぐしかなかった。彼らは思い切ってリスクテイクしてチャレンジした。ブラジルへの移民しかり、米国への進出しかり。ハングリーだった。
 松下幸之助さん、本田宗一郎さん、盛田昭夫さん、皆自分で考えた。質問を考え、優秀な他者から学んだ。ストリートファイトをし鍛えて行った。
 政治の世界で、考えを持っていたのは吉田茂、中曽根元首相。中曽根氏にはよく食事に呼び出された。彼はメモに質問リストを作って質問する。回答するとまめに書く。
彼の特徴は志。1年生議員の時から名前を売っていたし、首相になると言っていた。」

<質問5>「塾長のエネルギー、モチベーションの元は?」
<回答6>「朝3時ころ起きて仕事、眠いと眠る。週末は長野などでスノーモービル。または都内で自転車。やりたい事をやる。
悩まない。朝、起きて問題解決を考える。
批判されても気にしない。こちらも言いたい事を言う。
人と争わない。イライラしてもしょうがない。無視して心の中で「死ね」という。相性が悪い人がいても、残りの60億人の人と付き合えば良い」

書けな
い内容も多いが、「そうだったのか」と膝を叩くことの多い知的刺激に満ちた1時間半だった。
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▲原発事故を鋭い切り口で解説する大前塾長
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▲経営塾の卒塾式風景。自分も5年前に卒業。

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2011年03月19日

<3月18日 米国訪問>

 迷ったが予定通り、米国に行く。バンジョインズ先生のワークショップ。剣道も4回実施予定。
福島の原発が心配だが、家族は適時安全場所に避難させた。
 
 成田空港に到着。混んでいる。まず案内所で長い列。切符を求める外国人(アジア系)が多い。そして航空会社(ANA)のチェックインカウンターまで1時間以上。係員に聞くと地震以来、ずっとこんな状況との事。出国審査はすいていた。

 シカゴ行きNH012便は結構空席があった。11時間半の飛行でシカゴ空港着。
入国審査は簡単。両手の指紋は目の奥の写真は取られるが、質問もなし。持ち物チェックでは靴を脱がされるし、立ったままCTスキャン(?)で全身を写される。
待合所のTVでも日本の原発や被災された方の様子が映し出されていた。

 シカゴからラリ―・ダーラム空港までの乗り継ぎ便は鉛筆のように尖った小さい飛行機。横の席はわずか3人、全部で50人位のサイズ。ビジネスマンばかり。隣の体格の良い紳士は飛行直前までメールをしていた。前の席の右の方は携帯で電話、左の方はスマートフォンに見入る。仕事熱心な日本人みたいだ。飛行は1時間半。

 ノースカロライナ州ラリ―・ダーラム空港に着いた。屋外は広い森の中に道があり、ところどころに家がある造り。
 天気が良く温かい。もう初夏の陽気だった。
日本では風邪気味だったが、ホテルに着いたら治っていた。

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2011年03月13日

<3月13日 東日本大震災>

 東日本(東北・関東)大震災で被災された多くの方々に心からお見舞い申し上げます。

3月11日の午後2時35分は家で書類を作成していた。大きな横揺れが長く続く。家の壁に付いている時計や掛け軸が大きく揺れる。棚にあった書類や本が落ちてくる。
余震がまた来た。

「これは大きいぞ」と思い、テレビをつける。ライブで揺れを実況していた。しばらくして震源地は宮城沖。マグネチュード8となる。神奈川は4。それであれだけ大きいのか。テレビにくぎ付けになった。

 「津波の影響があります」と3時を過ぎるとアナウンスがあり、津波の様子が画面に映る。言葉を失う。
堤防を突破した波が車や民家を呑み込み、どんどん奥へ進んでいく。特に名取川の画面は悲惨だった。10km奥まで泥の津波が押し寄せて行く。つい数メーター先にいる車が進路に迷う。思わず「そっちじゃない、こっちへ逃げろ」と声を出す。次々と飲みこまれる。合掌。
 
 東京で勤務している家族(息子たち)も交通の足がなく帰れないが、無事の様だ。

 この3日間は時間があればTVを見ていた。津波の傷跡の惨状を見て、手を合わせたり、何が出来るかを考えたりする。とりあえず、ゲシュタルトの仲間の問いかけにカンパのお金を振り込むことにした。
 後、何が出来るだろうか?

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2011年02月19日

<2月19日 TA研究部会記念行事>

本年度最後のTA研究部会は自主運営記10周年念の会でした。

◎10周年の歩み;委員長の私から28年前に岡野嘉宏先生主催でスタート、10年前から会員有志による企画・運営に移行、現在に至る経緯をご紹介させていただきました。

◎記念講演;
山本晴義先生(横浜労災病院勤労者メンタルヘルスセンター長)による「TAを活用したメンタルへルスケア」。会場をエネルギッシュに歩き回る山本先生、「つらいことがあっても生き続けていいんです」「日本人男性に自殺者が多いのは周りにつらい気持ちを話さないから」とはっとするようなお話に会場は魅了されました。

◎午後は、交流分析学会理事長の杉田峰康先生、生涯発達心理学(白百合女子大学教授)の田島信元先生によるパネルディスカッション。
私が司会をさせていただき,まず諸データで今の日本の概況をご紹介。
「経済的に横ばい、少し元気がない今の日本にTAは何ができるか」という大きなテーマに両先生から貴重なお話しをうかがいました。
 
 「日本人の特質は“甘え”。これは他者を信頼するというベースであり活力の元。この良い関係の元に健全なFCを伸ばす。つまり、異種の人たちと交流する、新しい事に挑戦する事が重要」と杉田先生。
 
 「20世紀の教育は多くの科目で満遍なく良い点を取る事だったが、21世紀以降は本人の特質にあったいくつかの能力を伸ばす機会を与える教育が必要。これは生涯有効。60歳になっても80歳になっても能力は伸び続ける」と田島先生。 
 あっという間の3時間半でした。

◎夜は記念パーティ。過去おいでいただいた先生方(白井幸子先生、江花昭先生)、タイアップ先の代表の方々(交流分析協会、アカデミアTA、チーム医療)のご出席のもと、楽しいひと時を過ごしました。

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2011年01月02日

<1月2日 霊峰 富士>

 新年のあいさつ回り。

静岡県富士宮市の浅間神社で2度目のお参り。富士山が見事に見える。久しぶりに拝む白い雪を深くいただいて富士は神々しい。まさに神の山だ。

芝川町(昨年、富士宮市と統合)の初稽古会に出る。昔、稽古にお邪魔したところだ。小中学生が新年のあいさつに来るので対応。礼儀正しい。その後、面をつけて稽古。
 途中から大人の剣士とも稽古。昔、お願いした先生もいらっしゃるし、同僚もいる。寒い中だったが、いい汗をかかせていただいた。

今年も心身を鍛えて活躍したい。
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▲芝川中学から望む富士山

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2011年01月01日

<1月1日 年の初めに>

皆様、あけましてめでとうございます。年が明けました。
この2日間部屋の大掃除をして執務部屋がたいへんきれいになって目覚めてもたいへん気持ち良い。
天気に恵まれすがすがしい新年を迎える事が出来ました。

近くの飯山観音長谷寺にお参りする。
朝8:00ころだと参拝客が少ない。山の中腹にある名刹(関東33ヵ所の13番目)で木々に囲まれ神々しい。
父の墓に参る。お墓に水をやっていると上方20mくらいの草むらに野猿の群れ。20匹くらいはいるだろうか。お母さんに捉って移動する子猿がかわいい。こういう生の自然に出会えて幸福感。

本尊に御参りする。何を祈るか?大げさでなく、世界平和、人類幸福、そして家内安全を祈る。帰りに鐘をつく。
静かな元旦に響き渡る音。
日本っていいな、今年は日本が元気さを取り戻すために尽力しようと思った。
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▲野猿の一部。あれっ今年はサル年だっけ?
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▲飯山観音長谷寺でいただいた家内安全、商売繁盛のお札。

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2010年12月31日

<12月31日 1年の終わりに>

今日で年が終わる。
今年は例年よりも1週間ウズベキスタンに行くが早くその分早く日本に戻る。十分、年越しの大掃除の時間があった。
約半日、数年間手つかずの書斎の片隅の書類だまりを片付ける。きれいになった床を見て新年を迎える気になった。

今年はどんな年だったろうか?
前半は比較的に時間があった。勉強会や色々なパーテイで知り合った方々の会社を訪問して意見交換出来たのが貴重だった。

5月連休を過ぎたあたりからずいぶん忙しくなった。昔お世話になった工場や会社からお声をいただき西へ東へよく移動し研修や講演をさせていただいた。

今年の研修、講演ベスト5は下記の通り。
(1)脳に汗をかくほど考える「中期課題設定研修」;延べ28日
(2)元気で自律力・育成力をつける「TAによる気付きのセミナー」22日
(3)オープンで柔軟な組織風土を作る「アサーション・トレーニング」;12日(対象は約2,000人)
(4)役員・マネジャーのリーダーシップ強化のための「360度多面評価による自己洞察研修」「エグゼクティブコーチング」20日
(5)海外のリーダー育成が18日
この他、目標管理、ポジテイブアプローチによる元気な組織造り、ロジカルシンキング、研究者のプレゼン研修などなど。
ご要望にこたえてよく考えて工夫し、休む間もなくやらせていただいた。皆様に感謝しつつ、一年を終えたいと思います。

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2010年12月10日

<12月9日 ウズベキスタンに着いた>

 昨日ウズベキスタンの首都タシケントについた。現地時間22時(日本は午前2時)着、機内で良く寝たので疲れはない。気温0℃、そんなに寒くない。覚悟してきたが
日本とそんなに変わらない。昼間は10℃だそうだ。1週間前に雪が降ったとのこと。

 日本にいる時、あるお客様から「ウズベキスタン人てどんな顔?同じモンゴロイドだから日本人に似ているんでしょ?」と聞かれうまく答えられないでいた。今回は空港でウ国の人々の顔をじっくり拝見する。丸顔でガッチリまるっこい身体。男性は頭髪は短い。心は暖か。これから12日間お付き合いさせていただく。

長い税関審査が終わると、いつもながらUJCの運転手さんサヌットさんが迎えに来てくれる。8月はお父さんの葬儀期間中でお休み中なのにわざわざ送りに来てくれた。彼の顔を見るとほっとする。

ホテルにつくまでにやたら警官が街にいるのがみえる。大統領がロシアから帰ってくるのでその警備だそうだ。カザフスタンなど中央アジアの国々の首脳会議があったらしい。

 23時(日本は午前2時)、トルコ系のホテル「デデマン」に着く。

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2010年11月22日

<11月22日 韓国の街を歩く>

今日は終日、見学と観光。

◎まずは軍浦市国際センター(GumpoGlovalCenter;略称GGC)を見学。2年前に軍浦市が設立した教育施設でいわば公立の語学塾。通常の費用が70万ウォン(56千円)かかるのにGGCでは10万ウォン(8千円)ですむ。子供及び社会人が英語はじめ他国の語学と文化を学ぶ。講師は50人で外国人もいる。一日の開設時間は14:50ー22:00。
 この施設は公立の教育施設で黒字経営の模範施設としてTVや新聞に紹介されたと言う。現在は3000人が受講。
 通訳に「何故韓国の子供はそんなに勉強するのか」と聞いた。「偉くなるため、いい会社に入るため」という答えが返ってきた。一昔前の日本のような激しい競争社会が続いておりそれが韓国の成長を支えている。

◎市長へ表敬訪問。ずっとお世話いただいた市役所の方々、軍浦市剣道連盟の方々も出席。集合写真も取り、お互いに印象交換をした。「日本の子供たちは強い」というのが彼らの印象だった。

◎景福宮見学。朝鮮王朝を作った最初の皇帝の城。何回かの戦災の被害を受け、現在は150年前に復元されたもの。
 日本語ガイド(安さんと言った)の説明がきびきびとしてわかりやすく理解が進んだ。彼女は背が高く颯爽としているのだが、歩くのが早くて、当方も速足にならざるをえない。一般的に韓国女性もせっかちが多いとのこと。

◎街を歩く。観光人向けの商店街。日本語が通じる。あまり欲しいものもなく、待ち合わせの喫茶店に入る。そこの漢方薬を煎じたようなお茶がおいしかった。

◎夕食は待望の焼肉。肉の塊を焼く、しばらくして店員さんがハサミを持って、登場。肉を切ってくれる。
なくなったら補充してくれる。キムチなどのお代わりも自由。今日は焼き肉天国だ。

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2010年11月20日

<11月20日 韓国軍浦市訪問>

今日から4日間、韓国を訪問。厚木市と提携関係にある韓国軍浦(クンポ)市との剣道交流をするため総勢38名の訪問団(団長;滝澤建治八段厚木剣道連盟会長)の一員として参加。
 厚木からバスで一時間、羽田の国際空港へ。先月21日にオープンしたばかりだが、広くてデザインが良くて素晴らしい。レストランエリアは江戸情緒がたっぷり。
 飛行機が飛び立った。半分が小学生なので賑やか。「ななめ(に飛び立っている)!」「家が見える(下に)」と可愛い感想。
 
 韓国金浦空港に着いた。空港からソウルに移動、窓から見る景色はお店の看板のハングルを除くと日本と変わらない。
 途中、青瓦台(大統領府)を見学。
 さらに貞観劇場で観劇。MISO(美笑)という一種の歌劇だが、ストーリーがわかりやすいうえ、歌(パンスリ)が素晴らしい。太鼓や踊り、古典芸能(頭の上に付いた長い紐を回す)も興味深かった。

 夜19:30に軍浦市に到着。市による歓迎パーティを開いていただいた。副市長さんのご挨拶のあとは、相互に自己紹介をしての懇親。わかったのは
◎皆さん人が良い。親切で純朴 
◎見た目が堂々としている。体格が良い。来ている服がおしゃれで日本人から見るとやや派手。
◎もてなし上手。お酒は継ぎ足ししないと聞いていたが結構お付き合いしてくれた。
◎英語より日本語の方がわかる(英語ができるのは学生だという)
  気持ちの良いひと時を終えた。

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2010年10月13日

<10月13日 北京の暮らし>

北京で、色々な方に話を聴く。
 明暗両方あるようだ。激しいインフレ。2008年の北京五輪以来、物価は上がった。マンションは倍以上。今はちょっと郊外で2万元/平米以上(36万円)。3年前の倍以上。100平米だったら3600万円以上。国有だから土地は含まれない。日本とそんなに変わらないが、庶民から遠くなった。

 サラリーマンの給料は上がった。大学の新卒で1万元以上(23万円以上)。ある意味では日本並みになった。 街を歩いても、外車、日本車のピカピカした車(レクサスなど)が目立つ。豊かになった。

 庶民にとっても打撃もある。野菜や肉などの食品の値上げは3割?5割以上。公共の交通機関は変わらない。バスは4角(5円)だった。
 
 街を歩いても高層ビルは増えた。その裏街はまだ健在。長屋が続く。その中でなんとか豊かさに一部に食い込もうとする人々。エネルギッシュな庶民のパワーがあふれ出る。

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2010年10月12日

<10月12日 中国のビジネス>

今日は終日 研修とコンサルテイング。

某社は日本の企業の1980年代までの成功ストーリーを聞きたがる。合理的思考法とプロジェクトマネジメントと労務管理は新鮮に聞いてくれる。

家電販売店の現場をともに回る。台湾や韓国の企業の進出が肌でわかる。
日本に対する空気は悪い。日本の企業と取引を行う部署の人は鼻息は荒い。「日本の企業は方針がはっきりしない。担当のマネジャーが来ても決めない。これだけの量を扱うから値段を下げてくれと言っても即答しない。東京の本社と確認します、の一点。そして時間がかかる。
 日本の製品を扱わなくても韓国や他国の製品でも扱えるんだけどそれがわからない。スピード感がないね。」
 同じ日本人として「それは悪いね」というしかない。かつては日本に対して「アジアでビジネスで成功した国」という敬意が中国にはあったが、今は軽く見られている。日本のビジネスはこの数年で凋落がかなりはっきりしたようだ。

 夕方は日本企業の出先の会社の社長と話した。
 「いやあもう、腹をくくって自分で結論出してやっていくしかないですよ。本社に聞いても安全に徹せよ、だけ。これだけではこの国と商売ができないので、首を掛けてやっていますよ」とのこと。立派な態度だった。

「がんばれ、日本!」と言いたい。

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2010年10月11日

<10月11日 羽田オールド国際空港>

<10月11日 羽田国際空港>
今日から中国へ。便利なフライトがあったので羽田から行く。国際ターミナルは羽田からバスで5分くらいの別の建物。
行ってみて驚く。せまい。出国審査までは50m以上の長蛇。審査の窓口が3つしかなく集中するのだ。30分近く待ってようやく出国。
 登場口も狭い。トイレも並ぶ。JALのラウンジも並んでいる。20分以上並ぶなんて優雅でない。近代国家の国際空港とは思えない。

ようやく出発。10月21日から新しく広くなるらしい。それを楽しみにしたい。

約4時間で北京着。珍しく快晴。非常に気持ちの良い空気が流れていた。

高層ビルが立ち並ぶ。ずいぶん変わった。

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2010年08月24日

<8月24日 ウ国で活躍する日本人>

今回、ウ国で活躍する日本人と会った。

◎藤田忍氏。ビジネスコーススタート以来の看板講師。マーケティング担当。先週、日本の岡田外務大臣が来られた時も教鞭をとっておられた。
他の専門科目も教えておられ、年間100日はウ国に滞在。実際に流行っているレストランやお店に生徒を連れて行きなぜこの店が流行っているのかを教える。徹底的に現地現物主義。生活実感をつかむためにはホテル住まいでだめで、ウ国滞在中はアパートを借りて生活されているとのこと。
何とかして、ウ国と日本を結び付けるビジネスを生徒たちに作らせたいと情熱を燃やす。

◎藤田精一氏;
PMPで改善の特別コースと事業採算を担当。早稲田ビジネススクール教授。アメリカでも教鞭をとられたこともあるので英語が流暢。残念ながら今回でリタイヤ。ウ国の講師に任せる。
サマルカンドの自動車工場に行って改善を指導したりするなど実践的な活動を実施。
ウ国以外にはドバイ、サウジアラビアなど中近東でも教えておられる。

◎福田信一郎氏;ホテルで同宿。ご挨拶したら、何とPMPを立ち上げた方だった。エンジニアリング会社出身でソ連に長く駐在された。建設などで培ったプロジェクトマネジメントの知見で7年前に短期間でビジネスコースを立ち上げた御苦労話を伺った。
現在は欧州開発銀行(日本が8%出資、旧ソ連の国々の資本主義化がスムーズに行くよう企業に資金を貸す)]のコンサルタントとして経営者の経営相談に乗られる。
「外国に来たら街を歩き、その国の物価を把握すること。その国の言葉は単語帳を作って覚えること、ホテルに泊まって日の丸の旗がなければ掲揚するように要望すること」ずいぶん発破をかけられた。

3人とも60歳から70歳台だが、気迫がすごくて刺激になりました。DSCF5787.JPG
▲私(中央)の左が藤田忍氏、右が福田信一郎氏。

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2010年08月23日

<8月23日 ウ国の企業訪問>

 今日はPMP生徒の会社訪問。
 従業員250人の製薬会社で、親会社はトルコ。10年前に設立、研究開発と製造、営業を行っている。売上の伸びは数量とも年率20%以上の成長。この国の同業では6、7位に相当。昨年よりも順位が上がったとのこと。
 
 職場見学の後、5人のマネジャー、一般職の方にインタビューした。「この会社の良い点、および改善必要点は?」の質問に皆さん、率直に答えていただいた。
 
 一様に言われるのが人間関係の良さとチームワーク。製品ラインアップや品質の良さも上げられた。ある方は「将来ビジョンをトップが伝えてくれるのが良い。新工場や新製品についての計画を聞くとやる気が上がる」とのことこと。素晴らしい会社だと思う。
 給料については「やめずに続けるのに十分」という答えが複数の方からの回答。

 改善必要点は一様に「教育」を上げる。お客様(ドクター)の要望がどんどん上がるので日々教育を会社で行っているが、まだ追いつかないとのこと。
 
 インタビューの後、品の良いトルコ人の取締役に概要を報告した。
「素晴らしい会社です。品質、開発、人間関係に皆さん誇りを持っている。あえて改善必要点を言うと2点ですね。
 まず、教育が仕事や報酬と結びついていないようです。
仕事に直結した教育にし、それで成果を上げた社員を抜擢や昇給するなど競争心を刺激する人事策が効果的ではないかと思います。
 2つ目はリテンション対策(退職者の引き留め)。現在、10%から15%の社員が他社に転職するとのこと。年に2回程度のマネジャーとの面談が有効と思います。「あなたの会社の好きな点はどこですか?改善を求めたいのはどこですか?給料も含んで良い。全部かなえられないとしても、真摯にマネジャーが聞いてくれれば満足感は大きいし、不満の事前察知にもなりますよ」

 熱心にメモを取っていた取締役は大きくうなづき握手を求めてきた。DSCF5771.JPG
▲品質管理課の方々と共に。右の方がマネジャー。彼の希望は部下を海外の市場に派遣して現地のユーザーニーズを把握させたいということでした。

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▲品質保証課とご一緒に。このマネジャーは奥の左の方。入社7年目。
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▲トルコ人の取締役と。落ち着いておられ傾聴もしっかりとされる。左はPMPの受講生ルスタンさん。大学は医学部(麻酔学)を卒業。
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▲同じくPMP受講生。背景には優秀な成績を収めた記念のペナントやメダルが貼ってある。

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2010年08月22日

<8月22日タシケント郊外を訪ねる(2)>

 山に向かう。山を越えるとカザフスタン。3000m級の山がありこの山のおかげで川ができ、首都タシケントは水が豊かで砂漠の中のオアシス都市になった。途中、川をせき止めた湖がある。河原がある。ピラミッドビーチというそうだ。多くの人がビーチで横になったり、球技を楽しんだり。モーターボートで楽しむ人もおり、まさしく生活を楽しむ中産階級だ。

 ダーチャ(別荘地)に行く。元は個人のものだったが、今は貸別荘としてビジネスをしている人がいる。
まずは標準価格のダーチャを見る。6$/日。プール付き。食事は自分で作る。民宿の様だ。
高価格のダーチャを見せてもらう。400$/日。2階建てで外見も中身も立派。10人位泊まれる。2?3家族が合同で泊まるには良い。
タシケントから車で1時間くらい。気分転換で週末を楽しみに来る人が増えているようだ。

帰りに温泉に寄る。韓国人が経営。銭湯の様な脱衣場があり、浴室に入る。
サウナと水風呂があり、円形のタイルの浴槽があった。硫黄の立派な湯質を持った温泉だ。驚いた。これはいい。ゆっくり身体を湯の中につからせた。
今はウ国の人は来ないで韓国と日本人のみが来るそうだ。DSCF5758.JPG
▲山の麓の川。何らかの鉱物が混じっているので色はきれいなブルー。山は川のそばは樹木はあるが川から離れると砂漠化し草や岩石・砂になる。
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▲川をダムでせき止めて作った美しい人造湖。記念写真を撮る人が多数。ただ柵がないので崖に近寄ると危ない。
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▲湖のビーチで休日を楽しむ人々。湖面ではモーターボートが走る。
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▲テントの中に家族連れの人々がのんびりしている。貸し出し用のスペースで、いわばウズベク版「海の家」。
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▲お手頃価格のダーチャ(貸別荘)。50$/日。3室でプール付き。民宿みたいな感じ。
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▲ピンぼけ写真ですみません、高級ダーチャ。400$/日。2階建てで部屋数7数、大プール付き。お手伝いさんが付く。「入る日程が決まれば、掃除し室内の蠅も追い出します。食事も付けますよ」と管理人。黒川温泉の方がいいなあct.co.jp/blog/2010/08/26/images/DSCF5767.JPG">DSCF5767.JPG
▲タシケント市内から30分の温泉。硫黄臭漂う立派な泉質。火山はないが、地下2kmの泉源を掘り当てたと言う。湯に浸って目をつむると極楽気分。

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<8月22日タシケント郊外を訪ねる(1)>

 ガイド付きの車での郊外ツアー。UJC(ウズベキスタンの日本センター)のY所長にもお付き合いいただいた。気ままに止まりたい所に止まって人に話を聞く。
 
 この国の約7割の比率を占める農家の人の話を聞きたくて、綿花畑の端にある民家にお邪魔した。お相手してくれたのはUさん。
 
 嫌がることもなく、応接部屋に入れてもらった。靴を脱いで入る。地べたに絨毯が敷いてあり、更に座布団を敷いてその上に座る。テーブルはない。

 Uさんの今までの職業は運転手、溶接、など。今は年金暮らし(120$/月)。昔、コルホーズ(社会主義の集団農場)で働いた。家の土地はその報酬としてもらった(注;この国は土地の私有は認められていないので、無料の借地権と推定)。
 家も自分で作った。レンガも自分で作られた、とのこと。居間には昨年亡くなられた奥さまの写真が飾ってあった。
 
 「今までの人生で一番楽しいことは?」と聞くと色々身振り手振りで笑いながら話してくれた。若い時、軍隊にもいたが、クラブやバーなど都会的な楽しいことは何もなかった。今は都会に行くとある。
 
 農業について聞く。今は農場主はこの地にいない。タシケント市内に移り住んで都会生活を楽しんでいる。この辺には農場主に雇われて一時的に働く人が住んでいる。今も、希望すれば100ヘクタール借りられる。
 
 Uさんは現在、4人の息子さんと住まわれている。他に3人女の子がいたが、嫁がれた。一番下の息子さんは溶接のお仕事、22歳。3歳くらいの可愛い女の子がいた。家族に囲まれて幸せそうに見えた。
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▲タシケント市郊外に広がる綿花畑。この国の主力農産物。9月以降の収穫期になると中学、高校、大学生が2カ月お休みとなり宿舎に寝泊まりし収穫を手伝う。

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▲綿花畑の端にあったUさん宅を訪問。後で聞くとこの家は全部Uさんが手作り(レンガまで)だそうだ。

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▲Uさん親子とともに応接部屋で。私の左は同行いただいたY所長。
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▲昔のご苦労を語るUさん。70歳くらいかと思いお年を伺ったら54歳。私と同じ!
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▲居間に通していただき奥様の遺品の箱(右奥)を見せていただいた。楽器があったので、演奏をお願いしたら快く弾いてくださった。DSCF5730.JPG
▲近所の家の家庭用のミシン。この修理を行うとのこと。そういえばこのタイプのミシンは昭和30年代うちの母も使っていた。

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2010年08月19日

<8月18日ウ国ビジネスクール3日目>

<8月18日ウ国ビジネスクール3日目>
 散歩の後、レストランで朝食をとるが、感じの良いウェイターがいた。
挨拶するし、テーブルのお皿を変える時にも「終わったか?」と聞く。私が果物をテーブルから床に落とした時に近くにいたウェイトレスは無視だったが、彼(カミールさん)は飛んできて拭いてくれた。

「君のサービスは素晴らしい」というと意見書を書いてくれという。いい機会なのでレストランの良い点、改善必要点について書いて、まずマネジャーを呼んだ。カミールさんの素晴らしい点を伝え、他のスタッフの改善必要点を伝えた。
「お皿などはよく片づけるが、無言で持っていく。挨拶しない。目を合わせない、スマイルがない。物事を頼めばすぐやってくれるが、返事しない。少し訓練したらどうか?」
 レストランのマネジャーは笑顔でうなづき「サンキュウ、サー」と言って握手を求めてきた。明日からが楽しみ。

 ビジネスクールは3日目。テーマはモチベーション。前半は理論、後半は実習。
ストロークを教えた。タッチストロークで隣の人の肩をもむことを伝えたが、A?2のクラスはとまどって半分以上がやらない。従来、のりが良かったのに始めてのこと。私の進め方の問題もあるし、参加者の個性(知的で慎重)もある。
 丁寧にマネジメントにどう必要かと説明しながら、相互に良い点をフィードバックしあう実習を提案。背中に相手の長所をかく実習だが、「紙を回して書けばよい」と何人かが提案。それでは知的なフィードバックになるし、楽しい雰囲気が出ない。ただあまりくどくど説明せず「とにかくまあやりましょう」と言って力強くリードした。

 やってみると皆さん、乗ってくる。 「大変楽しかった」「参考になった」と感想を残し皆さん帰って行かれた。
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▲定番のストローク交換(良いところ探し)。実習する前には「抵抗していた」参加者もやってみるとはつらつとした表情になる。相手を尊重し、美点を探すということは本当に人を元気にさせる。

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2010年08月15日

<8月14日 ウズベキスタン>

 昨日から中央アジアのウズベキスタンの首都タシケントへ来た。今回で5回目。
昨日、空港に迎えに来てくれたサヌットさん情報。
◎連日40数度の猛暑。
◎景気は普通。ロシアのような穀物が打撃を受けているようなことはない。例年通り。
◎今月初めから、ラマダン(断食。イスラム教の年に一回の行事)が始まった。

今日は昼間は外出せず月曜日からのビジネススクールの授業(人材管理)の準備をしたり、ジムで泳いだりの充実した生活。

夜はPMPの教え子でもあり名旅行ガイドのマリカさんと夕食。オープンしたばかりのレストランにいく。
彼女の情報
◎タシケントは緑があるからいいけど、砂漠地帯のヒバやブハラはもっと暑い。57℃。先日、日本人のお客様をお連れしたけどビックリしていた。
◎日本人のお客様はちょっとずつ増えている。明日からは隣国カザフスタンに行く。
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▲タシケントの街角。40℃を超す炎天下でバスを待つ人々。暑いのに日傘を差さない。帽子もかぶらない、驚き。
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▲久しぶりにウズベキスタン料理を味わう。奥がシュシラク(一種のバーベキュー)、左がスープ。手前が野菜サラダ。必ずトマト、キュウリが入っている。地元の人はドレッシングをかけない。
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▲シュシラクを焼く人。地元のチャイハナ(軽食民族レストラン)で。

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2010年08月11日

<8月11日 別府>

 大分県の別府温泉。13年ほど前に大分合同新聞さんに出張に来て寄って以来の訪問だ。

今回は観光なので、まずは地獄めぐりをする。海、鬼石坊主、山、かまど、鬼山、白池、血の池、龍巻と8か所、所要1時間強。確かに他では見られない迫力。世界に通じる普遍的な迫力と面白さがある。解説は日本語に加え、英語、中国韓国語の表示がある。韓国人観光客も多かった。

 別府温泉は8つの温泉の総称。街のあちこちから湯けむりがたっている。お風呂は2か所訪問。一つは別府温泉保養ランドの泥湯温泉。露天2つ、室内2つの温泉。お湯の下が10cmほどの白っぽい灰色の泥になっていて、手ごたえがにゅるにゅると柔らかい。いかにも身体に効きそう。
 もう一つは鉄輪(かんなわ)温泉のひょうたん温泉。赤っぽい湯質。3mの頭上からお湯が落ちてくる瀧湯、露天風呂、檜風呂、蒸し風呂などを楽しんだ。
 
 昼食は魚屋直営(海鮮いづつ)の食堂で関アジ、関しめサバ、海鮮丼を食する。関サバ1匹泳いでいるのをさばいてもらって1500円、なんてリーズナブル!

 帰り道、考える。
世界一(実質)の温泉湧出量をほこり、歴史があり、観光的な魅力はたっぷりあるのに来客が減っているという。家族連れはいいが、女性は湯布院に行きたがるとのこと。魅力的な町づくりをしていかに若い人を引っ張るかだと実感する。
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▲地獄めぐりその1;海地獄。激しく噴き出す源泉と白煙。音がしゅうしゅうと言い、「度肝を抜かれる」。コバルト色の温泉になっている。その熱を使って熱帯植物を栽培。
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▲地獄めぐりその2;鬼石坊主地獄。粘土のある液状の土の表面に坊主の頭のような盛り上がりが次々できる。昭和以前は畑の合間にこういう地獄があったそうで農作業がしづらかったそう。
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▲地獄めぐりその3;ご存じ血の池地獄。この日は噴煙が少なく静かだった。
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▲地獄めぐりその4;龍巻地獄。間歇泉で約35分に1回、10分程度数mから数十m吹きあがる。アメリカのイエローストーンと同じ原理。迫力ある。
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▲魚屋さん経営の居酒屋で「関アジ」を食する。ついさっきまで水槽で泳いでいたもの。隣の席では20歳代の女性二人が海鮮丼(980円)を食べていた。地元の人はおいしい魚を安く食べれていいな。

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2010年08月10日

<8月10日 高千穂峡、湯布院>

 黒川温泉から阿蘇を経て高千穂峡へ。あいにくの雨だったが、学生時代以来の訪問の望みがかなった。近所には古来神々が降臨したという神話にゆかりの場所がある。天の岩戸神社というのもあった。
 1時間半待って、ボートに乗ると壮観な眺め。滝がいくつかあるし、岩が切り立っている。岩の形状はは複雑。種類は粘土質。

 高千穂峡から、一度は行きたい温泉地ランキング上位の湯布院温泉へ。昔からの温泉地だが、御三家(玉の湯、亀の井、無量塔)と言われる旅館のオーナーが欧州のリゾート地を研究し、当旅館に応用。独自のデザインと心尽くしのサービスで人気が増したという。確かに玉の旅館は外から見た限り、一度は訪れたいたたずまい。

 由布院駅から市街を回る。金鱗湖のまわりには古くからの宿が並ぶ。木々に囲まれているがこじんまり。旅館以上に目立つのが観光客対象のこぎれいなお土産屋さん。女性が喜びそうな小間物屋さん、甘いもの屋さんが並ぶ。まるで京都や原宿の様だ。原色の看板が多く、統一したいところ。あまり落ち着かない。
 
 今回、宿泊したところは市外から10分ほどの月燈庵という山の中の温泉宿。ポスト御三家と言われる。古民家を移築した母屋から、すべて離れの客室にはつり橋を渡る。離れには専用の露天風呂。山の中で、虫の音や鳥の鳴き声が聞こえ、自然を満喫できる。料理も良かったし、従業員も丁寧なもてなし。いい意味で湯布院という感じはしない。

 温泉は立ち寄り湯ができた庄屋の館が印象的。町はずれにあり、硫黄が強く臭い、色は日本唯一といわれるコバルトブルー色のお湯。大露天風呂に流れる源泉のまわりに白い結晶ができていていかにも野性的な温泉。ここはお奨め!
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▲神秘的なたたずまいの高千穂峡。あいにくの小雨日和だったが、かえって幻想的な雰囲気を漂わせている。DSCF5608.JPG
▲湯布院の駅。駅舎が4階だての吹き抜けになっている。赤や黄色の電車が止まり風情がある。DSCF5609.JPG
▲由布岳を望む駅前商店街。早朝なのでシャッターは閉まっているが、昼
間になるとかわいい小物やお土産を売るおしゃれな商店街になり人でにぎわう。見かけは京都や原宿、上高地の街のよう。
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▲「ゆふいん月燈庵」の入り口。自然の中の別世界。
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▲ロビーにあるカウンター。まずここから歓迎のお茶が出される。日常を忘れる。
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▲母屋と離れの間にある吊り橋。鳥の声が聞こえる。

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2010年07月23日

<7月23日 がんばれ日本!>

 台湾にいると景気の良さがよくわかる。

工業地区の新竹市の中級以上のレストランは賑わっている。5人以上の団体では予約しないと入れない。お客は台湾人(カップル、家族、職場)。お金あるなあ。

ホテルでは作業服を着た日本人が多い。台湾の企業の工場増設や新規設備の設置工事で来ている技術者たちだ。日本人セールスマンも多い。食事時やロビーで車待ちをしている時に情報交換する。
○電子材料、部品は生産のピークを迎えている。韓国も中国もそう。一種のバブル。一斉に増産をかけているが、いつか飽和し値崩れが起きるのがわかっているのに、止まらない。
○韓国企業が台湾に売り込みに来ているが,スピードが早く、エネルギッシュ。酒も良く飲む。ビール、紹興酒、ウイスキー。原液で飲む。
○中国人の富裕層やビジネスマンが台湾でも目立つ。昨年、台湾の与党が中国寄りになってから特に中国人が増えた。台北のマンションは投機目的に中国人が買っていく。
○日本への投資意欲も旺盛。東京の渋谷、六本木、秋葉原辺りを歩いていても中国人が多い。10万円くらいする電気釜を10台買っていた人がいる。国の知人にお土産として配るため。故障がないので日本製品は評判がいい。Made in Chinaでも日本仕様なら品質がいいので高く売れるそう。あとは薬も人気。
○景気の悪いのは日本くらい。「本社の判断が遅い、保守的」というのはどこの社も共通した愚痴。

リスクを恐れ投資しないでズルズル競争力を無くしていく日本の姿が見える。がんばれ!ニッポンと言いたい。

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2010年07月18日

<7月18日 ビジネス産業部会発表>

 日本ゲシュタルト療法学会第1回大会の2日目の午後、ビジネス産業部会として発表した。
私が部会長として概要を20分話し、その後、事例発表として、パーソナルグロース研究所所長の守谷京子さん、コラボネットの岡崎真さんが1時間ずつ発表した。
 参加者からは大変好評。初めてお会いした方から「面白かった」「企業こそ、こういう自分の考えや感情を出したり、ありたい姿を具体的にすることが必要」「大きな可能性を感じます」と言う声をいただき、今後の希望が持てる場となった。

私の概要発表でお話ししたことだが、ゲシュタルト療法は臨床心理の世界では使われているが、企業での活用は少ない。米国ではクリーブランド研究所が企業に組織開発などで実績あるそう。ジミ―カーター氏やビル・クリントン氏などが大統領の時にゲシュタルトコンサルタントを雇い、選挙事務所のチームビルやホワイトハウスのスタッフの強化に使った。
フランスではパリメトロが有名。
 
 日本では守谷京子さんが一流企業の幹部候補生の選抜研修の一環でゲシュタルトの一日コースを実施して満足度99%の実績。
 この他、岡田法悦さんや岡崎真さんが企業のチーム作りに多くの実績を持っておられる。
今回そのさわりと今後の可能性につきご披露した。

 これから未知の分野を開拓していくことになり、先々が大変楽しみである。

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2010年07月17日

<7月17日 ゲシュタルト療法学会第1回大会>

 今日から3日間、日本ゲシュタルト療法学会の第1回大会。1月に学会が発足して、6カ月。理事中心に準備してきた成果を問う大会。アメリカから講師を3人招きワークショップを行う他、3つの分科会、各地区のトレーニング組織のワークショップなどを行う。全国から約200人参加。
 
最初は百武(ももたけ)理事長の開会あいさつ。200人参加だが、横浜の開港記念会館の大ホールは入りは3分の一程度。「いずれ満杯にしたい」と志は高い。 
 
午後はアントン博士のワークショップに参加。参加者約40名。アントン先生は白い口髭を生やし貫禄あるお身体でニコニコされ、サンタクロースの様。
 色々な体験学習を行った。ペアを組んで自分の声はどんな印象があるか尋ねる。「落ち着いて安心感がある」と言われ意外な喜び。またお互いの手を触って相手の性格や家族、仕事などを推測しあう実習は奥深くて面白かった。

最後の1時間はアントン博士に、個人的に悩みを聞いてもらう面談セッション。2人の女性が手を上げて先生の前に座る。
先生はひたすら悩みに耳を傾ける。先生に気持ちを受け止めてもらい安心したのか女性はひたすら涙。先生と女性の間に愛の電流が流れたようだ。細かい面談テクニックは使わない。クライアントの女性に「我と汝」で真心で交流する。

大きな人間愛を感じた。

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2010年05月29日

<5月29日 大前研一経営塾 OB懇親会>

 昨日は大前研一経営塾OB懇親会。正確に言うと4月から新たに始まった生涯学習コースと言う通信教育の第1回懇親会だ。従来アルミナムという同窓会はあり、経営塾の月3本ほどの講義の内容は拝聴できたが、今回は月1回以上「道州制をどう思うか」「日本の教育をどう変えるか」「新しい競争戦略を当社に置きかえるとどうなるか」という発言をしないといけない。Web上の討議になることもある。

 ともあれWeb上だけでなく、実際に顔を合わせることが面白い。今回8名が越中島の日本酒と魚のうまい店に集まった。皆さん40歳台の大手企業の部長・課長クラス。アメリカのオハイオ州からも休暇でこられた人もいる。公認会計士もいる。皆さん、海外経験も豊富、ITや科学技術、ビジネスの最先端も良く分かっておられて話が広がり面白い。
 アメリカの景気回復の状態、トヨタ自動車のリコール後の評判。発売されたばかりのi-Padについての話題や、i-Phoneを使って「外人向きの日本酒を紹介するサイトを作れないか」という新しいビジネスの話になる。

 「明日、小学生の息子の運動会に出ないといけないのでそんなに飲めない」という参加者の話題から、若い人の教育に話が移った。大前研一さんの会社(ビジネスブレークスルー)では今年から大学をスタートすることになったが、その大学生についての情報が面白かった。
 平均年齢20歳後半、高校を卒業して外食産業やアパレル業界で仕事をしていた人が多い。女性比率も高い。非常に素直で討議も活発だという。
 我々は毎月20日の発言締め切りになると活発になる傾向があるが、彼・彼女らは最初からどんどん発信し討議し合うとのこと。 

 若い人のイメージが良い方向に崩れた。ぜひ一度おじさんたちと意見交換しよういうことになりお開きとなった。

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2010年05月23日

<5月23日 台湾のダイビング>

 呉さんに誘われてダイビングに行くことになった。ダイビング及び水中写真は彼の趣味。今年はタイ・プケットに2回行ったそうだ。明日は仲間と会うから行こうという。突然のお誘いで、準備不足を理由に一度は断ったが、「ライセンスは不要、装備はある」と熱心に誘われた。
 彼の家は4階建てのビルで1階は印刷会社向けのインキ販売のお店、2・3階は住居、4階は倉庫であり、そこにダイビング用品があった。ウェットスーツだけで20着、BCGだけで10セットある。彼個人のものと友人に貸すものだそうだ。度付きのマスクまであり、断る理由がなくなった。

 朝7時出発。台湾北部の龍洞湾まで車で1時間。多くのダイバーたちが集まる。ここはビギナーも良く来るとのこと。近くのお店で空気ボンベを借りる。1本100元(300円/日本円)。何と言う安さ。
結局2本潜った。

 小さいサンゴやいろどりの小魚、イソギンチャク、海牛。透明度は高くないが、十分に海底散歩を楽しんだ。一時は年間100本以上潜るダイバーの呉さんは安全停止など基本もきっちりやるので安心。

 海から上がって仲間とバーベキュー。ロータリークラブの仲間なので皆社長さんとその家族だ。設計事務所の社長もいるし、機器販売の社長もいる。みんな40前後で若い。顔も穏やか。そして12時過ぎには何組か帰っていく。その手軽さ、身近さ。
 日本では東京近辺ではゴルフでもダイビングでもお金と時間がかかる。働きづめで休日は寝るだけと言う人も多い。もう少し工夫して休日を楽しみたいと思った。
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▲波の静かな龍洞湾。ダイビングの練習にはもってこい。

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2010年05月22日

<5月22日 台北 呉さんご一家と>

 台北に来た。空港を出ると30℃以上。暑い。ジャケットを脱ぐ。 友人の呉さんが空港まで迎えに来てくれた。1年ぶりの再会。

 空港から市内に向かう黒塗りのレクサスの中で近況や台湾ビジネス、政治・経済動向を聞く。そういえば空港の表示の中で、上海、北京、成都、ハルピンなど中国大陸行きの航空便があることを見たので質問した。昨年から急に便数が増えた、かつては大陸へは行けなかった。現政権で急速に親中になった。日本やアメリカとはやや疎遠になったが、とのこと。
 
 台北のホテルは満杯で結局、呉さんの家に泊まらせていただくことになる。呉さん・奥さんとお子さん2人(9歳の女の子と、6歳の男の子)、77歳のお父さん、ベトナムから来たお手伝いさんの6人家族。夕食は家庭料理。大皿6皿に野菜、魚、肉などが盛り合わせられ、各人がつつく。日本のテレビ番組が有名のようで「田舎に泊まろうみたいだね」と言われた。(お礼の料理や皿洗い、巻き割りはしないけれど)
 日本語が話せるお父さんが隣の席から話しかけてきてくれた。17年前にお邪魔した時、御馳走になったりカラオケにつれて行ってくれたお礼を言う。今も演歌は大好きで昨日は昼間友人と4時間カラオケにいたとおっしゃる。

 夜の団らんはテレビ。パナソニック製の40インチくらいのテレビがあるが、ビデオ・オンデマンドで映画を見たり、インターネットでYouTubeのお笑いものを
見ていた。光通信の普及は半分くらい(日本は3割?)とのことだったが、こういう楽しみ方ができるのかと感心した。
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▲呉さんご一家と夕食を共にする。ベトナムから来たベビーシッター兼お手伝いさんに撮影していただいた。

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2010年04月04日

<4月4日 北京の人々>

北京の人々は大きく2つにわかれる。

 お金を持っていない人とお金持ち。ホテルの周りにも昼からトランプに興じるおじさんたち。失業のことを中国では「待業」と呼ぶ。失業率は10数%とのこと。
一方でスタバでお茶を飲み、高級レストランで食事をする人たち。スタバは日本と同じ価格で、庶民の店と比べると3倍以上。
会話を聞くとこちらの金持ちの特徴であるご子息をアメリカの学校に入れる。こういう彼らがベンツに乗り、高層ビルのオーナーになる。 
 
 年配の人と若い人。年配の男性は着ている服が黒っぽい。若い人は白かカラーが多い。女性は完全に日本と変わらずファッショナブル。まだ寒いせいかスカートはほとんど見ない。特徴は若い女性は化粧をしない。素肌はきれいだが、眉毛はそのまま太い。髪は茶髪・金髪はいないが、うっすら茶色に染めている人が多い。短髪は少ない。
 
 西単のマンモス・ショッピングセンターの10階は映画館。3D映画のアバターをやっている。世界の情報は同時に入る。
 8階はゲームセンター。日本でおなじみの「太鼓でドン」や「ストリートファイター」や「バスケットゲーム」に興じる。20代の人々を「80後(1980年代以降に生まれた世代)」と言うらしい。一人っ子世代で大事にされた世代だ。子供の時からパソコンや携帯、TVゲームに慣れた恵まれた世代だ。
 世界最先端の情報や科学技術を謳歌する世代、海外に行くのが苦にならない世代、新しい中国をつくっていく世代を目の当たりにした。
 日本の若い世代は彼らとどう付き合っていくのだろうか?
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▲地下鉄そばの路上でクレープのような小麦食品を売っていた。結構売れている。朝食にはおいしそう。
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▲北京の繁華街、西単の地下鉄のそばの路上。若い人が群がっていたので覗いて見たら串焼きやさん。おしゃれした20歳前後の女性が大きな串にかぶりついていた。
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▲お昼時間の四川ファミリーレストランで。孫と一緒のおじいちゃん、おばあちゃん。一人っ子が多く、
6つの財布を持つという(両親とその両親合わせて)。ちなみにここは3品とビールを頼んで1200円。
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▲人、人、人の繁華街 西単。清明節(お墓参りの日)の休日ができ3連休で人出が多い。この人たちが消費するのだから当分経済成長は続くだろう。

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<4月4日 北京の街>

1年半ぶりにタクシー・地下鉄に乗って北京を回る。中関村の電気ビル街。西単のショッピング街。それに最近できた好運街。
8年前に来た時はギラギラした上海に比べおおらかな前時代の都市を感じた北京もこの2年欧米、日本に肩を並べる都市になったのを感じる。

(1)GDP(国民総生産)で日本を追い抜いて世界2位になったのを実感。
ショッピング街に群がる若い人々。そこにある世界のブランド品。若い人がパソコン、携帯電話を購入していた。今一番人気のあるものはi-Podだそうだ。

(2)電気街で目立ったのがサムソン、レノボ、HP・・日本メーカーではキヤノンが善戦。ソニーも影が薄い?東芝はたまに見かけたが、パナソニックは今回は見当たらなかった。携帯は圧倒的にノキア、次にサムソン。前職の富士フイルムのブースもそこそこ大きなお店がありデジタルプリント、インスタントカメラなど展示していたが、客の入りは少なく残念。

(3)幸運街。ここは本当に北京かと目を疑う。ディズニーランドなどのテーマパークの入り口と間違うほどの凝った楽しそうな造り。大きなショッピングモールがいくつか。ブルーのイルミネーションのトンネルが続くレストラン街。ショッピングモールではきれいな床、きれいな店がならぶ。ZARA、H&M、ユニクロ、GUESSなどの店が並ぶ。エルメスやグッチもあったが、中国の中産階級が確実に増えて日本や欧米の諸費者と同じものが購入できるようになった時代が来たと実感。日本は優位と言うよりワンオブゼム。

(4)地下鉄。何本か整備された。以前は関中村まではタクシーしかなかった。かつてはチケットは人が売って、人がちぎっていた。今はICチップ入りのカード。当然自動改札。人海作戦には頼らない。

物質的にはある目標を達した中国を感じた1日だった。
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▲秋葉原のように電気製品販売のビルが立ち並ぶ中関村。その中のビル。ソニー、キヤノンの看板もあるがノキア、サムソンの看板が存在感をアピール。
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▲新しい高層ビルの中でも目立つTV局のビル。左後方は昨年大火事のあったビル。壊されずに残っている。
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▲新しいショッピングモール好運街に続く道。タクシーもきれいになったし、ベンツ・アウディなどの欧州車が走る。裏道も車であふれる。アメリカを抜いて世界一の自動車生産・保有国になったのもわかる。

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▲テーマパークの入り口のような好運街の入り口。ここに立っただけでワクワク。球のオブジェの前で記念撮影数するカップル、家族連れが目立った。複数のショッピングセンターで世界中のブランドがそろう。
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▲「ここは本当に北京?」と思うようなブルーの鮮やかな光のトンネル。右側はレストラン街。

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2010年03月30日

<3月29日 アメリカツアー総括>

現在、成田への機上にある。この12日間のツアーの総括をする。
<ワークショップ総括>
(1)今回2回目、バン先生の良さを再発見
 雰囲気も落ち着いてゆったり。いつもにこにこ。いるだけで癒される。みんな存在そのものを受け入れられる安心感がある。
?再決断療法のおさらいになった。「みんな一人一人が自律する力がある。余計なお節介はしない」というバン先生の哲学が理解できる。その方の一番深い部分をよく見てその人がどうしたいかを聞く。そしてその人が自ら自律するような兆しが見えればワークは終了。
?人格適応論の理解がより深まった。N/Yでミュージカルを見ていても俳優の表情・声色・ジェスチャーでかなりわかる。
(2)個人的には夢のワークの自ら体験。
ファシリテートのやり方を確認できた。この1カ月 俵里英子さん、百武正嗣さんの夢のワークを受けたが統合された感じ。

(3)他の先生方との対話。
?日本の心理学(交流分析)でトップクラスの先生方との交流が貴重。朝食をとる時が余裕があるので雑談の合間に質問。前日の講義やワークで不明な点を聞ける。先生方自身の勉強への姿勢が学べてとても良い。先生方も日常の疑問を解決したり、バンに甘えられるのでほっとしているようだ。
?プロのカウンセラーの方の悩みがわかる。
人格障害のクライアントとの付き合いも大変だな思う。特にクライアント(患者)から怒りの感情をぶつけられるとどうやって対応するといいのか困っておられる。確かに優しくて控えめな性格の方は困るだろうなと思う。   

< アメリカそのもの>
(1)経済の復活を実感。やっぱりN/Yはビジネスとお金の街だと思う。良い意味でも悪い意味でも世界の金が集まり、才能も集まる。のんびりじっくり生活するにはノースカロライナのような郊外都市が良い。
(2)剣道はまじめに取り組んでおられる。強さとある種の美しさ(基本と攻め)を求めておられる。これは日本で修行する際の参考になった。
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▲自然に囲まれたバン先生の研究所(ユッキー撮影)
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▲バン先生とともに(ユッキー撮影)

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2010年03月29日

<3月28日 プレイフル・ワーカーホリック>

 朝からハーレムへのゴスペルツアー。ハーレムはずいぶんきれいになった。映画「天使へラブソングを」で一挙に有名になった黒人たちによるノリのいいロック風讃美歌を聞きに行く。恰幅のいいおばさんたちがパンチを利かして歌うが、ドラム・エレキギター・電子オルガンの音が強すぎて歌声があまり聞こえないのが残念。昨日の剣道の稽古、深夜までの飲み会が効いてうつらうつら。

 セントラルパークの側面を通る。ガイドさんによるとこの公園は周囲20km。東京日比谷公園の21倍。オランダ人に開発される時に碁盤の目のような都市ではつまらないだろうということで大きな公園を作った、とのこと。

 夜はミュージカル「シカゴ」を見る。かつてのブロードウェイの大ヒット作。鍛え抜かれ男女のダンサーたちが力強くスピーディで美しい踊りを披露する。主人公が自分の罪を腕利きの弁護士を使って無罪にし、芸能界のトップスターになっていく悪漢物語。主人公のアフリカ系アメリカ人は表情豊かで演技がうまい。

 今晩はアメリカ最後なので世田谷ゲシュタルト勉強会のメンバー9名はワインでお別れをする。良く学んだし良く飲んだ。バンジョインズ先生の人格適応論にプレイイフルレジスター(おどけた反抗者)とレシポンシブル・ワーカーホリック(責任感ある仕事中毒者)があるが、それをもじって「我々はプレイフル・ワーカーホリック(遊び好きな勉強中毒者たち)」と名付けた。
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▲チャペルヒルのイタリアンレストランで。アコーディオンとギターが心地よい音楽を奏でる。この奏者のおじさんは昼間は大学で教えているとのこと。

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2010年03月28日

<3月27日 グラウンドゼロ>

 今回一番行きたかったのがグランドゼロ(爆心地)。この地の訪問なくしてニューヨークの他の場所にはいけない。
 2001年9月11日、ワールドトレードセンターの双子のビル(528m)にテロリスト操縦の大型ジェット機2機が突入して崩壊。2749人が亡くなられ、1100人が行方不明の大惨劇が起きた。現在は跡地は工事中。新たに541mの1ワールドセンタービルの他、複数の高層ビルが立つとのこと。
 
 周りを見渡すと教会があったので入る。聖パウロ教会。入ったとたん9.11にまつわる建物だとわかる。亡くなった方へ捧げる何組かの千羽鶴、縫ぐるみ、ワッペン。亡くなった方の顔写真が多数。殉職された消防士・警察官のりりしい写真が痛々しい。
 
 掲示物を読んでいくと、この教会は元もとアメリカ初代大統領のジョージ・ワシントンがよく礼拝に来られていた由緒ある教会。この教会は9・11の時はビルの崩壊を目前で眼にした。場所がら、3か月の間消防士はじめ3千人の救助者たち、残骸撤去の作業者が基地として寝泊まりしたことがわかる。

 アメリカ国旗に書かれた寄せ書きの「神のご加護を」「愛しているよ」「安らかにお眠りください」と言う数多くの言葉を何と受け止めればいいんだろう。今後2度とこういうことが起きないように、憎しみのない世界を作ると祈るしかなかった。
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▲聖パウロ教会の庭にある「平和の祈りの塔」。向こうにはワールドトレードセンターの跡地(グラウンドゼロ)、現在は工事中(撮影;ヨッコ)
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▲聖パウロ教会の中。「神と共に」という大きな旗の白地には寄せ書き風に「神の御加護を」「愛しているよ」などと多くの文字が書かれていてせつない気持ちになる。

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2010年03月27日

<3月26日 ニューヨークに来ました>

飛行機で1時間半、ジョンFケネディ・ニューヨーク国際空港へ。途中、小トラブルあり。ラーレイー・ダーラム空港では空港係官が「一人20ドル寄こせ」という。確かにチェックイン窓口では「25$/人支払うように」との表示。ツアー仲間の元スチュワーデスのMさんが流暢に交渉してくださり払わずに済んだ。
 今度は数人が搭荷物の重量オーバー。私も本や靴、剣道の防具(面・小手)を手荷物にしてOK。更にMさんの荷物が出て来ない。9人のメンバーの中で一番新しく目立つので災難だ。

 タクシーでマンハッタンのホテルに。道は混んでいる。中心地は人出が多い。景気が回復しているのだろうか。タクシーに乗るとぼられる。

 早い夕食をオイスターバーで取るが、物価の高さを実感。チャペルヒルより3割以上高い。

 ツアーリーダーのちえさんの提案でHISへ。昼・夜の観光を手掛けてくれるので便利な存在。日本人観光客が次々と来ていた。

 ミュージカル「マンマミーア」を見る。昨年、映画を見たのでストーリーはわかる。出演者が元気がよい中年讃歌のミュージカル。初めて見た人も喜んで見ていた。
劇場の良い点は出演者の歌がうまいこと。ダンスの切れやキャラクター、場面設定(エーゲ海)は映画の方が良かったが、最後の出演者全員が出て来てのダンスの披露は会場全体で盛り上がった。同行の仲間のM夫さんは立って踊っていた。
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▲プラザホテルの前ではパーフォーマンスに黒山の人だかり。入り口では自由の女神のいでたちをした女性がパントマイムをやっていた。
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▲ネオンがまぶしいブロードウェイ。これだけ派手に電気を使うのはアメリカならでは。

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2010年03月20日

<3月19日 アメリカに来ました>

昨年同様、バンジョインズ先生のワークショップに参加するためにアメリカに来た。ANAでワシントン経由でローリー・ダーラム空港へ。
 昨年は沖縄LAS(ワークショップ)の翌日が移動日だったので、羽田経由成田⇒アメリカで一人旅だったが、今回は落ちこぼれの会のメンバー9人と一緒。機内でもワイワイとにぎやかで楽しかった。海外が慣れておられない方が何人かおられるので私設添乗員としてサポートを行う。

昨夜ほとんど寝ていないので機内では熟睡。そのあと映画を一本見た。「カールおじいさんの空飛ぶ家」ディズニーのアニメだが、大人が楽しめる。家族への情愛、人生の哀愁を感じ、涙すること数回。お勧めの映画だ。

15:00ノースカロライナ州チャペルヒルのホテルに着いた。かなり暖かい。日差しが強く20度以上ある。この地域はほとんど森だが途中色とりどりの花が咲いているのが見えた。
 ホテルのまわりはサクラが咲く。かなり赤っぽい。写真で見た沖縄のサクラ(1月に咲く)に似ている。
明日からが楽しみ。
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2010年03月11日

<3月10日 沖縄の人々>

 今日は念願の久高島を訪れる。
知念の安座真港からフェリーで20分。半径8kmの小さな島。琉球の祖神アマミキヨが天から降臨し島づくりを始めた地として神の島と呼ばれる。奇祭「イザイホー」で有名になった。
記録映画で見たことがあるが、女性だけの祭りで白装束に包まれ島中や橋、海辺まで団体で行進。一家や島の繁栄を願う歌詞を歌いながらざっざっざと歩く姿は神秘的。司祭する神役の女性の条件が厳しくて、1978年に実施されて以来、30年以上やられていない。
 祭りの様子を収めた写真集を歴史資料館(宿泊交流館)でじっくり見られて満足。自転車で島を回ったが、出会う村の方が皆さん「こんにちは」と笑顔で挨拶してくれるのが気持ちいい。食堂でもおばーが人懐っこく話しかけてくれたのが印象的。

 フェリー乗り場では昨日までご一緒したHさんと会った。Hさんの希望で、近くに住むMさんの家を訪ねる。実家が沖縄内観療法を営んでおられ、私も昨夜訪問した。このお家は久高島が一望できる高台にあり、部屋の作り、貼り紙などが厳かで居るだけで心が澄んでくる素晴らしい場所である。
ちょうど昨夜はMさんのお母さんが応援する画家の個展のオープニングで大勢人が集まっていた。本日は人は少なかったものの画家ご本人がいらっしゃって絵の説明を受けた。Hさんは直接お話が聞けて感激していた。

 ちなみに私は夕方 20年来の知人のOさんと会った後、那覇空港経由羽田に。

 Hさんは同じくセミナーご一緒だったKご夫妻の家に泊めてもらうそうだ。彼女はホテルも取ってあったそうだが「こういう出会いが大事」とキャンセル。「昔で言うと一宿一飯、今風に言うとウルルン滞在記的恩返し」とカレーライスを創る材料を買いに町に買い出しに行かれた。
2日間のセミナーは人の輪を大きく広げていったようだ。
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▲久高島から沖縄本島を望む。
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▲奇祭といわれるイザイホーの写真(久高島宿泊交流館にて)。12年に1回開かれるが、現在はやられていない。白装束の女性が神々しく行進する。
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▲前日のきよた画伯の個展パーティで。友人のモートーのカップルとアメリカ人カップル(奥様は日本人で助産師さん)。
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▲きよた画伯と作品の前で記念撮影。
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▲世界遺産のセイファー御嶽から神の島、久高島を望む。

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2010年03月05日

<3月5日 沖縄の風>

 昨日から沖縄に来た。昨日は朝東京は7℃だったが、那覇は25℃。
タクシーに乗ってクーラーが心地よく感じる。夜は知人との交流。沖縄富士フイルム販売さんの研修で何度かお邪魔したり、岡野嘉宏先生のセミナーでお会いした人も多くいるので毎晩泡盛で旧交を確認する。

 今日の昼間は1年ぶりにダイビング。慶良間諸島で3本潜った。きついウェットスーツを着て、ボンベを担いで船上を歩くのは苦難の技だが、海中に飛び込むと自由に動け見るものも別世界。サンゴ、いろとりどりの魚が目に飛び込む。
気分転換には最高だし、呼吸を整えないといけないので精神修養になる。あわてたり、興奮すると呼吸が早くなるので、自分の存在を無にするイメージ。ゆっくり呼吸をして気持ちを落ち着かせる。禅と似ていると思う瞬間。

 今回のトピックスは海底の割れ目に入りサメを見たこと。1.5ー2mのサメが数匹。インストラクターが追い立てるのでこちらへゆっくりやってくる。最初はドキドキだが動くと噛まれそうで大人しくしている。段々慣れてくると観察。背中は本当にざらざらしていてサメ肌。触りたかったがサメにキスして顔を噛まれたTV映像を思い出しやめておいた。サメ(ホワイトチップスシャーク別名眠りブカ)は昼間は寝ているが、起こされて気の毒と思った。

 島から那覇港に向かう船上、風が心地よい。途中ゴンドウクジラの親子が優雅に泳ぐ。平和な瞬間。海中で一番獰猛・危険な生物は人間だと思った。自然と共生を願った。

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▲那覇空港に降りるとランなどの南洋植物が一気に南国ムードを盛り上げる。

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▲慶良間諸島の座間味島。
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▲休憩を取るダイバーたち。東京から来た女子高生3人は体験ダイブ。
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▲奇岩が多い慶良間諸島。このあたりの海底地形は変化に富み面白い。
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▲クジラの背中。このクジラは全身を現してくれて、おなか、両ひれをご披露いただいた。
 残念ながらシャッターチャンスを逃してしまった。
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▲クジラのひれ。この近海はクジラが出産する場所だそうで、子連れのクジラが多い。
 ダイビング船が寄ってくれた。
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▲夜は夜で泡盛を楽しむ。首里の老舗の料理屋にあった泡盛古酒コレクション。
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▲同じく木曜日到着のTA研究部会有志メンバーと合流。

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2010年02月23日

<2月23日 灯りを応援する>

 今月は合宿研修が少ないので、色々な企業の方とお話しすることが多い。大手企業から中小まで、人事の方や経営者まで色々なお困りごとをお聞きする。ホームページをご覧いただいたり、知人の紹介で「相談したい」と、初めてお会いする方もいる。
 興味を持ってまずはじっくり「お困りごと」を聴かせていただく。会社の状況、組織内の状況などなどお聴きする。人事・企画の方だったり、企業の教育研修委員会の人だったり・・・

内容は
・組織全体が元気がない。
・将来が不安に感じる従業員が多い。
・経営TOPは今のままでいいと思っているが社員は変えたいと思っている。
・経営TOPの声が現場の従業員まで届かない。
・管理者が部下のマネジメントをしきれていない・・・・などなど

 時には3時間以上になる時がある。彼/彼女らは会社を思う気持ちが強く周囲に働きかけてもうまくいかない、そんな不満もお持ちなので堰が切れたように話される。
こちらは整理していく。

 あまりアドバイスはしない。むしろじっきりお聞きして「こういうこといですか」と整理してさし上げると「そうなんです。それを言いたかった」と大変喜ばれる。
 彼、彼女は孤独で頑張っておられる。いわば闇夜の中での小さな灯りだ。風に吹かれて消えそうな時もある。
 私の仕事はその灯りを応援すること。灯りが消えないでいれば、いつか一つの灯りが二つ、三つに増えていく。

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2010年02月15日

<2月15日 TA事例発表会>

今日は2009度最後のTA研究部会。会員の中から日常生活でTAを応用している事例を4人から発表いただいた。いずれも良く準備された充実した内容。会場からは関心する声があちこちで聞こえた。

1.子育てに生かした事例;
元助産師の和泉エイコさん。ベビーマッサージをお母さんたちに教えるかたわら数回にわたってTA子育てセミナーを実施。育児書どおりでいいのか不安なお母さんたちに心身ともにサポートし安心感を持ってもらう。

2.企業のキャリア教育に使った事例;
SMBSさん。傾聴の実習もあり良い復習となった。岡野先生に教わったことを忠実に再現。

3.女性管理職研修に活用した事例;
戦略人材研究所取締役の鎌谷さん。360度評価をもとに根っ子掘りを行う。ご苦労された女性管理職が自分を見つめて一皮むけていく様を実例をもとに発表。感動。

4.ポジティブアプローチを活用した組織変革;
これは私が発表した。研修中の写真を多く使い意欲が上がり組織として一体感・目標感を持つにいたる現場の臨場感をお伝えした。概要説明の後、約30分間で過去の最高の体験をペアインタビューし、4人で分かち合う実体験をしていただいた。短い時間だったけど、「始めての新鮮な体験」と好評だった。

その後、小グループに分かれ、質疑および共通テーマについて質問・意見交換。
私のグループは7人が来て下さり活発に質疑応答をした。皆さん、職場にメンタルヘルスの深刻な問題を抱え「どうしてそんなにうまくいくのか」「どう社内に導入したら良いのか」と実践の方法を質問する方が多かった。

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2010年02月07日

<2月7日 生命誕生>

娘に女児が生まれた。このブログ<人間探訪>は私事については書かずに「身の回りや社会で起きた出来事を温かいまなざしで表現する」のが方針なのでその趣旨で書く。
出産してすぐに母親(娘)の体に裸の赤ちゃんを密着させる。肌と肌、まさしく「裸と裸の付き合い」。この方法だとお互いの愛着が増すだろう。最近の精神分析では対人関係による良好な治療な行われることに注目しているが、その趣旨に沿っている。  
 母親(娘)にねぎらいと祝意を伝えた後は赤ちゃんを観察、飽きない。小さいが顔の目鼻口眉、小さい指などツメまで精巧にそろっている。やたらあくびをする。顔をしかめ、口をあける。舌を出す。可愛いよだれを出す。手を動かす。母体から出て20分くらい。空気を自分の肺で始めて吸って、身体の諸機関を確認しているようだ。人間は生まれてきた時は白紙ではなく、すでに自分が生きていくために基本プログラムを持っている。そしてそれらが学習によって発展していく。 
 初めての行為は指しゃぶり。手を上げて指を自らの口に入れて吸い出した。口内が一番敏感なので口にものを入れる基本プログラムがあるのだ。
 母乳はいつ吸うのかと思っていると、看護師さんがやってきて「さあ練習しましょうね」といって赤ちゃんの口を母親の乳首のあたりにセットした。自分で見つけ吸いだした。口のあたりに柔らかいものが入ると吸う仕組みになっている。小一時間ほどの母体接触が終わって赤ちゃんは乳児室へ。
 自然な感動。可愛いし、新しい発見の興奮もあるひと時だった。

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2010年01月30日

<1月30日 春の予兆>

久しぶりに何も行事のない土日。午前中は家人と近所を散歩。2時間ほど歩く。日差しはもう初春を思わすほど明るく温かい。
 折り返し点はDo it Yourself店のホームセンターK店。
季節の花の苗や庭園道具がならぶ入口を抜けて中に入ると、ダダっ広い売り場に家庭電化製品や日常雑貨が並ぶ。掃除機、洗濯機、テレビなど電化製品は数千円台からせいぜい1,2万円台。安い。デフレを実感する。数万円あれば十分新居の家電がそろう。種類も多い。
店を出て家へ行く途中で、最近できた野菜販売所に行く。駐車場が広く100台くらい入れるだろうか。こぎれいでシンプルなビルの中に大勢お客様が入っている。
確かに野菜が安い。今朝とりたての野菜が農家(生産者)の名前を表示して売っている。野菜以外にパンやお菓子、お惣菜、おにぎり、弁当などを売っていてこれも生産者の名前やお勧めの言葉「甘くて新鮮。○時間煮込みました」が書いてある。
 お店を出た。安くて便利になったなあと思いながら道を歩く。反面、消費者にはいいけど生産者は価格も品質の日々改善、生存競争が大変だなあと同情もある。
風は冷たいが太陽は明るく、お店の庭木売り場の早咲きのチューリップの赤や黄色の花びらがとても鮮やかだった。冷たい空気の中、根をしっかり伸ばして美しく咲く花たちに人間たちも負けてはいられない。

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2010年01月25日

<1月25日 ゲシュタルト療法学会設立会議>

 昨日はゲシュタルト療法設立学会の創設会議2日目。ゲシュタルト・ネットワーク・ジャパンの百武(ももたけ)会長の呼び掛けに応じ、全国から20数名が集まった。
 ねらいはゲシュタルト療法を日本に広めるという趣旨で、内容はゲシュタルト大会(7月)、研究分科会(産業、臨床、学校教育など)、トレーナーの資格認定など。
 百武さんにはこの1年ワークショップでお世話になっているので元々は半分義理ででたようなものだが、仙台や新潟、福岡、鹿児島などで学校教育や心理臨床にゲシュタルト療法を生かした体験事例(子供のストレスがなくなった)は大変興味深かった。著書を何冊か出されていて有名な岡田法悦さんとも2次会で色々考え方を聞けて参考になった。
 お話を聞くうちに私も学会の盛り上げに熱が入ってきた。私は研究分科会推進チームに入った。その成果は7月のゲシュタルト療法大会でお披露目する予定。
 現在、私はNewライフアドベンチャーセミナーに活用している以外には、エグゼクティブコーチングのセッションに一部導入している。産業の世界でどういう場面で活用していくか、同じ道を志す諸先輩たちと事例や意見交換していくことが大変楽しみだ。

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2010年01月20日

<1月20日 経済同友会シンポジウム>

日本経済同友会のシンポジウムに出た。テーマは「第16回企業白書―新・日本流経営の創造」。私が海外で日本的経営の話をすることが多いだろうとのことで、EQパートナーの安部社長にご紹介いただいた。
まずはGE(ゼネラル・エレクトロニック)副会長のジョン・G・ルイス氏に武田薬品の長谷川社長(経済同友会副代表幹事)がGEのグローバル戦略について英語で質問するところから始まる。
 「日本企業は何をするべきか」という質問に対し、ルイス氏は「日本はいいところがいっぱいあるのでその長所を生かせば良い」「あえて日本に言いたいのはリスクを取ることを恐れ過ぎている。むしろ何もやらないことのリスク想定が足らないので成長機会を逃す、競合に後れをとるなどの問題が出ているのではないか」とのこと。
「どうやってリスク評価するのか」との問いには「感じたことを経営者が発言すること。私は感じた問題を発言してこそ報酬をもらえると思い、あえてイメルト会長に色々な問題提起をする。そのために組織内に健全なディベート精神が必要。批判をするだけでなく、自分ならこうするというオプション(違う選択肢)を言うことが必要。」
他の質問「グローバルリーダーの育成にはどんなことが必要か?」
回答「色々なポジションにつけてフィードバックすること。あなたはこういうことが得意、こういうことが出来るということを経営層がフィードバックしてリーダーに自己の能力について自覚させることが重要」
ちなみに同時通訳が付いているが、会場参加者の何割かはレシーバーなしでそのまま聞いている。会場からの質問は英語。日本の経営トップが英語でやりとりする姿が刺激になった。

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2010年01月01日

<1月1日 明けましておめでとうございます>

 新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
 新年は近くの飯山観音に初参りに行きました。山の中の名刹です。関東の坂東三十三ケ所の第六番札所であり、真言宗の古寺。現在でも白装束の巡礼姿を見かけるそうです。境内にある銅鐸、観音堂及び堂内にある厨子は指定文化財。父の眠るお墓もあります。
 住職さんとお会いし、会社の商売繁盛、自宅の家内安全のお札をいただきました。護摩で祈祷していただいたものです。
 今年も、気負わず飾らず、力みを除いて自然の摂理に沿って集中して生きていきますが、その上で偉大なるもののご加護をお願いしたいと思います。
 昨年は個人や組織の強みに目を向け、そこからありたい姿を描き表現するポジティブアプローチを探索しました。一体感が醸成され、主体性が解放されるようなファシリテートの微妙な勘もわかってきたと思います。
 今年はさらに突き詰めて、生命体としての個人、組織が持てる力をつなぎ合わせ熟成し集中的に発揮し変革が実現できるような環境、仕掛けづくりを探索したいと思います。

あわせて皆さまのご繁栄、ご発展、ご多幸をお祈りいたします。
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▲玄関に飾った縁起物。飯山観音で祈祷していただいた商売繁盛、家内安全のお札と幸運を呼び込む熊手。

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2009年12月31日

<12月31日 1年の終わりに>

今日は1年の終わりの日、大みそか。
紅白歌合戦とビッグダディを見ながら今年を振り返る。

1)まずはポジティブアプローチの研究・実践が進んだ年だった。ヒューマンバリューさんのセミナーにも出させいただき、数社の幹部対象に実践させていただいた。参加者からは、組織としての一体感、目標感を持てた、元気をもらったという感想をいただいた。

2)ゲシュタルトセラピーの実践的な研究が進み、スキルが上がった年だったと思う。3月のアメリカ・ノースカロライナのヴァンジョインズさんのワークショップ参加を始め、百武さんはじめ優秀な講師による毎月のリキハウスのゲシュタルトセミナーリーダー養成コース、毎月の落ちこぼれの会。4回の公開コースNewライフアドベンチャーセミナーでも多くのワークをやらせていただいた。

3)海外での能力開発が定着・発展した年だった。台湾、そしてウズベキスタン。日本語以外で講義し、好評をいただいた。

皆さまのおかげで今年も充実した年だった。
ちょうど紅白歌合戦で、矢沢永吉さんが登場、しぶくてカッコよく歌っていた。新年も若々しく行動し、皆さまに感動をお伝えしたい。

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2009年12月30日

<12月30日 ウ国の日本文化>

今回も多くの人と出会いがあった。ウ国の人はみんな友好的。最初は遠慮があるがすぐ仲良くなる。日本人に対しての敬意や親近感がある。
番外編となるが、今回一番多くご一緒したのはUJC所長のYさん(日本人)。昼間の研修状況の意見交換のお話から始って、今回はサマルカンドでご一緒した。電車の中、食事時など色々なお話をさせていただいたが非常に有意義な時間を過ごさせていただいた。
YさんはJICA(独立行政法人国際協力機構。現在、緒方貞子理事長)に入られて、シンガポール、フィリピン、米国ワシントン駐在を経て、昨年末より、UJC(ウズベキスタン日本センター)所長という経歴をお持ちだ。新興国援助についてはプロ中のプロである。アフリカやアジア・中南米など数多く訪問し、日本国としてどういう援助が必要かを考えて来られた。
一家言お持ちで、いわゆる人道的立場に立って全くの無償援助ではなく、日本の税金を使うのだから、日本の今後の政治・経済について相互メリットの出る形の援助の方が長続きするのでは、というご意見があり私も全く同感であった。新興国に対してもビジネスの世界の人材育成を手始めに発展の起爆剤にしていくのが一番戦略的だ、というご意見もなるほどと思われた。
話題も広くて、アメリカはじめ世界の歴史、政治、経済、文化について色々な角度から意見交換できた。
その中で世界に誇れる日本文化をウ国に伝えるために様々な試みをされておられる。折り紙教室は人気No1であるし、お茶・華道など「道」について形から入り、日本の心を伝えていくというのは大変興味深かった。
いずれ私も剣道を通じて日本文化及び日本的経営を伝えられれば、と話しがはずみ、夢が広がったひとときだった。
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▲サマルカンドの青いモスクが続くレギススタン広場の前で。Yさんは日本からお客様が来るたびにこの地を案内されている。
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▲サマルカンドからタシケントまでの特急一等車で。3時間すこしサマルカンドの特上ワインが一本空いた。酒の肴は「アメリカの理念社会はどうして出来上がったか。アメリカ中心の世界は今後どう変わるか」「日本はどう再成長すべきか?」と格調高いお話。
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▲冬休みに入ったウズベキスタン日本センターの入り口。「賀正」とお正月の雰囲気を出している。
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▲同じく日本センターのロビー。おせち料理の模型が説明入りで置いてあり、日本情緒をかきたてる。

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<12月29日 ウ国の会社訪問>

<12月29日 ウ国の会社訪問>
今日はPMPの生徒の会社を2社訪問。
1社目は住宅販売会社。この国の土地は国有だけど住宅(アパート)は売ることが出来る。社長は27歳、副社長は26歳の20人くらいの会社。
最初に会社の状況を聞く。この国の人は値引きが好きだという紹介があり、どのくらいの価格かと聞いてなかなか話がかみあわない。結局正価の2%と聞いて「あれ?」。
来年の目標を聞いて、さらに驚き。今年の10倍売るという。「自信はあるか」と聞くと顔を見合す。色々教育をやったり、マネジメントの改革をやったから大丈夫だと言い張る。3時間くらいやりとりしたが、マネージャーが一人一人の営業目標をどうつかんでどう指導するかははっきりしていなかった。目標管理の基本と毎月の報告書の基本フォームを書いてあげたら大変感謝された。それよりも毎年60%の従業員が辞める。こっちの方が問題と思ったが、時間切れ。
15時から2社目を訪問。今度は建設会社。政府の新しい建物や市内のホテル、会社の建物を最新のデザインで建設する従業員2000人以上の大会社である。出た質問は人材管理よりは、売上の成長が止まったのでどう伸ばすかの経営戦略に関するもの。新しい市場はないかと聞いたらハンガリーを上げた。興味深いのは建設についての人件費は今はインドよりもウズベキスタンが安くてさらにハンガリーが安いらしい。
2時間くらいやりとりした後、役員のご自宅に招かれた。ご両親・弟さんと同居して素敵な奥様と2歳のかわいい男の子と同居。夕食をご馳走になった。
この方は地元の大学を修士で卒業。アメリカ・ミシガン大学にも6カ月留学。恵まれた方だ。
アメリカをどう思うかと聞いたら素晴らしいところがあるが、個人主義が強い。目上の人を尊重しないのは受け入れがたい面もあるとのこと。その点日本人は見た目が我々と似ているし、価値観が似ているとのこと。
そのまま空港へ。ようやく日本へ帰る。
このブログは韓国インチョン(仁川)空港で送る。
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▲不動産販売会社の社長Ruslanさん。左は奥様。どこかでお会いしたかなと思えば昨年のPMPの卒業生だった。
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▲従業員の部屋にあった掲示板。意欲アップのために提案書、売上目標をグラフ化しようとしておられた。
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▲私の左が副社長。部下指導で苦労され、目標管理のシートを書いてあげたら喜んでいた。右側の背の高い女性は社長の奥さんの妹。UJCで学び日本語が話せる。16歳と聞きびっくり。DSCF2349.JPG
▲大手建設会社のFrushさんと。背景はこの会社の1階ロビー。1階は木の茂る庭になっており、クリスマスツリーが置いてあったDSCF2354.JPG
▲Frushさんご一家。御両親と弟さん、IT技術者の奥さん・お子さんの6人家族。お父さんは近くのマーケット経営でちょうど帰宅されたばかり。仲むつまじい。

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2009年12月28日

<12月28日女性の青年海外協力隊>

タシケントに戻り、UJC所長と合流。タシケントで働く青年海外協力隊の人々3人とご一緒し夕食。全員女性。一人は日本語教師で外大で働く。一人は大学で観光学を教える。もう一人も高校で観光学を教える。
色々お話を伺った。
◎任期は2年。その間は日本へ帰れない。
3人も残りの任期はあと半年、および1年。
◎お手当はあまり出ないので1日1$程度でつつましく生活している。
◎日本では旅行代理店にいて実務はつかんでいる。応募の動機は海外で途上国を援助したかった。当初はアフリカをイメージしていたが、JICAからウ国を指名された。確かにアフリカはインフラが整備されていないので援助しにくい。ウ国で良かった。特にお酒があるので良かった(かなりのピッチでワイングラスを干されていた)。
◎ロシア語は赴任する前に2カ月訓練を受ける。あとは実地で覚える。(レストランでの注文やお店の人との交渉はみごとだった)
◎生徒は素直。先生の言うことは良く聞く。
変な日本語を使うとすぐまねされるので気を使う。話す時に「そうねえ」という自分の癖は生徒にうつってしまった。
◎生徒はパーティ好き。このクリスマスの時期はレストランは高くなるが、30$(現地では大金)/人払ってもやる。
◎タシケント以外の土地では生徒は1ヶ月間の勤労奉仕(綿摘みなど)がある。試験前に可哀想と思う。
◎協力隊として、日本人としての特徴を出さないといけないので、観光学科の生徒には「地球の歩き方」を紹介。この国に来る日本人はこういう関心事を持ってやってくる、ということを教える。すると面白がる。
 異国の地で頑張る彼女たちに敬意を表してレストランを後にした。
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▲サマルカンドのティムール大王の像。座っている。DSCF2270.JPG
▲サマルカンドの駅。昨年、新装。

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<12月27日シャフリサーブス>

タシケントから電車で3時間45分古都サマルカンドへ。そこから車で1時間半、ウ国の南端シャフリサーブスに向かう。雪が積もる山々を横目に走る峠越えが面白い。山の表面では石がむき出しになる。
シャフリサーブスの街に着いた。ここはウズベキスタンの英雄ティムール大王の生まれ故郷。見どころは3か所。“緑の街”というのにふさわしく木が多い。
まず大王の立像を見る。はるか山々を望んでいる。次いでアク・サライ宮殿の門。ほとんど破壊されている。ブハラの王がティムール大王の功績をねたみ、その死後16世紀に破壊したとのこと。
ちなみにティムール大王を紹介すると1336年に豪族の息子として生まれる。ジンギスハンの次男の領土(西トルキスタン)を統一、頻繁に外征に出かける。イラン、小アジア(トルコ)、コーカサス、インドまで領土を広げティムール帝国。首都サマルカンドはティムール色と言われた青色のタイルの建築物が立ち並ぶ壮麗な都市になった。1405年、明への遠征中、カザフスタンで急死。
ティムール大王についての博物館があるだろうと思ったらこの地にはないので、ガイドさんに聞いた。
Q,ティムール大王の強さは?
A ,彼自身が強い人(レスラー)でそれをまわりの人に見せた。また賢かった。世界を視野に入れていたビジョン。ファミリーの結束が強かった。
Q.ティムール軍の強さは?
A.インド象を使った機動性。鋭い槍。 
もう少し文献をあたろう。

ちなみにガイドさんら聞いた別の話。タシケント・バスという会社はいすゞ自動車からエンジンなどの提供を受けてうまくいっている。日本企業の協力の良い成功事例とのこと。PMPの受講者から聞いた話とは違った。
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▲遠くに雪山が見える道を運転手さんは突っ走る。80kmくらいは出ていいるだろうか?
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▲峠の中腹。雪が残る山肌。DSCF2284.JPG
▲頂上の風景。

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▲頂上には露店が出ている。当地の名物のナッツを買う。500g、300円。ガイドさんに聞くと相場だという。
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▲テイムール大王の銅像が立つ。後ろは宮殿の門の後。
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▲下から見た遠くの山を望むティムール大王の像。右足は不自由だったそうだが、レスリングが強く体も堂々としていたので頼もしい。
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▲富士フイルムの看板。こういう辺鄙な街でもあるとうれしくなる。
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▲帰りはまた石だらけの山を見ながら峠越え。
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▲見晴らしの良いところで記念撮影。

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2009年12月26日

<12月26日恩師乗井靖雄さんを偲ぶ>

12月21日に恩師乗井靖雄さんが逝去されました。享年68歳。昨日・今日が通夜と告別式ですが、私はウ国にいて出席できないので当地からご冥福をお祈りします。
乗井さんは富士フイルム株式会社の営業を経て、人事部、研究所の事務部長を務められた後、株式会社富士フイルム人材開発センター(FFHD)の社長をされました。私は4年間、そこでご指導いただき、その後、富士フイルム人事部に戻ってからも独立してからも大変お世話になりました。私にとっては岡野先生と並ぶ恩人であり、学ばせていただいたこと数え切れません。思いつくまま<乗井語録>として上げると
◎やれることではなく、やりたいこと、やるべきこと、目指す姿を上げること。
◎教育はあきらめないこと。教育の対象者が「新撰組」となっても次の時代の芽になる可能性がある。長い目で見ること。
◎自立、自律が大切。あまり研修参加者の面倒を見すぎない。自分で考えてもらうことが大切。研修担当者の正解を押しつけるな。落ち込むのも必要。這い上がれば良い。
◎絶えず新しいことに挑戦せよ。研究せよ。
◎美点凝視。怒ったあとでも人を愛す。
◎優しさだけでなく、秋霜の厳しさも時には大切。
◎色々な人会うこと。人脈が命。
◎教育は絶えず経営戦略とリンクさせること。その教育を実施してどんな経営課題を解決するか考えよ。

人とお酒が大好きで研修の際の懇親会でもいつも最後までお付き合いされていました。頑健な体力でまだまだお元気と思っていたのに残念でなりません。もっとご指導いただきたかったし恩返しもしたかったのに残念でなりません。
 最後まで病状は伏せておられ、逝去される直前の大学の同窓会でも奥様に会場まで車いすで送ってもらい一言も語らずふつうに談笑されたそうです。強い方でもあり、他者への心遣いを忘れなかった方だと深く感銘いたします。

安らかにお眠りください。

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<12月25日クリスマス パーティ>

講義が終わって、ウズベキスタン日本センター職員のクリスマスパーティに参加。18:30に事務所に行ったが、女性職員の半分くらいはパーテイドレスに着替えてパソコンに向かっている。「背中や肩を出して寒くないのか、ご苦労なことだ」と思うが、口には出さない。年に一度のこのパーティに女性職員は命をかけている(位に思う)。14:30には私のアシスタントも着替えのために家に帰ってしまった。マネージャーも今日は休みで仕事の相談もできず今日は半日機能しない。
車でレストランへ移動。中は広く、500人くらい入れる広さだろうか。他にも色々な団体が来ている。JETRO(日本貿易振興会)の職員も来ておられた。見覚えのある顔。昨年のウ国の日本人会忘年会でお会いした所長だった。
各人の席にはご馳走がならぶ。1時間ほどしてショーが始まる。踊り子たちの舞とダンス。ラスベガスのようだ。そしてサンタクロースと孫娘の氷の女王による歌。
後半は歌とバンド演奏を背景に、「お約束」のダンスタイム。ほぼ全員参加。昨年も思ったが、皆さん本当に踊りがうまいし、エネルギッシュなこと。普段、大人し目、地味目の方この日は華やかなスターになる。私も運動不足解消のため踊るが、深呼吸しながら、適度に休みながらの参加。
日本からも前所長や日本のウ国大使館の偉い人も参加。空港から直接寄られたそうだ。
このパーティ、24:00くらいまで続くそうだが、所長などお偉いさんとともに一足先に失礼した。
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▲パーティ会場のレストラン。中はかなり広いし、高級感ある。
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▲日本センター職員の美女たちと写す。私も含め男性は何となく違和感ありますね。
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▲アトラクションで素敵な踊り子さんが舞う。手前の方々は美女に目もくれないで何を話しておられるのかしら?
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▲やるせない中にアップテンポでビートの効いたノリのいい民族音楽が流れる。パーティ後半はほとんどダンス。日頃はまじめなUJC職員も今日は別人。「誰も私を止められない!」深夜まで続くんでしょうね。エネルギーを感じます、ハイ。

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2009年12月20日

<12月20日 ロシア正教教会と旧ソ連>

 夕方まで講義の準備。
夕方から日本人専用ガイドのマリカさんに案内され市内見学。イスラム教の建物を見る。日本人にとってイスラム建築はモスクと神学校とミナレット(塔)はみんな同じに見えるが、マリカさんから背景を聞くとわかりやすいし発見がある。あいにく見れなかったが、世界に3冊しかないコーランの原典があるそうだ。
 ロシア正教の教会に行った。19世紀に建てられた建物外観は金ぴか。ロシア人ばかりが参拝。かつてはこの国の10%を占めていたが今は1%程度。入口の門をくぐる時に十字を切る。出る時も後ろを見せないように丁寧に十字を切って出ていく。教会の建物内は荘厳。熱心に丁寧に時間をかけてお祈りする人々が見られた。
 行く前にウ国の人々の旧ソ連に対しての想いを聞いた。この国は独立して18年。若い人は独立して良かったというが、年配の人はソ連被統治時代の方がよかったという。理由は経済的なもの。給料は今よりも高かったし(約400$。いまは200&/月弱)、年金も良かった。モスクワも今より簡単に安く行けた。
 問題点は宗教の制限。メッカ巡礼も今の数十分の一の人数に抑えられる。
 ビジネスも制限がある。新しいビジネスを興そうとしても許可されない。
色々な見方があるのだと思った。
 ちなみに今回ご案内いただいたマリカさんは昨年のPMPの卒業生。いわば私の教え子だ。旅行会社を経営されていて昨年からタシケントなどの宿の手配などお世話になった。彼女は法政大学にも留学していて日本語は達者。本人も「自分は色々な民族の血が入っているが、精神は日本人に一番近い」とおっしゃる。小学校時代から複数の民族のいる環境で暮らし話題は国際的。「でもウ国の会社で20歳代、50歳代の社員を使うのは苦労したのよ。やっぱりHR(人材管理)は大事ね」と参考になるお話。
 夕食は穴場と言われるキルギスタン・レストランで民族料理を楽しんだ。彼女もウズベク製のウオッカ、コニャックを楽しんだ。
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▲手前のモスクに世界最古のコーランが眠る。DSCF2137.JPG
▲地元の人は黒ずくめの服装。
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▲金ぴかのロシア正教教会
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▲内装は荘厳な教会。若い女性が熱心にお祈りをしていた。
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▲門の出入りにロシア人信者は丁寧に十字を切っていた。私もそれに従う。
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▲キルギスレストラン。遊牧民族らしくユルタと呼ばれるテントの外観。
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▲ウ国紹介の本でも登場する現地で有名な日本人専用ガイドのマリカさんと。彼女も久しぶりにお酒を飲んだという。

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2009年12月19日

<12月19日タシケントを歩く>

 4時に起きたが、時差があるので眠くない。日本時間午前8時。午前中は月曜からの講座の準備。今回から英語で話すので準備に時間がかかる。
 午後からタシケントの街を歩く。ホテルの前が駅なので地下鉄に乗る。プラットフォームで見たこちらの人は黒ずくめ。コート、ジャンパー、セーターなど黒っぽい。女性はたまに白いシャツ、セーターを着ているがコートは黒。原色はまず見かけない。
4つ目の駅で降りる。少し歩くと立派な建物があるので写真を撮ろうとしたら警官に止められた。何とかフォーラムと言う。 
 今回はこの国の英雄、ティムール博物館に行く。中がゴージャスなのに驚いた。
博物館の横は食堂街。高級そうなところはガラガラだが、200人以上入れそうなロシア系食堂は満杯。セルフサービスで値段は安そうだ。チケット売り場では人があふれる。チケット売りのおばさんがゆったりマイペースで仕事をしている。食堂内は暗くて調度品は古い。旧ソ連はこんな感じだったんだろうな。
 時間がかかりそうなので違う店に行く。ウズベク料理の店でインテリアはしゃれていて料理もおいしそうだったが、あいにくここの通貨CYM(スム)の持ち合わせが少ない。ドルはだめだというので、スープ一品(約300円)にした。栄養過剰なこの身体には良いが、この店はもうかるチャンスを逸した。立地がよく観光客も多そうだと思うが、そこまで稼ごうとしないんだろうな。
 遠くの山には雪が見えるが、今日の午後は日がさして温かい。休日を楽しむ家族が公園の中や道をのんびり歩いていた。
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公園にてティムール大王の彫刻。
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建物の外観からは想像できない建物内部の絢爛豪華さ。シャンデリアがまぶしい。
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ティムール大王の治世を表現した壁画。説明書きが英語でないので意味不明。他の肖像画や宮殿の複製も含め最近の作が多い。
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公園に面した道路で。このユーモラスな看板にひかれてつい入ってしまったレストラン。子供に人気ありそうだ。DSCF2136.JPG


▲クリスマスのPR。当地ではサンタクロースには孫娘(氷の女王)がいて2人がセット。

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<12月18日ウズベキスタンに来ました>

またウズベキスタンに来た。同地日本センターのビジネススクールで人材管理(HRM)の講座を担当するためで、今回4回目。
 旅程は順調。本厚木7:10発の成田行きバスに乗る。成田空港では残りの年賀状を書きあげポストに投函。安心してラウンジでワインを飲み、定刻13:30アシアナ航空で韓国仁川空港へ。地図で見ると対馬列島はすぐそば。日経新聞の朝刊の小説が今、対馬が舞台なので関心がある。1時間のトランジットで、17:10仁川発、首都のタシケントに向かう。飛行時間は8時間弱、4時間の時差あり、21:10着。
 空港では帽子の大きい警官数人の姿を見て、ウ国に来たのを実感。空港にいる男性のがっちりした顔、短い頭髪を見て懐かしく思う。
 入国審査も慣れたもの。税関では持参したお金をすべて書く。現地通貨のCYM(スム)、ドル、円。数字と英語表示を狭い記入欄にきっちり書かないといけないから面倒。夏に来た時は2回書き直されてカリカリ来た。今回は準備もバッチリ、抜けもあったが、親切な係員にも恵まれスムーズに通過。ちなみに同じ用紙にサインしたものを返してもらうが、これを紛失すると出国の時に大変、大使館を巻き込んだ騒動になると聞いているので大切に保管する。
 タシケント空港から外に出る。覚悟していたが、そんなに寒くない。日本のほうが寒かった。3日前に雪が降ったらしいが、ほとんど消えている。
 22:10(日本時間、翌日の2:10)にホテルの部屋にはいる。明日からが楽しみだ。

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飛行機から、ならではの夕焼け。チベットの北側を飛ぶ。
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ホテルはクリスマス一色。夜になるとおしゃれして若い人がパーティに集まる。結婚式を控えるカップルもこのツリーの前で写真を撮る。

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2009年11月07日

<11月7日 交流分析協会年次大会>

7日、8日と交流分析協会さんの年次大会に出席。ちょうど今年からTA研究部会とタイアップしたのでご招待された。
大きな会場には約600人出席とのこと。最初に折原会長のご挨拶があり会員3500人を擁する日本最大のNPOということがわかった。社会貢献をかかげ「教員のためのTAのテキスト」も完成させたとのこと。  
 今年のテーマはFCの解放 。オープンセレモニーからダンスで始まる 。委員長も中学生に交じって踊る。
初日の講座は杉田峰康先生の講演。 相変わらず事例が多くわかりやすい 。
夜の懇親会(ストロークパーティーと呼んでおられた)は300人出席の盛大さ。さらに盛り上がったのが各支部のデモンストレーション。大阪支部は掛け合い漫才から始まって阪神タイガースの六甲おろしで終わる。九州地区は大宰府八幡宮の巫女さんに扮した会員が占いをする形で各県の活動状況を伝える趣向。 皆さん 芸達者だしすごいエネルギー
出席者は女性が8割くらいだろうか。皆さん基礎講座を受けビジネス以外に地域活動、育児、学校教育に生かしているのが伺えた。 交流分析学会が医療で 協会が産業、という切り分けと思っていたが裾野がかなり広い中で活動しておられるのがわかった。
ともに学ぶ仲間としてこれからもご一緒したいと思いました。
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▲掛け合い漫才風の大阪支部の紹介。数十人の会員が前に並ぶ。最後は阪神タイガースの六甲おろしの替え歌。勢いがある。

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2009年09月08日

9月8日<笑顔の医療者>

 昨日は終日病院で寝ていた。
月曜日、3つのミーティング終了後、ビジネスパートナーのトシ君と居酒屋に入ったが、急に気分が悪くなり新橋駅近くのクリニックに行った。脳梗塞の疑いがあるということで急きょ近くのJ医科大学の救急部へ。いろいろ検査していただいたが、一晩検査入院ということになった。先週同年代の会計士の方が脳梗塞になった話を聞いたので嫌な連想が走る。MRIに入るときはこのまま意識がなくなるのではないかという不安がよぎった。
 結果として、脳神経的には大きな問題はないとのことで退院できたが、健康への過信は今後改めようとよい薬になった。
 それにしても印象深かったのはJ医科大学の看護師さんお医者さんの対応の良さ。
1)看護師さんは絶えずこちらの様子を笑顔で見て聞いてくれる
2)救急部や脳神経外科の先生たちが何人か診療に来てくれるが、まず自分のネームプレートを手で持って「○○医の鈴木です」と笑顔で自己紹介する。個室から退出される時も「失礼しました」と礼をして出ていく。
3)症状をこちらから聞いたり状況を説明する時は目を見てしっかり聞いてたり話したりする。
 もっともそれまでが適切だけに若いお医者さんに「先生、この辺は(頭の後ろ右側)は大丈夫でしょうか」と聞いて無反応だと不安が募る。合図応答は信頼の基本と認識。
 退院間近になって何人かの看護師さんに聞いた。「この病院の対人対応はとても良いですね。何かトレーニングをしているのですか」と聞いた。「特にやっていません。でもそういうことは必要なので機会があったら受けたいですね」と謙虚な答え。

病院を退院し入口に「当病院の設立趣旨」の掲示があった。その最後に「病気を診るのではなく、病を持った人間を見る」のがモットーとあった。こういう病院にあたった幸運を思った。

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2009年08月23日

8月23日<太陽(ホラズム)の民>

午前中はPMPの採点の後、外出する。
城壁の外側東門にバザールがあった。屋外が多く、野菜、果物、香辛料、日用雑貨などが売られている。どこも体格の良いおばさんがどっしり座っている。買物の主婦で混み合い繁盛している。買い物客は冷やかしではなく、手をつけたらそのまま買っているようだ。量り売りで買っている。
 バザールの外には乗合タクシーが列をなして待っている。ありふれた日常の生活だが活気がある。
 昼食は外城のチャイハナ(地元の方が利用する喫茶・軽食)で。シュシラク2本(肉の串焼き)、汁なしのラグマン(うどん)、
サラダ、水餃子、ビール2本で800円。
内城の半分。日本の4分の一の値段。
 街を歩くと子供たちが「こんにちは」と声をかける。
 また昼寝のあと、PMPの採点。
夜は内城のレストラン(と言っても地元の人が来る庶民的な感じ)でホラズムの伝統食を頼む。何のことはない、うどんに香り草(シュシュ)が入った物。よもぎうどんみたいなものだ。
 地元の人お母さん方が子供の誕生会をしていた。と言ってもお母さん方は食べたりおしゃべりしたりで、子供は子供どうしで勝手に遊んでいる。たまにけんかになりそうだと親が仲裁する。あまり揉めさせない。日本よりも扱いはうまいかもしれない。
最後にケーキがきて皆で祝っていた。こちらも手をたたくと、おすそ分けにケーキをもらう。どこも一緒だ。
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▲城壁の手前でバザール。たくましいお母さんたちが日常品の売り買いをする生活の香りがする。
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▲城壁の前に駐車(?)中の馬車
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▲郊外の宮殿。シャンデリアが豪華。
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▲夕闇の中ライトアップされる建物
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▲地元の料理。ビールが意外といけます。
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▲どの子が主役が知らないけど、ハッピーバースデー!御すそわけのケーキはおいしかった!
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▲夕闇の中では本当に幻想的だ。

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2009年08月22日

8月22日<ヒヴァを歩く>

 なるほど博物館都市と言われ、世界遺産(1990年登録)だけある。どこを歩いても旧跡だらけ。京都太秦の映画村、日光江戸村のように旧跡がすぐ横に続いている。
 町は外敵からの侵入を防ぐために外壁と内壁の二重の城壁で守られる。内側のイチャン・カラといわれる内城は20のモスク、20のメドレセ(神学校)、6基のミナレット(塔)など多くの建物が並ぶ。
 町を歩くと本当に中世の町にタイムスリップしたような感覚に襲われる。
 ここを支配したハーン(王様)は恐怖で統治、残虐非道な仕業がよくわかる。圧巻は入り口にある監獄博物館。当時を再現した人形や処刑方法を描いた絵が展示されている。男性は生き埋めが多いようだ。女性は非道。不貞を犯した女性はミナレットの上から投げ落とされたり、袋の中へ猫3匹と閉じ込められ外から打たれる。拷問や処刑は見せしめのために民衆の面前で行う。
 1873年にロシアに征服されるまでは3世紀にわたって中央アジア最大の奴隷市場があった。ハーンの命令で旅人や近隣の住人が襲われた。最後にはロシア人3千人、それ以外に3万人の奴隷がいたそうだ。
 灼熱の日差しの下、半日かけて多くの遺跡を見た。昼にビールを3本空ける。ガイドのクッサンさんは現在断食中で昼間は飲食しないといっていた割にはビールも食事も付き合ってくれた。英語の先生をやっていたとあって英語はロジカルでわかりやすい。夕方まで昼寝、夕方残り数遺跡を見る。
 18:00から地元の音楽と踊りと見る。お茶・菓子付きで5$。
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▲こういう風景がいたるところで見られるヒヴァ。
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▲今にも中世の人が現れそうな古い町並み。
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▲内城の物見台から眺める。城壁と内城外の街。
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▲牢獄の再現人形。木の足枠をされ痛々しい。
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▲奴隷の閉じ込められた檻。
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▲ホラズムの踊りと歌。子供が一生懸命。終わってから三輪車に乗って遊んでいた。

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8月22日<ヒヴァに行く>

8月22日<ヒヴァに行く>
 土日はPMPのテストの採点日。ホテルにいると煮詰まるので、移動。見聞を広げるためにヒヴァに行く。
 飛行機で1時間半。幸いに100人以上乗れるジェット機でほとんど揺れなかった。日本人の2つの団体旅行グループと空港で一緒。日本人ってすぐわかる。独特のやわらかさを持っている。言い換えると警戒心のなさ、何でも受け入れる柔軟さ。同じ顔立ちでも韓国人はガラス細工のように表面がくっきりしてつやつやしているが、周りと融合しないのと対照的だ。

 ヒヴァについた。この地はウズベキスタンの首都タシケントから西へ750Km。小都市ウルゲンチから35km離れた位置にある。
ウルゲンチからタクシーで40分(15$)でヒヴァについた。トルキスタンとの国境沿いにありイランまで300kmほど。あと400kmでカスピ海。
 ヒヴァのご紹介。四方を砂漠に囲まれながら、アムダリヤ川の肥沃なデルタ地帯であるホレズム地方。ここに人が住み始め農業をしていたのは4ー5千年前。ヒヴァの起源も同じくらい古い。この近くを歩いた隊商の一人が水の湧く泉を見つめ「ヘイワー(神の恵みだ)」と言ったのがヒヴァ(Xiva)の語源らしい。8世紀から14世紀くらいまではシルクロードからカスピ海、ヴォルガ川に向う脇道の小さな町だった。それが17世紀にアムダリヤ川の水系が変わり首都がヒヴァに移され政治・経済・宗教の中心になったとのこと(以上「地球の歩き方」より抜粋)
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▲内城の外壁。
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▲外壁をくぐるといきなり中世の世界へ。左の塔は未完成のミナレット。

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▲泊まったホテル(左)も遺跡仕様。右側もホテル。
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▲お墓も整備されている

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2009年08月15日

8月15日 <タシケント旧市街を歩く>

 実質タシケント初日。
 昨年末はビジネススクールとホテルの往復で仕事の他は飲食のみで体に悪かったので、今年は運動しようと思う。朝30分の散歩、夕方は泳ぐ。昼間は街を歩く。タシケントは新しい町と古い街に分かれる。新しい街は数十年前に地震で壊滅したあとソ連の援助で急回復したが、大きくてごつい洒落けのない殺風景なビルが続く。あまり面白みがないのでチョルソーのオールドバザールの周辺を歩く。
 日差しはきつい。日本よりは暑いが、湿気がないので日蔭はしのげる。
何が面白いかというとマンウオッチング。地下鉄(鉄の塊のような車両)に乗ってきょろきょろしていると早速 最初の駅で、おまわりさんの尋問に会う。6年ほど前に市街で連続テロがあって以来続いているらしい。パスポートを見せる。「どこから来た?旅行か?」との質問。「日本センターのビジネススクールに来た。この国の経済発展のお手伝いをしたい」というと敬礼して去っていく。
 乗り継ぎの駅でもまた尋問を受ける。よほど外国人のオーラを出しているらしい。この国の人らしく、背をすぼめ、人と目線を合わせないようにして歩く。すると帰りは声をかけられない。胸を張って歩き、きょきょろすると怪しいみたいだ。
 服装も黒のTシャツに短パンも怪しいらしい。電車で他の人を見たが、上着は長袖のYシャツが多い。白か地味な色。縞は少ない。Tシャツは白が多い。短パンは皆無に近い。しっかりしたズボンをはいている。
 女性も観察した。パンツ(Gパン)よりはスカートが多い。丈も長くて、膝上は1割くらいか。くるぶしまでの長い人も結構いる。エレガント。肌の露出は少ないのかなと思ったら、肩は結構だしている。市場ではサリーを巻いている人も多くイスラムの国を感じる。
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▲電車の中で(慌てて撮ったので少し手ぶれ気味)。男性の服は地味ぎみ。女性のワンピースは色は奇麗でデザイン派手。スカートが長いのでエレガントな感じ。

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▲モスクを背景にした路上市場でナンを売る人。サリーをした女性が買っているイスラム国らしい風景。外は暑いよ。
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▲市場の中のハンバーガー屋さん。肉の塊をナイフで切って、ミンチをパンに入れてくれる。柔らかいジューシーなお肉と玉ねぎ、トマトのコンビネーションが病みつきになりそう。

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▲ウズベキスタンの家庭料理 ラグマン。煮込みうどんのようなもの。麺は小麦なのでパスタかラーメンに近いかも。香草が入ってディープであるが気に入っている。


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8月15日<タシケントにつきました>

 8月14日現地時間23時にウズベキスタンの首都タシケントのホテル(インターコンチネンタル)についた。空港に着くまでは快適順調。
 朝は7:10のバスで成田空港へ。9時過ぎ着。チェックインの後、アシアナ航空の属するスターアライアンスメンバーのUNITED航空のラウンジで待機。非常に広くて気持ちがいい。冷えたビールを飲んでご機嫌。無線LANもつながるのでメールチェックの後、最後の英会話をあや乃さんと20分のショートレッスン。
 飛行機はビジネスクラス。サービスが良くて気持ちいい。もともと政府のお仕事なので飛行機はエコノミークラスの正規料金なのでビジネスクラス料金と変わりがないという不思議なことが起きている。空いているようなのでビジネスでお願いした。
 仕事がら機会があれば価格競争ではない一流のサービスを経験するようにしている。個人的には育ちが裕福でないし、ハングリー精神を失いたくないのでいつでも居酒屋、安ホテル、エコノミー飛行機でやってきたが、発想に限界があるのがわかった。トヨタ自動車の設計者が富裕層向けの車を設計するためにヨーロッパの高級リゾートで3カ月感覚を磨いた事例と通じるものがある。おしゃれな店を求めるハイソサィエティ志向の女性や新富裕層、お金はないけど一点豪華主義を求める新中間層の嗜好を研究するには面白い。
 アシアナは航空会社としては後発なのでサービスに力を入れているのがわかる。内装、食事、細かいサービス、キャビンアテンダントの容姿・優雅でホスピタリティあふれる振る舞いなどはまた来ようと思うにふさわしい価値がある。
 ソウル経由で7時間、ようやく首都タシケント空港に着いた。昨年までは飛行機からバスで入管まで運ばれたが、今回は直接ターミナルビルに歩いて入れた。ビルもきれいになった。さすが経済成長2桁の国。前回と待ち時間が数分の一とうれしくなる。
 入国審査も15分で終了。そこまでは良かった。預けた荷物が来ない。30分待っても、1時間待っても来ない。係員に聞いた。荷物運搬の担当が来たが、彼は「荷物のある人は?と聞いたが、あなたはチケットを渡さなかった(人相が怪しかったので警戒し渡さなかった)のでコンテナから取りに行かなかった。違うところに行っている」とのこと。なんということだ、「そういうことはシステムになっていないのか!何のために、成田の受付でプライオリテイというカードを貼ってくれたのか?」という驚き。
 気を取りなおして外へ出た。迎えの人もいない。アシアナの事務所に行って事情を話した。若い担当がてきぱき調べてくれた。「これからメインの入管に行きましょう」と言ってつれて行ってくた。彼は色々な人と握手してくれたおかげで私はもう一回入管前の場所に入り無事荷物を入手。めんどくさい手続きも逃れて無事お迎えの人とも会えた次第。
 今考えると入管はメイン含めて3つあって、小さいところヘ入ってしまい特別な手続きをしなかったためにわずわしいことになったということでした。
 良い体験になったし、良くも悪くもウズベクの最初の洗礼を浴びました。
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▲UNiTED航空のラウンジ。広くて静か。落ち着いたデザインのソファ、絨毯に、日本人形や祭りのみこしなどが置物として置いてある。
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▲UNiTED航空のラウンジ。トイレ内も雰囲気が良い。大きなお相撲さんの写真パネルが貼ってあり外国人にとって異国情緒を感じるようになっている。
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▲とってもソフトでサービスの良いアシアナ航空のキャビンアテンダント。残念ながら正面きっての写真撮影は断られた。アメリカ、中国などはむしろポーズを取るのに・・・恥の概念なんだろう。お国柄が表れる。変な乗客になってしまった。
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▲宿泊したインターコンチネンタルホテル。この国随一の5つ星ホテル。スタッフのマナーは年々良くなるが、まだまだ課題はある(例;挨拶しないスタッフ、レストランで食べていても皿をかたずけるウェイターなど)

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2009年08月13日

8月13日<明日からウズベキスタンへ行きます>

 明日からウズベキスタンに行きます。日本政府が途上国援助の目的で先方の首都タシケントにビジネススクールを開催しています。私は昨年からHRM(人材管理)の1週間の講座を持っています。
今回で3回目の訪問です。
どんな国か、昨年末訪問時の写真をもとにご紹介しましょう。

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▲ウズベキスタンの地図。ちょうどアフガニスタンの北側、カスピ海の東にある。旧ソ連領。周囲を他国に囲まれている。国境を2回超えないと海には行けない内陸の国。
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▲ウズベキスタンの合気道クラブの方々と。剣道を披露したら感動された。

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▲ウズベキスタン日本センターのスタッフと。最終講義の時に記念品をいただいた。

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▲忘年パーティで。日本センター職員は美人が多い。
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▲いつも私の講義の資料をコピーしたり、さまざまな準備をしてくれるビクトリア(左)。いつも23時頃まで働く頑張り屋さん。
 この日はセクシーなドレスに大変身。ダンスもうまい。優雅に踊りまくっていた。

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▲ウ国の冬は男性がこのような暖かそうな帽子を冠るのが一般的。

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▲ブハラ市の世界遺産。ジンギスカンもこの塔は破壊せず。隊商はこの高さ40mの塔を目当てに砂漠を渡ってきた。

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▲塔から見たブハラ市街。茶色の街だ。
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▲ガイドさんの姪っ子の結婚式があると言うので覗かせていただいた。花嫁の自宅で行った女性だけの昼間の宴。雇った音楽を奏でる男たちとダンサーたち。
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▲ガイドさんの姪っ子の結婚式があると言うので覗かせていただいた。花嫁の自宅で行った女性だけの昼間の宴。その食卓・・・御馳走が並ぶ。ちなみに中央の茶碗にウオッカ(40度以上ある)をナミナミ注がれ「祝いだ、飲め!」と言われた。日本人のメンツのため3杯飲んだ(俺って強いなあ)。その場は笑って別れたが、夜は熟睡。

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2009年07月09日

7月9日<自然から学ぼう> 

TA研究部会の高際さんに誘われて有楽町の「自然から学ぶ会」に出席。発起人の山田智之先生の3時間近くにわたるお話は難解ながらも新鮮だった。
先生は長野県在住で農業に関心が深い。その農業が危ないという話から始まる。
「我々の身体は食物、水をとって生きている。ところが、食物が危ない。多くの食物は化学物質や遺伝子組み換え食品。これは自然のものでないので身体には良くない。昆虫は遺伝子組み換えの大豆や果物、キャベツなどは食べない。人間も脳では変だなあと思いながら食べているが、それが蓄積して体に変調をきたす。キレる子供やうつなどもそう。
対策は“昔帰りした”食物を食べること。
スイカにしてもまっ赤な実の中に昔の黄色い筋が出ているものがある。これは遺伝子組み換えがあっても昔の本来の自然力をもった細胞に戻っている。こういうものを探して食べること」
「日本は素晴らしい国。周りを暖流,寒流に囲まれている。長野の高い山も大昔は海底。火山国で水をろ過しやすい素晴らしい岩石で構成される。だからおいしく健康に良い水ができる。植物も昔から自生している健康に良いものがある」
「世界はその内、高次元に移る。その時に日本人が貢献する。宇宙の真理を表すのはアルファベットでなく複雑な表記を持つ日本語だけ。あうんの呼吸がわかる日本人が世界を救う。」
山田先生は、独自の情報栄養学を展開、植物学、分子・原子、素粒子論、医学、放射線学、電気・磁気学、比較文化、日本神話、スピリチュアルなど恐ろしく幅広く深い知識を元に早口で説明される。約40名の参加者は経営者、医師、環境ボランテイア、健康団体の幹部など高い専門性をもった方が熱心に聞いておられた。10年前は全然相手にされなかったとおっしゃっていたが、時代が追い付いてきたということだろう。

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▲最初にあいさつされた先生。慶応大学の先生で現役のお医者さん。


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2009年06月28日

6月28日<台湾を歩く>

 明日から日系企業のプロジェクト支援のため台湾訪問。今日は移動日で午後は時間があったので久しぶりに台北を歩く。台湾桃園国際空港からバスで約1時間。運賃は120元(360円)と安い。窓の外は緑が多く自然豊か。高速道路は4車線。非常時には滑走路になるように設計されたもの。   
 台北に着き、初めて台湾国立歴史博物館に行く。ちょうど1階では「ほほ笑む遺跡群」をやっていた。西安は兵馬俑が有名だが、その近くで唐時代の遺跡が発掘されその発掘物が陳列。日曜日だったので子供連れ家族連れで混んでいた。表示によると兵馬俑の人形は180cmで男の兵士ばかり、顔は怖い。それに比べて唐時代の人形は裸が多い、大きさは60cm。表情はほほ笑んだり穏やかなものが多い。兵士だけでなく服を着た人形もある。女性もいる・・・。
 台湾の博物館は中国語と英語の併記で展示物が詳しく説明されているので非常にわかりやすい。比国の施設と違うところ。日本ももっと参考にしたらよい。
 2階では中央アフリカの武器展が開催。20世紀までの楯や鉄製の刃物(槍、弓の矢じり、刀など)が数百点展示されていた。アフリカと言うと近年の貧困と疫病と言う印象だったが、武器を元に誇り高く戦った時代があったのを知らされた。刃物はみんな厚さがあり、鋭い。丸い刃を持つ刀で首狩り族が捕虜を処刑する前の写真があった。ずいぶんアフリカに対する印象が変った。
 台湾の歴史を知りたかったが今回はお預け。高雄の科学博物館、歴史博物館の方が台湾の歴史がよくわかった。
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▲台北の中心部1955年に設立された国立歴史博物館の入り口。すぐ近くに故蒋介石総統を記念して建てられた中正紀念堂がある。
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▲国立歴史博物館の外観。1階が「ほほ笑む遺跡群」、2階が「中アフリカの武器展」、3・4階が常設展。中国(大陸)の河南省立博物館所蔵品中心に青銅器、陶磁器、宝石などの歴史的重要文化財が展示してある。入場料250元(750円)。
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▲西安市で発掘された唐時代の人形。王の埋葬品の一部だが、人形の顔が柔和。
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▲同じく埋蔵品。牛、豚、鶏・・・。通路のガラスの下に展示されていた。
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▲龍山寺の公園で将棋をする人と見物するおじさんたち。こういう塊が5つくらい。スイカを売る人もいた。


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2009年06月21日

6月21日<子供が危ない!>

 昨日はHRインスティチュート社主催のビジョン倶楽部。年に2回、教育や医療、社会起業、開発国援助などにつき問題提起があり意見交換する貴重な集まりだ。
 今回は師範塾の高橋史朗氏(明星大学教授)を招いての講演。私は台北からの移動で会場には遅れて参加、講演そのものは聞きそびれたが、質疑やそのあとの参加者の感想を聞いて内容の面白さを実感。帰りの電車でお土産に配られた本(「親が育てば子は育つ」MOKU出版)を読んで良く分かった。
 今、いじめや傷害・殺人事件など青少年の問題がマスコミで報道されているが、学校現場でも、学級崩壊が起きたりLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動障害;注意力がなく落ち着かない)の子供が増えてきており先生たちも大変苦労されている。
 高橋先生は脳科学者からこの原因のひとつを聞いて衝撃を受けたそうだ。脳の前頭前野は動物的な行動や激情を抑え、理性をコントロールしているところだが、TVゲームをやりすぎると脳の前頭前野など古い脳への抑制が利かなくなり、自律神経が不安定になり攻撃的衝動が起きる。我慢することや他人との人間らしい付き合いができなくなっているという。
 またここ15年くらい良くみられる電車の中の床に座る「地べたりあん」、電車の中での化粧。恥の観念の喪失だという。戦後、大人たちが子供に対して必要なことを教えないので子供たちが他人の目(社会から叱られること)を意識しなくなった。
 高橋先生は「3歳までに親がしっかりついてあげて愛情たっぷりにかわいがってあげる。話しかけて色々な体験をさせること。自然の中に連れて行って感動体験をさせることが大事」とおっしゃる。
参加者はまず親世代の我々が親に必要なことを勉強して子供としっかり関わって行こう、と口々に思いを述べる会合となった。

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2009年06月18日

6月18日<台湾 再起動>

昨日から台湾に来ている。台湾は一昨年から年数回お邪魔して現地マネジャーの能力開発のお手伝いをさせていただいており、今年も2月にお邪魔する予定だった。この世界同時不況の影響で延期。電子アイランドと言われる台湾は世界に電子部品、電気製品を輸出しているが、年末から3月までは生産が著しくダウン。中には操業が3割程度と言う会社もあったという。
ここにきて在庫調整も終わり、生産が急回復したので、4月に台湾の電子部品メーカーの社長さんと今年度の度教育計画の打ち合わせをして今日に至る。
急回復の状況を社長さんに聞いた。
(1)まずは中国需給が大きい。中国は内陸部に投資を始めた。従来、沿岸部(上海、広州、蘇州、北京、天津、大連など)の沿岸部と内陸部の経済格差が大きく社会問題化していたが、その差を埋めるべく自動車や家電、携帯などを援助金付で買えるようにした。そのため電子部品の需要が急回復したとのこと。
(2)アメリカ市場も急回復(新聞にはあまり出ていないが)。アメリカから途上国の南米向けの輸出用も見込んでいるのではにないかとのこと。
(3)大手電子分品会社T社の会長が今年の設備投資を昨年レベルに戻すとマスコミに発表。この会長の経済見通しは堅調であり良く予想があたるので、信頼があるそうだ。ちなみにこの会社は9月までフル操業とのこと。
 一昨日、日本のある大手メーカーのマネジャーに景気回復の状況を聞いたら「いやあこのまま更に二段底が来るんじゃないですか」とおっしゃっていたのとは対照的だった。DSCF0621.JPG
▲台北を歩く。台湾の国鉄の台北駅。日本の国技館のよう。地上2階、地下4階。鉄道は地下を通るので線路は見えない。一昨年開業の新幹線もこの駅から出ている。

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▲台北駅前にある三越デパートの隣にあった大きな垂れ幕。「日本に行こう、夏休みキャンペーン」と書いてある。台湾人の旅行先の一番人気は日本だそうだ。こんな浴衣美人のいる国には私も行きたい(?)
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▲三越の前で大きなキャンペーンをやっていた。看板を見たら100円ショップのダイソー。100円よりちょっと高い。
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▲三越の左隣の台湾故事館の入り口。1965年当時の台湾の街並みを忠実に再現したもの。日本統治時代そのままの食堂や映画館がある。昭和世代には懐かしい。

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2009年06月07日

6月7日<マニラの聖路加病院>

午前中は総合病院を訪問。医療ビジネスに関心があるので訪比前に野村先生に打診したらぜひ行こうとのことなので、関氏にアレンジを依頼、訪問することになった。efec%28hosital%20gate%29.jpg
▲入口からしてシティ・ホテルのよう。

 病院名はSt.Luke’sMedicalCenter(セント、ルクス病院)。アメリカの医療財団法人がルーツで、各国に1つある。日野原重明先生で有名な東京の聖路加病院と同系統の病院。
 日本人スタッフの国際デスク 大場氏から説明を受ける。
◎本病院は設立して105年。国際基準を認証されている。審査が難しいので、比国では2つだけ。建物は古いが掃除や整理整頓が行きとどいているのが自慢の一つとの事。
◎医者は2000人いるが、基本は外部スタッフ。開業している医者がこの病院に患者ごと連れてきて診療するシステム。
◎患者層は外国人か富裕層。日本のような国民皆保険制度はないので、自己負担で年間2万円から10万円の医療保険を払えるお金を持った層が来る。アメリカに3年いた野村先生曰く「アメリカも同様。例え病院前で人が倒れていてもお金がなければ助けない。」
◎年数億円の予算で低所得者対象の奉仕医療も実施。曜日を決めて希望者を受け付ける。
◎最初に緊急医療室を見学。患者は救急車ではこない。もし呼んだとしても1―2時間くらいかかるので皆さん、車で来られる。
◎人間ドックの待合室を見学。ホテルのロビーのように落ち着いた暖かい雰囲気で小奇麗。セルフサービスの飲み物、ケーキなどがセットされている。57e2%28roby%29.jpg
▲人間ドックの待合室。右から2番目がご案内いただいた国際デスク 大場氏。

◎入院用のベッド見学させていただいたが、ホテルのスイートルームのようだ。これで2万円/日は安い。6201%28bed%29.jpg

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▲小奇麗。書斎だけ見ていると「本当に病院?」って言いたくなる。退院したくないね。
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▲コンシェルジュがいて、買い物など頼まれごとをやってくれれる。

◎4年前から、外国からの医療を受けるようになって体制を構築。比国在住の日本人、韓国人が患者として多いが、海外からは台湾、インドネシア、中東から来られる。
◎一昨年までは日本から腎臓移植手術で来られる方が150件以上/年あったが、昨年より人道上の問題で法規制があり、いまは全くやっていない。
◎比国全体では優秀な医者や看護師が多いが、余りぎみ。優秀な方は医師でも看護師資格でアメリカに行く。収入が比国の10倍以上だし、永住権が取れて家族が呼べる。日本はあまり人気がない。収入がアメリカの半分以下だし、在日して3年以内に日本語での国家資格を取らないといられない。
◎医療の技術レベルは世界的に遜色なし。野村先生いわく「比国の看護師は身近にいるが優秀。日本語はすぐ覚えるし、ハングリーに学ぶ。半年経ってもう日本人と変わらず仕事をしている」

 全般的に日本の皆保険のありがたさは再確認できたものの、これから高齢者が増える日本にもっと日本に優秀な人を呼べないか?と思う。我々が知らない医療鎖国的な政治的な障壁もあるなと思った。反対に日本から患者が比国に行って安全に安価に治療を受けれないか、とも考える。特に医師不足の産科や小児科には可能性があるのでは?今後の研究課題にしたい。

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2009年06月06日

6月6日<コレヒドール島訪問>

 朝8:30の高速艇で1時間半、コレヒドール島へ。マニラ沖45kmにあるおたまじゃくしの形をした9km2の小さな島。マニラ湾の入口に位置しスペイン統治時代から外国船の入国管理が行われ、その名もスペイン語で「厳しく取り調べる」と言う意味。1902年からマニラ湾防衛の軍用地になる。
 現在は太平洋戦争中の日米の激戦地として有名な観光地となっている。行きの高速艇でDVDで概要を見る。激しい戦闘シーンが映される。日本の最高司令官だったマッカッサーが1942年に日本軍の進出により比国を離れる時の有名な「I  Shall Return」のスピーチする場面が印象的。
 島内に着き観光バスに乗ってまわる。
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▲島内をまわるバス。悲惨な場所を回る中でテーマパークにあるようなこのバスをみるとほっとする。
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▲いたる所にある砲台。これは360度まわる砲で対戦闘機用。砲は銃弾でかなり傷ついていた。


アメリカ軍司令本部のビル、弾薬庫、各種砲台、戦争資料館、日本軍司令本部跡を順次見学。建物や砲に銃弾や砲撃のあとが残っており痛々しい。今は南国特有の樹木が茂る緑豊かな島だが、戦争中は爆撃でほとんどの樹木が焼き払われたという。1942年に日本軍が砲台を占領した時の記念写真があったが、みんな若い。最年少は17歳とのこと。食糧不足で服の上からもやせているのがわかる。2f0f%28heisya%29.jpg
▲かつては司令部の中心だったマイル・ロング旧兵舎。爆撃で無残な姿のまま現在にいたる。(キクさん撮影)
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▲太平洋戦争記念館に展示してあった日本軍兵士遺品。水筒、はんごう、はさみ。上部にあるのは「千人針」。武運長久と糸で書かれている。家族の無事帰還の思いはかなわず・・・。a2a4%28bosatsu%29.jpg
▲10年前に日本から持ち込まれた慰霊の菩薩像。この近辺には犠牲者の名前を刻んだ碑が建つ。
 1944年にレイテ湾沖に沈んだ「戦艦武蔵」の慰霊碑もある。(キクさん撮影)

 午後、マリンタ・トンネルを見学。米比連合軍が兵器庫として建設した長さ250m、幅7mのトンネル。爆撃から逃れるのに適しているので途中で野戦病院や司令本部がおかれたらしい。日本軍が占領後,基地として使用。
 1945年、米軍から追い詰められて、「この状態では玉砕あるのみ」という司令官の再現ナレーションが日本語で流れる。各人トンネル内で自爆や切腹したという説明があり痛ましい。
 いま日本で封切られる映画で「国を取るか、愛する人を取るか」をキャッチにしていたのを思い出した。
実際は生きて帰りたくても上官が玉砕を選んだら、黙って従わざるを得なかった状況だった。
 この島にいた約6000名の日本兵のうち、生き残ったのは26人のみとのこと。
合掌。
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▲地下要塞マリンタ・トンネル。かつてはマッカサー元帥も立てこもった。現在は戦時中のできごとを再現する30分のショーを見ることができる。(キクさん撮影)
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▲マリンタ・トンネル内部の枝道。日本軍が自爆したほら穴があり生々しい。(キクさん撮影)

 日本軍の悲劇ばかり書くが、その前の1942年には米軍の大量の捕虜に対して日本軍はこの島の北6kmのバターン半島で「死の行進」を行わせ、多数の死者を出している。
またも合掌。

戦争は悲劇しか産まない。

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▲島の片隅に咲く赤い花。平和のありがたさを実感する。(キクさん撮影)

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2009年06月05日

6月5日<マニラを歩く>

今日は午前中はフリーでタクシーをチャーターし見どころを回る。
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▲緑の中に高層ビルが立つ。
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▲おなじみのジプニー。

(1)国立博物館
入場料200円。いきなりサンチャゴ沖で回収された昔の土器やスペインの大砲が現れる。修復再現せずに引き上げた状態そのものにしてある。各地方の昔の楽器や農機、祭りの木製器具が面白かったが、全体に文字での解説がなく外国人にはわかりにくい。この点を改善しないと観光客は呼びにくいと
思った。

(2)ナヨン、ピリピノ(フィリピン村)
比国各地の名所や民家のミニチュアがあるとのことで訪問。入場料は無料。入場者は私以外になし。ほとんどさびれていて家もメンテしないでそのまま。当て外れ。
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▲ルソン島南部にあるマヨン火山のミニチュア。美しく整った円錐形でフィリピンの富士山と言われているらしい。
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▲石でできた建物。チャーターしたタクシーの運転手さんに聞くと「古い教会だ」とのこと。

(3)午後から同期の野村先生(外科医)、きく様(某団体の役員、同期のアイドル)を迎える。
(4)関氏の事務所でダム建設プロジェクトのプレゼンを聞く。今回のハイライト。女性スタッフが主に説明して関氏が補足。
ほとんど日本からの援助か円借款での工事。川の氾濫で人々の生活が困ったりしないように、護岸工事や大雨でも氾濫しないように貯水ダムや新河川の構築を行う。インドネシアで関氏が完成させたプロジェクトの写真を見て感心する。
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▲関氏のオフィスで。同期4人(左から野村先生、キクさん、関技師長)とスタッフの女性たちと。同期のキクさんは女性スタッフから「28歳に見える」と言われ喜んでいた。

(4)マニラ観光。スペイン統治統治時代の城塞が残るイントラムロス地区のサンチャゴ要塞、古い教会(マニラ大聖堂、サン・オウガスチン教会)を見る。DSCF0487.JPG
▲マニラ中心のリサール公園の入り口、国民的英雄ホセ・リサールの記念像の前で。
スペインからの独立を平和的手段で国民に指導されたとのこと。

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▲サンチャゴ要塞にて。城壁都市の中でも重要な位置にある。日本軍が占領中、多くの比国人を犠牲にした場所。
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▲サンチャゴ要塞の悪名高い水面下の地下牢。満潮時には水が立ち込める。野村先生いわく「医療実験でおりの中のネズミに水に浸すとすぐ潰瘍ができる。敏感な人間はもっとストレスだったろう」。ともに合掌。
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▲厳かな雰囲気のマニラ大聖堂。ミサをやっていた。ロマネスク風の建物でヨーロッパの聖堂と比べて遜色ない装飾。前方のパイプオルガンはアジアで最大の一つらしい。
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▲世界遺産のサン・オウガスチン教会。1806年に設立、比国石造建築では最古のひとつ。バロック風の教会内では結婚式をやっていた。(キクさん撮影)
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▲サン・オウガスチン教会の入口で。西洋の聖人の前に狛犬が座っている東洋・西洋ミックスの不思議な装飾。

(5)夕食は同期4人の再会を喜ぶ。ロマンチストの関氏はマニラ湾に沈む夕日を見ようと埠頭のレストランを予約したが、あいにくの雨。まったく気にせず、食事と会話に集中。前菜から始まって全品大変美味、地元ビールのサンミゲルがうまかった。2d6c%28%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%89.jpg
▲地元の魚ラプラプ、地元の味付けの前菜タニゲはうまい。ビールがすぐなくなった。


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2009年06月04日

6月4日<炎熱商人>

夜は炎熱商人(深田佑介著)のモデルと言われる細井氏とスペインレストランで会食。食事をしながら、「小説の中の登場人物では誰だろう」と思いながらお話をお聞きしたが、たぶん石山氏に相当。慶応志木高校、慶応大学で野球をやっておられ商社に入られる。材木の買い付けで昭和42年に比国に駐在。当時の移動はは飛行機ではなく車か船。山をこえる時は舗装されていない悪路を通るので、車を降りると体までガタガタになるそうだ。数年後に日本に戻られたが、比国の魅力が忘れられずにご家族ともども比国に戻られる。小説では奥さまは比国のスペイン系金髪美人だったが、氏の奥様は日本人だそうだ。それから比国に40年。現在は真珠養殖業など幅広く事業展開。「南洋真珠」と言う特徴ある真珠で平均12mmの大粒の真珠。近年は価格が数分の一に下落。大きさ以外の付加価値を出そうとして金色や各種の特別な色を出すよう研究されているとのこと。
小説の石山氏はおおらかな反面、正義感が強く描かれているが、細井氏は人懐っこく気さくで面倒見が良い。氏のお子さんが小さい時は比国で子供野球の指導をされたそうだ。おかげで比国の日本人の中に知り合いは多い。お嬢さんには剣道をやらせたそうで土曜日にお邪魔するマニラ剣道クラブでお世話になったそうだ。
現地スタッフを雇用し、幅広く事業をやられているが、「活用のコツは?」とお聞きすると「メンツを大事にすること」とのこと。大勢の前では叱責しない。ただ指導は必要なので個室で説いて聞かせる。この点は小説の人情家であり大局観をもったやり手の支店長「小谷氏」のモデルかなと思う。
会食を通じて、私も「同じ体育系」ということで気に行って下さった。お話を聞いていて異国の地で商売のコツは、「一生懸命、誠意を尽くす。理不尽なこともあるけど辛抱して対応する」。
ご本人は「自分はせっかちで」とおっしゃっていたが、会食中、我々に間に合うように、とお土産を会社のスタッフに手配し届けさせていた。「まだ来ないのか」と何回か電話で連絡を取る氏の姿をお見受けして「こういうせっかちってビジネスに大事だなあ。配慮とは結果の伴った質の高い誠意なんだなあ」と感じた。
益々のご発展をお祈りします。

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▲スペインレストランで。左が細井氏。上が同期の関氏。

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6月4日<マニラに着く>

 マニラに向けて出発。成田ではインフルエンザの影響はほとんどみられない。利用客でマスクをしている人は全体で数人。お店や空港係官もマスク着用少ない。アメリカ訪問キャンセルは「何だったんだろう」という気もするが、まあいいか。
 空路4時間30分、マニラ空港につく。滑走路が混んでいるので、空中で30分ほど旋回飛行。おかげで諸島の様子が分かった。確かに大きな島はない。緑の大地が広がるが、視野の中に陸地の切れ目(海)が見える。町並は雑然。昔の大阪の街を思い出す231.JPG ▲機上より。緑の中に人家が雑然と存在する。

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▲川の周りに人家が密集する。多くは不法建築とのこと。洪水のたびに浸水や被害が大きい。関氏の国家プロジェクトは護岸工事をして整然とした川にしていく。


空港についた。昔の那覇空港のように南国気分をかきたてる。入国審査はいたって簡単。預けた荷物もすぐ出てきた。好印象。
外へ出た。先ほどまでは雨、空気が湿ってぬるい。28℃くらい。同期の関氏がわざわざお出迎え。ホテルに向かう車の中で彼の仕事及び比国事情を聞く。DSCF0477.JPG

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▲いろどりの装飾での物売り。

車窓から街を見るが、イメージ通りの雑然とした店、住宅の中に褐色の肌をした現地の方々が歩いている。台湾に比べるとオートバイは圧倒的に少ない。車は7割くらいがトヨタ製。あと日産、本田と続く。
渋滞が続く中、物売りの少年たちが車の窓をたたく姿はブラジルと似ている。

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▲庶民の足、ジプニー。フィリピン独特の乗り物。バスのようなもので小型トラックに幌がついて後方に客が乗る。装飾が結構派手。
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▲古いジプニー。昔、米軍が使っていたジープを15人乗りに改造したものだそうだ。乗りたいところで乗れ、降りたいところで降りれる。
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▲ペデイキャブ。自転車にサイドカーをつけた3輪車。オートバイにサイドカーをつけた3輪車をトライシクルという。家族が数人で乗っている。下町のジプニーが入らない狭い場所で見られる。
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▲馬車。カレッサという。公園の前なので観光客用だが、チャイナタウンや下町では地元の人の足に
なっている。

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2009年06月01日

6月1日<フィリピンと炎熱商人>

 ひょんなことから今週末からフィリピン・マニラに行くことになった。きっかけは5月初めの大学剣道部の同窓会。久しぶりに会ったマニラ在住の関君と意気投合、とんとん拍子に話が進み同期3人とお邪魔することになった。
 ぜひ事前に読むといいと関君から勧められたのが「炎熱商人」。直木賞なのに残念ながら本屋にも出版社にも在庫はないのでアマゾンから入手する。
 面白くてあっという間に読了。舞台は昭和45年大阪万博のあった高度成長時代の後半。住宅需要を満たすためにラワン材を購入するために中堅商社の支店長や駐在員、日本からの出向社員が苦労する物語。
 半分以上が太平洋戦争時代の傷痕が描かれる。進駐した日本人がやった良いこと、日本軍が犯した残虐なことなどがかなりリアルに描かれる。理想主義と現実主義、博愛主義者と会社主義・自己中心主義の2者が入り乱れる。現地駐在員から、太平洋戦争では「大東亜共栄圏、大アジア主義」など理想を掲げながら比国の人々に多大の迷惑をかけ、戦後も日本企業がアジアの国々に進出し自国の利益のため奔走し地元の人々は振り回される、と厳しい目でみられ、深く考えさせられた。
 読みながら、比国に行く前のある種の予備知識は入手できた。
(フィリピン基礎知識)
◎1534年、スペイン領に。当時のスペイン国王フェリペ2世の名前をとって現在の名前になる。フィリピンは英語読み。1898年、アメリカ領。1941年、日本が上陸。1946年独立。
◎7107の島からなる。最大はルソン島(他にミンダナオ島、セブ島)。広さは日本の8割。人種は43(マレー系が95%)、方言は137、宗教は93%がキリスト教(カトリック)。
◎気候は年中、高温高湿の熱帯モンスーン気候。

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2009年05月14日

5月14日<スラムドッグ・ミリオネア>

 昨日は今年のアカデミー賞受賞、他の8部門も総受賞の話題の映画を見てきました。インドが舞台で、最初は汚くて残酷な映画だと思いましたが、徐々に引き込まれていきました。
 見終わった感想はサスペンスでもあり、純粋なラブストーリーでもあり、インパクト満載。エンタテイメントとしてはまあ面白い。もっとも、癒し、人間賛歌的な感動、美しさでは「おくりびと」の方がいいなあと言う感じです。 
 ストーリーはムンバイのスラム出身の少年ジャマールが人気番組「クイズ$ミリオネア」(元はイギリスのクイズ番組。日本ではみのもんた氏のファイナルナンサー?のあれですよ)に出演、全国民が見守る中、あと1問で史上最高の賞金2000万ルピー(4400万円、インドでは夢の大金!)を手にできるところまで来た。
 しかし、彼を面白く思わない番組の司会者は警察に連絡。「身なりが貧しく、学問もない彼は不正で答を得た」とされ、詐欺容疑で逮捕される。ジャマールは警官の厳しい尋問や拷問に対し、正答を知っていたのではなく、「生きながら学んだ」と言い、自分の過去を話し始める。そこにはスラム街で母を亡くし、兄弟で生き抜いてきた過酷な物語があった。
 悲惨な一方で、汚いスラム街を走り抜ける幼児時代の彼らにはたくましさが光ります。母を亡くし、子供をダシにして犯罪を犯す悪い大人たちの手から逃れ、長距離列車で移動、タージ・マハールでインチキ観光ガイドをして暮らす少年時代の彼らには一種の開放感・機転・希望を感じました。当然、ベースとなる貧困、宗教対立、ギャング集団の存在に加え、スラムを破壊して高層ビルを建て続けるインド最大の経済都市ムンバイなど現在のリアルなインドもサブテーマでしょう。
 救われるのが、同じ境遇の薄幸の少女ラティカを追い続けた主人公の純粋さ・無欲さ。現実主義者のお兄さんが悪の道にどっぷり入っていくのと対照的です。
 さてストーリーが終わってのカーテンコール。監督はダン・ボイルでイギリス人ですが、主人公はじめキャスト全員が駅のホームで踊るのはまさに“お約束”のインド映画。「踊るマハラジャ」を思い出します。「嫌なことがあっても、踊って楽しむのが人生さ」と陽気な気分になれました。

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2009年04月26日

4月26日<満州鉄道>

大連最終日は旧「満鉄」関連の施設を見学した。今回のツアーの年配の方は親族縁者が満鉄に関係する方が多く希望が集中したため。
満鉄とは「南満州鉄道株式会社」の略。日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで中国東北部(旧満州)に存在した日本の特殊会社。鉄道事業を中心だが、都市計画はじめ石炭、製鉄、電略、ガス、下水道、病院、学校、図書館、ホテルなどきわめて広範囲にわたる事業を展開(最盛期には80余りの関連企業)し、満洲経営の中核となった。初め大連市に本社がおかれ、今もその施設跡が残る。(以上Wikipediaより引用)
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満鉄のシンボル、特急「あじあ」号の前で撮影。とにかくでかい!
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旧満鉄の社宅。花が美しく咲いていて公園のようになっている。

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旧満鉄の病院。現在は大連大学付属の総合病院になっており多くの市民が訪れる。


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2009年04月25日

4月25日<203高地と水師営跡地>

 今日は今回のツアーのハイライト。大連からバスで約50分。旅順に向かう。まずは水師営会見所。日露戦争時代、ロシアはステッセル将軍から降伏の提案がされ、調印した跡地(正確には1990年に復元された)を見た。日本は乃木大将が出席。壁土でできた農家で天井は草がぼうぼうと生えている。戦争中は野戦病院だったそうで、調印の木製の机は手術台だったそうだ。乃木大将が座ったとされる椅子に座る。実の息子2人を含め多くの将兵を死なせ、ようやく和平調印にこぎつけたその心境はいかばかりか。調印に参加した人の集合写真が飾ってあった。皆さん、ひげを生やして立派だがどこか悲しそうだ。

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▲水師営会見所の前で同行の冨井さん(元北海道新聞社次長)と

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▲水師営会見所の中にあった記念写真。中央左から2番目が乃木将軍

昼食を済ませ、日露戦争の激戦地203高地へ向かう。駐車場から歩いて約10分、頂上へ。約6km離れたところに旅順港が見える。これがなければ普通の小高い丘だ。
ロシア海軍基地の不凍港である旅順港を見渡せる。ここから旅順基地を攻めるための砲撃の指示ができる。「203」と言うのは海抜203mの山から名付けた。本来は206mだったが砲撃で3m減ったというくらい戦闘が激しかった。

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▲203高地の麓の碑。この表示がなければ通常の小山と変わらない。

この山の頂上にあるロシア軍の要塞を日本軍が攻めたが、ロシア軍は最新の機関銃・鉄条網で守り寄せ付けない。日本軍は愚直に突撃を繰り返し死屍累々となる。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」によると、乃木大将は人格者だが、戦略・戦術家としてはかなりセンスがなかったらしいが、それだけではない。日露戦争時代の前は銃の命中精度が悪かったので集中的に攻撃すれば敵陣に食い込めた。勇気がキーだった。ただし機関銃の登場でその戦法は時代遅れ。科学の発達に戦術が追い付かなかったのだ。結局1か月以上攻撃しても陥落せずに、他部署からの応援でようやく頂上を奪取できた。

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▲203高地の頂上の弾丸を形どった記念碑

頂上には弾丸を模した10mの慰霊塔がある。戦闘後、戦場の薬きょうを拾い集めて日本で鋳造し、また持ち込んだもの。爾零山(にれいさん;二〇三)と書いてあった。乃木大将の命によるもので「あなたの魂を慰める」と言う意味。
合掌。

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2009年04月24日

4月24日<瀋陽から大連へ>

午前中は瀋陽故宮博物館へ。清の創設者ヌルハチと2代目の皇帝が住まわったところ。世界遺産。北京の故宮が室数9999室に比べ、333室と3分の1の大きさだが、コンパクトで見やすい。映画ラストエンペラーで紹介された清国最後の皇帝、溥儀(ふぎ)皇帝が執政を行った舘もある。ちなみ彼は3歳で即位し、7歳で引退した。執務室になった建物の彫刻が屋根から壁に至るまで非常に細かいのに驚く。
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▲瀋陽故宮の外観。赤い煉瓦の壁が美しい。
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▲清朝ラストエンペラー溥儀(ふぎ)皇帝が執政を行った舘
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▲瀋陽故宮の中には昔の皇族衣装を着た若い女性がいて、一緒に写真に写ってくれる。あいにくの雨だったが同行の冨井氏は嬉しそうに記念撮影。

 ちなみに昨日訪れた清のお墓の建物も同様に、手が込んでいる。大きな亀の彫刻があったが、原石は60t。遠くの山から持ってきた。「どのようにして運んだと思うのか」の質問がガイドからあり「コロを使った」と言ったら不正解。正解は冬の寒さ(1月はマイナス35℃)を利用して道をこらせてその上を滑らして運んだこと。内陸性の気候うまく活用したなと感心した。
この地の防寒対策はオンドル。暖気が地下から上がってくる。故宮の部屋は土間が多いなと思ったが、これは床からの暖房効果を大きくするためにあえて広くしてあるとの事。
 午後は特急電車に乗って大連へ移動。満州鉄道時代と同じレールの上を走る列車で中国満州地方の車窓を味わうという企画だ。
特急で4時間ほどの移動だが、昼食の紹興酒が効いてほとんど眠っていた。
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▲瀋陽の駅。中に大きなエスカレーターがあった。
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▲瀋陽駅のプラットホーム。次々と遠距離列車が出るが、待合室は満杯。ようやく外へ出れた。

大連に着いた。ロシアはじめ外国が作り上げた。人口600万人。モダンな港町。海が近く爽やかで、空気自体が違った。

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▲4時間後、ようやく大連駅のホームに着く。少し寝すぎた。
 

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2009年04月23日

4月23日<「瀋陽市」訪問記>

昨日から久しぶりに中国に来た。平成6年にアメリカの新聞社視察をしたツアー仲間(新聞社OB)の同窓会。今回は瀋陽・大連。旧満州の地を訪ね、歴史を学ぶととも世界遺産を味わおうという企画だ。
初日は遼寧省の首都、瀋陽市を訪れる。 
かつて奉天と呼ばれ、中国では第一の工業都市、人口800万人、中国最大の炭鉱や製鉄所(従業員46万人)がある。東芝エレベーター始め多くの日系企業が進出。大前経営塾受講中に大前研一塾長に「大連に行きます」と行ったら「中国の発展をみるなら瀋陽に行った方が良い」とメールをもらったので覚えている。ぼつぼつと高層ビルができ始めたがまだ発展途上の都市。気候は内陸性で夏は40℃、冬はマイナス35℃までなる。
約400年前、清ができた時に最初の都になった。初代皇帝の住居が瀋陽故宮博物館。
まずは市内の博物館とお墓を見る。市内の博物館は一点1億元(15億円)クラスの珍宝 数万点が展示されてあった。
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▲昭陵は明の十三陵とあわせて2004年世界遺産に登録された
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▲瀋陽市、清朝第2代皇帝のホンタイジの陵墓(昭陵)の入口
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▲昭陵は敷地面積330万平方メートル 大きな獅子の石像があった

夕食は160年前からある「老辺餃子店」をツアーガイドが予約。10種類以上の餃子を楽しむ。ほとんど蒸し餃子。ちなみに中国では蒸し餃子か、水餃子が一般的。これが余った場合、翌朝、焼いて漬物と一緒に食べる。つまり焼き餃子はいわば残り物で一番安い餃子。ガイドが言うには日本で中国人に焼き餃子を食べさせると「自分は安いものばかり食べさせる」と不満を持つからご注意とのお話があり面白かった。
餃子とともに元キリンビールの工場で作られた地元名産の雪花ビールと3年ものの紹興酒を楽しむ。
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▲名物の餃子を堪能する

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2009年03月30日

<3月29日 アメリカ点描>

 わずか8日間の滞在だが、見たものを点描する。
 アトランタもローリー/ダーラム(ノースカロライナ州)も緑が多い。飛行機で見ると緑の中に家は5%くらい。家は一戸建てで大きい。日本なら皆1億円以上の豪邸。庭には芝生を引き、バスケットリングも多い。この中でゆったり暮らしているのだろう。朝7:30頃散散歩をしたが、他に歩いている人はほんとんど見かけない。スポーツクラブの前を通ると中で20人くらいの人が室内ランニング機で走っていた。外を走ったり歩いたりすればいのにと思うが、治安の問題があるのかもしれない。

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▲アトランタの上空から

 車は日本車(トヨタ、日産、ホンダ、マツダ)が多い。半分くらい。キャデラックのような大型車はほとんど見かけない。アトランタではハイウェイを走ったが、片道5車線以上で気持ちが良い。
 ショッピングモールは大きく便利。日本ではあまり見かけない野菜(アンテイチョーク、赤い小さいマシュルームなど)の味付けしたものがありセミナー中の昼食に持ち寄りおいしくいただいた。ホワイトアスパラガスはホテルで茹でてお酒のつまみに最高だった。ワインはじめ食材価格は安い。

 TV番組はドラマ、ニュースの他に天気予報、スポーツ番組が多い。バスケットが圧倒的に多い。WBCで日本が優勝したのを知ったが、アメリカではやっていなかった(1局だけあったようだが)
 空港のセキュリテイ検査は日本よりも厳しい。ズボンのベルトも靴も脱がなくてはならない。でもスムーズにやっている。慣れたようだ。
日本のマスコミが言う「アメリカ発100年に一度の」不景気の影響はよくわからない。皆さん、表面上は普通どおりに暮らしておられた。

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2009年03月23日

<3月22日 沖縄、成田、アメリカ>

 今日は移動日。那覇空港8:05分発のANA便で羽田へ。バスで成田へ移動。15:30発のデルタ航空にてアメリカへ。明日から「TAと人格適応論」の著者のバン・ジョインズ先生セミナーに出席する。
 飛行時間は約12時間。アメリカの上空についても4時間近くかかる。州で言うとワシントン州、アイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州を経て、ジョージア州のアトランタへ。広大なアメリカを実感。ワイオミングあたりでは良く揺れた。窓から見ると、地上は低い山地と荒野。気流が変化しやすいのだろう。

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▲アトランタからローリーの機内 

 アトランタでは入国審査。昨年訪れたサンフランシスコに比べると入国審査官が親切。両手の指紋、目の虹彩をカメラで撮られるが、笑顔なので気にならない。「滞在目的は?」「ホテルは?」「何日いるのか?」と矢継ぎ早に聞かれるが陽気。
 私の最終目的地はノースカロライナ州のローリーだが、荷物はここで一回降ろして税関チェックを受ける。その後、次の便に乗せるため、リエントリーという荷物置き場に荷物を置く。アトランタからアメリカ全国に飛行機がいくのに行き先別に分けないでごっちゃにして大丈夫かと少し不安。
約1時間半後にローリー空港に着くが案の定、2つの荷物のうち一つは出てこない。
係員に聞くと、3時間後の便に乗っているとの事。メインの荷物はあるし、ホテルに夜届けてくれるとのことで納得。
 タクシーでホテルへ。ほとんど森の中。環境の良いところだ。19;10〔日本時間23日の8:00〕ホテル着、長い一日が終わった。

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2009年03月21日

<3月21日 TAエクササイズin沖縄>

20日、21日とTA研究部会主催のワークショップ。沖縄の最南東にある知念で行う。那覇空港で集合し、バスで1時間弱。会場からは海と深い緑が見える。日常から離れ、自分に気づきやすくなる。
参加者は15名。沖縄から3名は参加。本来は約10名の予想だが、この時期はお彼岸、年度末、など行事が重なり沖縄の知人も残念ながら不参加。それでも私との関係を大事にしてくださり参加いただき嬉しい。

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▲この2日間でやりたいこと

 初日は通常のTAワークショップに準ずるが、パートナー・ファシリテーターの照ちゃんが新しい身体を動かすエクササイズをご披露し、参加者の皆さんも興味津々。
私の担当のハイライトは即興劇。一人ひとりが子供の時になりたかった職業を即興劇の中で実現する。5人ずつで3組。準備時間が短い中で感性を生かし即興でやるので意外な面白いストーリーが展開される。
夜は酒盛り。泡盛を元に沖縄の食べ物、生活、歴史、文化、方言などを肴に話が盛り上がる。
2日目の朝は海岸をペアで目隠し探検。
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▲ビーチでの目隠し探検 

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▲朝の瞑想

海水に濡れたり、砂浜を走ったり童心に返る。午前中は自分の生き方についての気づきを話合う。昼食後,自然との対話。波と話したり、ブーゲンビリアと話したり。
午後は好きな人との会話。気になっている人を空座布団の上にイメージし、伝えたかったが、伝えられなかったこと(感謝とか喜び・心配の気持ち)を伝える。感極まる方もいらっしゃった。終了後、「意外な自分の気持ちが分かってよかった」、「感情表出が出来て良かった」との声をいただく。
あっという間の2日間。無事終了して良かった。2年前の7月に止まっていた沖縄LASの時計の針を違う仲間とともに進めた静かな感慨があった。
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2009年03月19日

<3月19日 沖縄の休日>

 昨日は出張先の京都から関西空港を経て沖縄那覇へ。明日からTA研究部会主催のTAのワークショップに出るため。
 今日は久しぶりの休日で、楽しむ。8:30港から慶良間諸島に向けてのダイビングツアーに参加。半年前から楽しみにいていたのだが、2年ぶりなので機材の装着を忘れている。他の参加者の様子を見て装着する。命に関わるので20歳代のインストラクターがしっかりチェックしてくれた。入水直前に空気がうまく吸えないので不安を訴えると茶髪のインストラクターに言うと「キミが慣れていないだけだよ」と言われる。
 ざぶんと水中に入ると別世界。最初はあわてて呼吸数が多いので空気のタンクはどんどん減っていく。30才前後の男性参加者がうまく空気調整が出来ず潜行できないので慌てていた。気持ちは分かるよ。10分ほど経つと落ち着く。「中間浮力」という言葉を思い出しながら水中を泳ぐ。熱帯魚、赤・白・緑のサンゴ、本当に目も身体も心も洗われる。あっという間に最初の1本は終わる。
 「(キミの)水中(の遊泳フォーム)はいいねえ」とインストラクターに言われ気をよくする。やっぱりほめるのは大事だ。
 最後の3本目は船から流されながらのダイビング。20mくらいで島の断崖の下をもぐる。変わった生き物がいるし地底の変化があるので冒険心をくすぐる。面白い。
 満足して船にあがり着替えてまどろんでいると歓声が上る。鯨が頭を出し潮を吹いている。胴体や尾びれも見えた。全部で3頭。満足した心に潮風は心地よかった。
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▲那覇市内

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▲慶良間諸島

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2009年02月21日

<2月21日 「マンマ・ミーア」を語る>

昨日はTAワークショップの研修仲間とミーティングの後、食事会。「マンマ・ミーア」を見たと話題にすると女性は目を輝かす。仕事の話ではこんなに輝くかなあ(自分もそうかも)と思いつつ語り合う。
 タイトル「マンマ・ミーア」の意味を聞くとイタリア通のAさんが、「オーマイゴッド」と同じ意味だとのこと。インターネットで調べると「直訳は私のお母さん。但し、イタリアでは聖母マリアのこと」とあった。それで「オーマイゴッド(何てこったあ)」なのか。
 映画でも2人の旧友が「父親は誰?」と聞き、母親ドナが「わからない。あの時は3人と同時に付き合って」と言うと2人は顔を見合わせ「マンマ・ミーア」。
 ちなみに日本ではこういうことは少ないがアメリカでは良くあるらしい。映画を見ながら思い出した。9年前、始めてカリフォルニアのエサレン研究所に行き、5日間のゲシュタルトのワークショップを受けた時のこと。
 ある20歳代のキュートなアメリカ人女性。彼女の悩みは義理の父親が3人いて、誰を頼ればいいのかわからない、ということ。 セラピストは3人の義理の父親役を彼女の前に立たせ、「一人を選べ」という。泣きながら彼女は一人を選ぶが、他の2人にすがりつかれ心優しい彼女は困る。
 そこでセラピストは無情にも「すがりつく2人を突き放せ」、という。ロールプレーなので彼女の心の中に決断を迫るものだが、日本人の感性から言うと「そこまでやりますか」と言う感じ。
 突き放すワークのために彼女が選ばなかった父親役がクッションを持って立つ。その後ろに支える人が2人。私もそのサポート役の一人を買って出た。最初は頼りなさげな彼女も段々力が入ってきて、最後は大の男3人が彼女のショルダーブロックに粉砕された。意外や意外、晴れ晴れスッキリした彼女の顔を見て、「女性は強し、特に肉食民族の女性は強し」と思った。

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2009年02月19日

<2月19日 映画「マンマ・ミーア」>

 今日は半年ぶりに休暇。午後から映画を見に行く。3?4年ぶり。今年の目標の一つが「毎月映画を見る」だから遅ればせながら第一歩は達成。厚木の映画館は全部なくなったので隣町の海老名へ。客の入りは2割くらい。ほとんど女性。
 今評判の「マンマ・ミーア」を選んだ。
映画のPRから引用すると・・・
“全世界170都市以上で上演、観客動員数3000万人以上― 今も世界中を総立ちにさせ、すべての人をハッピーにしつづける大ヒット・ミュージカルの映画化!ABBAのヒット曲で構成されたブロードウェイ・ミュージカルをオスカー女優メリル・ストリープ主演。エーゲ海に浮かぶギリシャの小島で、20歳のソフィは結婚式を間近に控えていた。母子家庭で育ったソフィの願いは父親とバージンロードを歩くこと。母親ドナの日記を内緒で読んだソフィは、父親の可能性がある母の昔の恋人3人に招待状を出すのだが……。”
 一言で言って面白かった、楽しかった。
見ながら「おばさんの人生讃歌、青春讃歌」 
と思った。主人公ドナの女友達の老眼鏡をかけた小さいのと大きなおばさん2人が結婚式のために島を訪れる。昔、一緒にバンドを組んでいただけあって、60歳前後と推定されるが、歌も踊りも激しい。パワーフルで貪欲。お金、男、生活など欲望に忠実で悪びれないからスカッとする。それに比べると父親候補の男たちはさえない。007(ジェームズボンド役)だった男優はハンサムだけど歌は今一だし女性たちに比べると薄っぺらに描かれている。
ストーリーの最後の落ちは強引で納得しにくいが、ABBAのダンシングクイーンはじめ聞き覚えのある曲10数曲をバックに踊り歌うシーンはこちらも踊りたくなる。大画面に映るエーゲの島や海、古いホテルは美しく感性を磨いてくれた。
 良い時間をすごした。


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2009年01月27日

<1月27日 デーケン先生の講演準備>

 今日はTA研究部会の運営委員会。もう今年になって3回目のミーティングです。 今の目下のテーマは2月14日のアルフォンス・デーケン先生(元上智大学)の講演会の準備。集客〔200人目標で今半分くらい〕をどうするか、準備・当日の準備をどうするかを緻密に詰めています。今日は当日の会場になる永田町の星陵会館で実施。
ここの案内のポスターはどうしようと言う話になるとすぐ会場で確認ができるので
便利です。
 ここでデーケン先生のご紹介をします。
デーケン先生の講演は数年前から企画に上っておりようやく実現したものです。岡野先生もぜひお聞きしたいと言われていたものです。岡野先生によると「生と死について迫力ある講演をされる。一度聞いたら自分の生き方について深く考えさせられる。」講演が決まって先生の著書を拝見しました。お生まれはドイツですが、20歳代から日本に住まわれているので日本語はお上手です。
小さい時は第2次大戦中で、自らも機銃掃射を浴びたり、おじい様が反ナチスの活動をしてそれこそ危ない思いは何回もしたそうです。そして連合軍がドイツに入ってきて肉親の死・・・それこそ生と死に隣り合わせの人生だったそうで、いつしか「生と死?良く生きよく死ぬ」をテーマに講演をされるようになったそうです。テーマは重いですが、昨年先生の講演を聞いた何人かの運営委員によると、ユーモアたっぷりで会場は笑いに包まれていたとのこと。
 このブログを読まれて関心ある方はTA研究部会のホームページを引いていただければ嬉しく存じます。

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2009年01月02日

<1月2日 健康第一>

<1月2日 健康第一>
 新年の挨拶周りの途中で静岡県芝川町の剣道初稽古に寄る。昔、富士フイルム富士宮工場勤務時代にお世話になった地元の富士宮剣道連盟の方が稽古に来られる。
 ご無沙汰の御礼をして準備運動。かなり体育館は寒い。トイレに行ったら左脳に激痛が走る。ハンマーで打たれたような痛さではないが大きく脈打つ痛さ。様子を見ようと思って20分、30分経っても痛みは治まらず。脳出血などの障害の可能性があるので救急病院へ。
結果は「良くわからないが、すぐまずいと言う状態ではなさそう、様子を見よう」「血圧の可能性もある」とのこと。CTスキャナーの設備がないのですぐ分からず。
 ウズベクで塩辛いソーセージ、ハム類を食べた報いかなとも思う。秋以降仕事が重なってあまり剣道を始めとする運動もしていない。
 要は休めと言うことだろう。
年の初めから無理をせず休養することにした。体力には自信があったが、過信すると大変なことになる。
健康第一。これが今年の方針になりそうだ。

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2009年01月01日

<1月1日 明けましておめでとうございます>

昨夜ウズベキスタンから帰ったばかりで片づけが終わらないまま大みそか。紅白歌合戦を見ながら年が明けた。
 新年の初参りをして1年が始まる。今年の目標は直感的に「世界平和」という言葉が浮かんだ。ウズベキスタンの好意的な人々、中継地の韓国インチョン空港での元気な韓国人を見てそう思った。ウズベクでテレビを見ていたらイスラエルとパレスチナの争いが映されていた。その空気の中、世界の人が仲良くつながれればどんなにいいか。
具体的に自分ができることを考える。
一つは2年前から研究テーマだったポジテイブアプローチ。年末のヒューマンバリューさんのAIファシリテーター養成コースを受講してその魅力が良くわかった。一言で言うと、「お互いの良さ、強みを引き出し組織の明るいビジョンを描くこと」。国際紛争や企業の組織間葛藤にも応用できる最新の組織変革手法だ。今年はその深耕と普及をしていきたい。
 後は個人課題として英語のレベルアップ。
昨年3月からあや乃先生との電話レッスンで話すほうはかなり苦労せず話せるようになったのをウズベクで実感。元々は海外へ行った時 度胸と愛嬌とボデイランゲージで外人と話していたのが、言語的に細かいニュアンスまでやり取りできるようになったのが大きい。ウズベクで受講生とお互いのクリスマスや正月の行事やご馳走についておしゃべりできたのは
楽しかった。あとはヒアリング力の強化が課題。英語の講演も通訳なしに聞きたいし、外人同士の雑談に着いていける様にしたい。

今年もよろしくお願いいたします。皆様のご多幸をお祈りしています。

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2008年12月31日

<12月31日 2008年を振り返る>

<12月31日 2008年を振り返る>
夕方、日本に着いた。厚木の街はウズベクの町に比べると色や光にあふれている。
さて今年の総括。
◎海外での滞在が約60日間。
ウズベキスタンでのビジネススクールでの講座(8月、12月)を持って現地の方と交流が出来ました。台湾でも同様。日本で学んだ内容が海外でもお役に立てて嬉しく思います。将来、海外で人間成長のワークショップをしたいのが私の夢ですが、一歩近づきました。
◎公開コースの実施。
TA(交流分析)ベーシック(基礎コース)、TAワークショップを実施できました。特にワークショップは28年前に初めて岡野先生のLAS(ライフアドベンチャーセミナー)を受け素晴らしさに感動、「何時かは自分でもやりたい」と思っていたセミナーなので願いがかないました。参加された方が大変喜んで帰っていただいたのが本当に嬉しい。大変高度なスキルを要するだけに今年の最大のチャレンジでした。来てくださった方、仲間の照ちゃん、亜希ちゃんに感謝。
◎新規のお客様が広がる
 中期課題設定力強化研修やチームビル、アサーションなどのテーマで今までお付き合いのなかったお客様(企業)にもお役に立てるようことが出来ました。
チャンスを下さった人事担当の方にも感謝申し上げます。
 2008年はおかげ様で大変良い年でした。
皆様良いお年をお迎えくださいませ。

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2008年12月29日

<12月29日ブハラから帰る>

 早朝、サウナに行く。朝6:00から16:00までのこのお風呂、16世紀からあるそうだ。入場すると奥の部屋に通される。それまいくつかの部屋がある。一番奥は岩作りの6角形の部屋。壁からも床からも熱が伝わってくる。係りの人が隣の部屋に案内してくれる。ここでは壁を瀬に背に立つ様に言われる。上の方が蒸気がたまっていてあつい。ここは蒸し風呂なんだとわかる。その後マッサージ。平らな岩の上にうつ伏せになる。最初は生姜のエキスを身体に塗る。ぽかぽかしてくる。一種のオイルマッサージだ。アジと言う青年はかなりうまい。
ブハラからタシケントに戻る。何とプロペラ機。風に任せて飛ぶ大きな鳥のようだ。
強い風が吹くと揺れる。NLPで飛行機恐怖症は治ったはずだが、それでも脂汗でぐっしょりになった1時間だった。次から飛行機の予約を取る時はジェット機かどうか確認しよう。
 タシケントの町は雪が消えていた。
韓国から来た30歳くらいの韓国語を教える女性ボランティアと空港で会い、タクシーをシェアした。去年この国に来たとのこと。ウズベク語はだいぶしゃべるが、この国で覚えたとのこと。何故ウズベクかと訊いたら「ボランティアが出来たらどこでも良かった」とのこと。日本人の60歳以上のシニアボランティアの方とは何人かお会いしたが、こういう若い方が韓国にはいるんだなと感心した。

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2008年12月28日

<12月28日 ブハラを歩く>

頼んだガイドが9時になってもこない。ここでは9時とは9時半までのことだろうと割り切るようになったのでカリカリしない。やはり9時半になって年配の女性ガイドが来た。予定していたガイドがこれなくて急遽自分がくることになったと言う。
手馴れた様子で次ぎ次ぐと流暢だがわかりやすい英語で名所旧跡を案内してくれる。
昔の両替所、郵便局。ユダヤ人の教会。
多くのモスク、メドレセ(神学校)。
ハイライトはカラーン・ミナレット(大きな光の塔)。46mの街のシンボル的な塔。この塔をジンギスカンが始めて見上げた時、風で帽子が飛ばされそれを拾った。その時にジンギスカンは「この建物は余に頭を下げさせた立派な塔だ。だから壊すな」と言ったらしい。昔砂漠を旅するキャラバン隊はこの建物を目印にした。記念に登った。しんどかったが、頂上の見晴らしは格別。
 もう一つのハイライトは一般の方の結婚式出席。ガイドのノイラさんが甥っ子の娘の結婚式があるからプレゼントを家に持っていくというので着いて行った。昼間の宴は女性だけというので遠くから覗くつもりだったが、家の人たちから「どうぞ、どうぞ」と招待され、家に入れられた。家の中庭では、ちょうど踊り子が歌と音楽にあわせて踊っていた。着飾っていた年配の女性たち8人から慶んで迎えられた。人の良さそうな40歳前後のアレキサンダーさんと言う人からご馳走とウオッカを勧められた。
茶碗に入れたウオッカをぐっと飲めと言う。これも日ウ友好と思い、続けて4杯飲む。片言の英語でこれを食べろ、あれを食べろと言ってくれる。中には手にとって口に入れてくれる。本当に面倒見が良い。
 結婚式の後も街を歩く。2000年前からあった王の砦(アルク城)は見ごたえがあった。ところでこのガイドのノイラさん、歴史でも地理でも宗教でも何を聞いても答えてくれる。「大学の先生ですか?」と訊いたら「私はプロのガイドです。人は私をガイドブックと言う」と胸を張って答えた。1998年にヒラリー・クリントンさんが来た時にも自分がガイドしたとのこと。
おかげでモスクやイスラム教のことで今まで不明だったことがずいぶんわかり大満足。人との交流でも収穫の多い一日だった。

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2008年12月27日

<12月27日ウズベクのブハラに行く>

この土日は受講生の総合テストの採点のために確保されているが、8月の経験でかなり勝手がわかったので早く済ませた。そこで地方都市の視察に行く。
 ブハラ空港に着いた。タシケントから南西へ500km、飛行機で約1時間。驚いたのは飛行機がついて旅客はターミナルビルに行かない。いきなり金網のある滑走路外の方向に向かう。ここでは預けた荷物のない人はすぐ場外に出られる。予約してあったタクシーに乗ってブハラの町に向かう。タシケントとは違って雪はないの